2010年12月撮影 パンジシェール
故アフマッド・シャー・マスウドの墓石。
そとから見るとこんな具合になっている。
そして将来はこんな風になるらしい。まるで聖地だ。
マスウドと言えば今では公的な「国家の英雄」だ。カーブル国際空港にもその肖像が掲げられているし、ある交差点にも彼の名前が冠されたし、カーブル中いたるところで彼の肖像を目にする。クルマのフロントガラスに肖像を掲げている人も少なくない。まさに国家的英雄だ。
ソ連軍相手に戦ったイスラーム聖戦士、ムジャヒディーンの代表的人物。そしてその後の内戦期、さらにはターリバーンが席巻するかに思えた90年代後半、かつてのムジャヒディーン司令官たちのなかでは唯一、国外逃亡もせずにターリバーンに抵抗し続けた人である。それゆえに、ターリバーンの圧政からの解放、を謳いたい現政権下では勝利の最大功労者とされる。マスウド派であった、ということは、今でもアフガニスタン政界ではそれなりの力を持つようだ。
ただし、現実にはそう単純なものではない。この9月にブルハヌディーン・ラッバーニー元大統領が暗殺された。対ソ戦時、内戦時、組織的にはマスウドはラッバーニーの下の軍事司令官であった。ラッバーニー政府の国防大臣でもあった。そしてあの泥沼の内戦へと突入した。
ラッバーニー暗殺後、カーブルでは彼の追悼のポスターを多く見かけたし、数千人規模のラッバーニー追悼集会やその暗殺への抗議デモも開催されたという。しかし、ジャララバードでその報に接した私の友人たちは「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と唱え、笑顔すらみせていた。「ヤツが戦争を始めたのだ」「ヤツがカーブルを破壊したのだ」と。同じ批判はマスウドにも向けられる。「マスウドは自分こそがアフガニスタンだと思い上がっていた。」ある人はそう評する。またある人は「ラッバーニーと違ってマスウドは純粋だった。真の英雄だ。」と彼を讃える。ハザーラの多くはマスウド軍によるハザーラ居住区への無差別攻撃を「アフシャールの虐殺」と呼び、記憶し、彼を嫌悪する。
ラッバーニー追悼ポスターはジャララバードでは見かけなかったし、カンダハールでも見かけなかった。その両都市でもマスウドの肖像はときどき見かけないことは無い。マスウドは、彼の信奉者を除けば、あくまで「公的な」英雄なのだ。現政権がターリバーンに打ち勝った(現実にはターリバーンを負かしたのは米軍の軍事力であることは言うまでもない)ことをその正当性の根拠とし、反ターリバーン派の代表人物で、しかもその政権が樹立された時にはすでに世を去っていた、ということで英雄にされているに過ぎない。死者は汚れないし裏切らない。生者が飾り、利用してゆくのみだ。
街中で(カーブルと中北部都市に限るが)マスウドの肖像を多く見かけるからといって、必ずしも住民の多数がマスウド派なわけではない。内戦を生き抜いてきたか後の人にとって、現政権と折り合いを付けるのは文字通り命がけの処世術でもある。今はマスウド派の天下だから「マスウド派でござい」とパコール(マスウドがいつも被っている円盤形のフェルト帽)を被り、マスウドの肖像を掲げている人が、10数年前にはひげを伸ばして黒いルンギー(ターバン)を巻いて「ターリブでござい」とやっていた、ということだってあるだろう。生きるために、イデオロギーなど二の次なのだ。
上のマスウド聖者廟は完成するのだろうか?