マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

祈りとは

2017年05月19日 | キリスト教

「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」

                                                   詩編 19編 14節

ユダヤの人々が贖い主と言うときは、自分が窮地に陥り、全財産を失い、自分の身まで奴隷として売り渡さなければならないようなとき、

犠牲を払ってまで買い戻し、助けてくれる親戚のことなのです。私たちにとっては、命を投げ出し、全身の血を流し切って、

滅びから、裁きから救ってくださるイエス・キリストこそ贖い主です。そんな贖い主に、「私はこんなことをしました。認めてください」と、

まるで商取引のようには祈りません。私たちには差し出すべきものは何もなく御前に祈る祈りの言葉をお受け下さいと祈るばかりです。

心の底から沸き上がる信頼、願い、感謝と礼拝の思いと言葉だけしかありません。しかし、神はどんな供え物にも勝って、

遜った信頼と祈りをお受け下さるのではないでしょうか。そのためには、贖い主なる、主の赦しと助けが必要なのです。

ロマ 12:1

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。

あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

 

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