伊達靖宗

伊達靖宗公記

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日本人の美意識

2007年05月24日 | 伊達靖宗の意見
一部の人間の間では、美意識は支配階級への憧れであり、当時は先進敵な国であった中国的な顔立ちが良く、現在は進んだ欧米的な美意識が強いというが、そう単純なものではないのである。日本という国には、当時、縄文人が暮らしており、彼らは非常に立体的なマスクをしていた。縄文人は旧モンゴロイドといわれている。そこに大陸から寒さに適応し平坦な顔に進化した新モンゴロイドが、弥生人として列島に渡ってきたのだ。
この当時の絵は皆一重でおたふく顔というが、彼らが中心として築づかれた京都や奈良は弥生文明であり弥生人の世界観しかないのだ。しかし、その当時、東日本では縄文人は狩猟を行い生活をしている。その東日本では当然縄文人達の間で、また違う美意識が存在する事は当然であり、その当時の美人像はその当時の日本列島の一部の美意識にしか過ぎないのである。その後、数百年たった江戸時代で花開いた世界的文化としてしられる浮世絵を見ると、またもや平面的な細い目の女性が描かれている。これは弥生文明が全国的に広がっただけではなく、その当時の絵の書法を受け継ぎ出来たものであり、江戸に住む人々の美意識や美人像と簡単に言ってしまうのはあまりにも単純な馬鹿人間の意見である。例えば、男性であるが、その時代に知られる新撰組の土方歳三は、非常に現代の美意識に近い容姿をしている。その土方歳三は当時非常にモテたと言われている。この時代、その様な顔立ちが非常に良いとされているのにも関わらず女性は平坦な顔が良いというのは、少し矛盾が生じるのである。たとえば、顔にはその人間の3代前までの先祖が現れると言われるし、現代の夫婦などには共通のバランスが存在するなど、自分と遺伝的に近いものを判断すると言った要素が顔には含まれており、単に時代や流行とは別次元な遺伝的要因による異性への魅力という要素が組み込まれている。そうなった場合、この土方歳三が自分と近い遺伝を持ったものを捜し求めた場合、平坦な顔立ちをしたおたふくであろうか?また、夫婦やカップルは良く似ているというが、これはマッチングや類似説という心理学的な要因が絡んでくるのだ。その様なものをトータルとして考え場合、単に支配階級に対する憧れと言ったようなあまりにも単純な意見では無い様に思えてくる。また、当時は現在と比べ人の移動がたやすい時代ではない。だからこそ地域差が顔には強く出ているし、縄文系弥生系の遺伝的差も現在に比べ地位差が根付いているはずである。弥生文明から距離のあった江戸には、京都や奈良にくらべ堀の深い顔が多いという事は確実であり、現在以上い差がある可能性も高い。その場合、浮世絵顔が美人とされていたかと言えば、絵の文化と生の人の美の文化には違いがあるのではないであろうか。また、現代の日本人は西洋人の顔に憧れる言うが、そのれ一部では確かな事だが、それは数多くの要因の中の一部でしかないのだ。美の多様性を見ずして一部を見て決め付けるのは、現代で例えれば、浜崎あゆみが美人とされていると言っているようなものである。一国の歴史ある国の美を語る上で、憧れ真似をする側の、その国の誰もが認める代表的な美を持たぬモノが美を語る時点で、それは間違っている様に思う。
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