伊達靖宗

伊達靖宗公記

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精神病は高知能者とアスペルガー症候群に多い。

2007年06月15日 | 伊達靖宗の意見
アスペルガー症候群など、自閉症と正常の中間地点にいる人間は、自分を理解でき分析できる。その為、自閉症ならば気にしない問題点に気づき、自尊心を病んでいく事が多い。理解できる事が精神を病むポイントである。高知能者も同様であり、低脳な凡人達は物事に対して非常に単純かつ鈍感に生きている。それは思考能力の低さから、パターンが少なく細かな所までみえていないという事である。しかし、高知能者は細かく物事を見る事ができ、思考回路の細かさと処理能力の高さからも解るように、非常に敏感だ。低知能者が思っている以上に低知能者を無様でみすぼらしい視線で見ている。あの様には見られたくないという意識も強い。ここで言う低知能者とは、管理職や企業の中でのポジションの高い反面、当たり前の事をこなしているだけにしか過ぎない人間などの事である。その低知能者は自分よりも下に馬鹿、アホが居るという意識が存在し、普通であるか、普通と比較して知的だという勘違いが多いのも特徴である。また、自分自身もまだまだという意識を理解できない低知能者は、下にアホ、馬鹿が存在するというポジションである事を心の中では理解している為、自分よりも劣ったと感じた場合、即見下すという行動が非常に多いという特徴がある。一般的に低知能者は自分の現状をより大きく捉えている事が最も問題であり、その事が高知能者のストレスになるポイントでもあるのだ。低知能者は低脳なモノの見方をしている為、時には高知能者を下に見るという勘違いも多い。低知能者やそれ以上の低知能者もその能力値を理解している場合は大体の場合問題にはならない。人は自分よりも下の者の様に見られたくないという考えがあるが、低知能者がそう思う相手というのは、基本的に外からの評価も頭の悪い人間と言われている人が多く、その様な相手を相手にしている為、問題は無いであろうが、高知能者の場合は、外からは馬鹿とされていない人間の問題点や、未完成な理論やものの考え方などが敵となる為、非常にストレスになっている。また、低知能者の勘違いほど高知能者のストレスになるものもない。これは学校一運動が出来る人間は弱い者や運動の出来ぬ者を馬鹿にしなくて良い心理状態なのに対して、中途半端な者ほど劣っているものに対する優越感が強いのと良く似ている。自己の問題点を突き詰める事無く単調に理由を付け納得できる低知能者は精神病になりにくいという事である。
精神病患者には知的な人物が多いという事の理由もそこにある。
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問題行動を単純に判断する低知能者こそがアホなのである。

2007年06月15日 | 伊達靖宗の意見
問題行動を起こす者がいた場合、他者に対する攻撃行動を起こす問題を持つ者に対していは死の制裁により裁くべきであり、死という制裁によってその者を救う事が出来るであろう。しかし、他者への攻撃行動とは別に、非常に自分勝手で臆病に見える人間が存在する。その場合、その問題行動の引き金になる理由を追求しなければならない。すぐに逃げる、すぐ怒るという人間がいた場合、それを簡単にアホや馬鹿と言う人間がいたならば、それは低知能者である。逃げるという行為は恐怖からの脱出行為であり、ある程度のレベルに達すると誰もがその場を後にするか、敵に刃を向く行為のどちらかを選択する。恐怖は生命を守る上で必要な行為であり本能である。トラウマや精神的な問題を抱えた者の場合、その恐怖を感じるレベルが非常に低い所から始まる場合には、小さな事でも逃げる、戦うという行為に出る事があるのだ。その様な人に対してはその精神構造の組み立てを安定化させる経験や、その恐怖に対する防衛作を与える事で問題行動はある程度収まるのだ。問題行動=アホな人馬鹿な人ではなく、問題行動=精神的なバランスの欠落、不足である。

人の心は城と同様に複雑に設計されている。柱が不足城に対して、柱を作る事は簡単ではない。その場合それに変わる外的な支えなどが必要になってくる。

また、その様な状態は軽いものから精神病と言われるものまで数多く存在し、何処からをはっきりと精神病と判断するかというのは非常に曖昧である。しかし、その問題行動を分析出来きぬのならば、それはアホであり私のような低知能者には理解できないと言わなければ、より悪影響を与える人間になるであろう。
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低脳極悪犯の授業 『黒田 恭史は低脳な極悪犯である。』

2007年06月08日 | 伊達靖宗の意見
ある小学校教師黒田は、パック詰めにされた肉などを食べている今の子供達に、その命の重さを教えたいを言う考えから、実際に豚を飼育し皆で食べるという授業を行った。黒田のクラスでは豚を飼いだした。名前をPちゃんとつけ、小屋を作り、生徒が皆で協力して作業を行う。家族のように解けこんだその豚を、殺して食べる日が近づく事で会議が行われる。その結果豚を殺す事はやめるという結果になる。下の学年の生徒達はその豚の飼育を引き継ぐという結果になっていた。しかし、生徒の保護者が、飼育して食べるという事で飼ったのではないか?という発言から、生徒達は豚を殺す側と、殺さない側に別れ、激しい意見をやり取りをする事になる。意見は半々に割れ、黒田の判断で全てが決まる状態になる。その結果、黒田や生徒は涙を流しながら、食肉として殺す事にした豚を見送った。

この出来事には致命的な問題点がある。


1命の大切さを教えると言っているが、教える側がその事を理解しているならば、結果を予測する事は簡単な事である。


2一度は殺す事が出来ないと、命の重みを優先した結果になったが、生徒の保護者が言った言葉によって、命の大切さVS筋を通す事という構図に変化してくる。


3助かる状態があり、またその状態を作り出す事をせずに、殺す側に投票した生徒達は奇麗事や理由を付け、殺す選択している。命の大切さを超えるモノを優先した形になっている。


4殺害に向けて出発する日、殺害する選択をした黒田と生徒は、涙を流しながらもその命を奪っている。筋を通す事を優先した、または命よりも大切なモノがあったという証である。


5筋を通す様な振る舞いをしたにも関わらず、殺す側に投票した人間はその肉を食べていない。自らの手で殺していない。その二つを自ら実行する事こそが、大切なモノの命の重みであり、殺すという事である。他人任せの殺害ほど馬鹿げた事はない。


6筋を通す、言った事を守るというのは、判断の出来ない人間を縛り付ける鎖であり、本来は儀や道徳によって守るものであり、縛られるものではない。その事が理解できぬ馬鹿が中途半端な人任せの殺害を選んでいる。


7小学生の年頃の10歳前後という時期は、人生の中でも記憶力が高い時期であり、その行為を実行しなければ理解できないのであれば、それは重度の知的障害かあほでしかない。


8学校の教師となる者には、それ以上に教えるべき事が数多くある。人間が肯定的に事実を捉えるために必要な自尊心の確立こそが、悲しみ、思いやり、優しさ、いじめ問題肯定的な結果に結びつく事すら頭に無い。心理学すらまともに理解できていない低脳な行為である。


9やった事が良かったのか悪かったのか解らないと言うあまりに低脳な馬鹿としか言いようの無い発言をしている。


10当時の日本の環境では病気などで命を落とす子供が多く、そこで命の大切さを学んだというが、それは事故である。このクラスでは彼らが自ら殺すという選択をしている。


11泣きながらも大切なモノを殺害する選択は、非常に恐ろしく残虐である。オウム真理教の地下鉄サリン事件の実行犯のメンバーには泣きながらその残虐な犯罪行為を行っていた。


道徳心は自尊心が健康な状態の人の素直な感情である。しかし、その素直な感情に甘えや都合ができる事で形を変えてしまう事がある。それを防ぐ為に、決まりや規則、筋を通すと言う事を教育している、しかし、この規則に縛られる事で本来の道徳心自体に悪影響を与えてしまう事もあり、それが今回の結果の現れである。
また問題なのは、この授業の講義を教師の卵の集まる大学の現場で行い、その中の学生にはこの授業をやりたいと言う者がいた。
もし、その教師の卵が、生徒達が自ら意見を出し合い奮闘する姿をみてそれを思ったのならばその人間には死の制裁を与えるべきである。なぜなら、それはせざる得ない、命を教材として利用しているだけに過ぎないのだ。
アホは何をするかわからない典型的な例であり、教育には信念と確立された理念と目的、計画は最低限必要である。
また、このテレビや本を見た主張者は軽はずみな意見や、物事を理解し、自分の意見で説明をつける事の出来ない様な状態での発言には意味が無く馬鹿の手助けであす。

この様な理解と計画なき、低脳な意識なき極悪殺人犯である。
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