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2017-07-14 01:05:47 | 自己確認

光 闇

神様

男 女

付き合い=他人の感情を慮って害さないように気を使う(=ものすごく注意する)

 

とくに 従来の性差
これはめんどうくささを通りこしてこわくなってきます
そんな凸凹を作ってシーソーみたいに変化をつけてがたがたと不安定にすることが 「当たり前」、「人間として自然」みたいなすごい土台
逃げて追っかけて どうやって自分が優位に立つかものすごく頭を使う=「駆け引き」などと言う
または「愛」のほうに重きをおいて 自分を放り出して「相手のことを思って」相手によかれと思うことをやる=尽くす
このときの、自分の放り出し具合はこわくなる。自分を放り出すことは もうやりたくない。

「駆け引き」のほうは それで自分が優位に立ったとしても 
その優位を保ち続けるためには ずっと頭を使い続け、煙幕を張り続け、
それで何を得ているのかといえば 優越感とか 「自分には価値がある、と思いたい」ことの裏付けとか根拠に使う
すごい重労働のわりにすごい不安定で、廃人コースという感じでこわい

しかも 一般社会では そうすることを推奨しているというか
恋愛、結婚は「立派な人間の証」みたいな空気を私個人はすごく感じ、廃人コースを推奨されているように感じ
廃人コースを廃人にならずに(止まらないで動き続ける)一生やり続けることが「人の道」
のように言われているように感じ かんべんしてよという感じがわく。

正直自分はこんな感じなのですが、でも ものすごく久しぶりにでーとしました。
ふしぎな感じ。

どうしてでーとすることにしたかというと、「自分を放り出して 相手によかれと思うことをする」場合と、

「自分に向き合うために 相手に向き合う」こともあるのかな?とふと思ったからです。

私は 自己否定が激しかったので、「誰かを好きになる」とか「好きな人といっしょにすごす」とか「楽しくすごす」というのは

ものすごく矛盾することなので、まともにやったことがなかったのだった。
やったとしても、自分を痛めつけるためにやることだった。

それが自己否定が だいぶなくなってきて、すると 「気になる人」の性格やタイプががらっと変わってきて、

それで「その人がすごく気になってる自分」を受け入れるとしたら、行動やら態度に出すのかな。

行動やら態度に出すことは、自分を大切にすることとも関係しているのかもな、くらいしかわからず
最初は 行動に移すって 大それたことに感じた。
これまで 表面的にそういう行動を取ったことはあったけど、中身が「自己否定するため」だったので、
今回は自己肯定のためで、行動は同じでも 中身がこれまでとは真逆でした。

自分を痛めつけない人とか 共通点を楽しめる人 とか
興味が合う人 と いっしょにいて楽しめるのが 私個人としては ほぼ初の体験でふしぎな感覚。

自分を否定してるときは、見事に自分を否定できる人ばかり 関心を持つ。
「好きな人」も 自分を否定するためのツール だったんだろな。まちがいなく。

そうだな。若いころはそんなことは考えていないんだけど、「好きな人」ができてかかわっているうちに
矛盾が大きくなりすぎて わけがわからなくなっていたと思う。

つじつま合わなくなりすぎて 存在できなくなって 空中分解当たり前。ということだったんだろうな。すごく納得だ。 

とはいえ 恋を感じる ということは何か幻想があるから。とは思っているので、
どんな幻想を持っていて、自分自身の何を受け入れたらいいのかな。とはつねに思うようにしています。

その人のことがすきだし すごく気になることは変わりないし でーとは楽しかったが とはいえみずから「恋愛」に踏み込むつもりがなく

「魅力的な女」(ごっこ)をする気がまるでなく
そういうのは 他人からも「魅力的な女」には見えないんだろうなぁ。という風には思う。

これが今の自分の状態なんだなぁ。あんまりやる気も覇気もない。

 

 

2017-07-15 01:05:47

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