伊達靖宗

伊達靖宗公記

日本国憲法第9条 平和憲法

2007年05月20日 | 伊達靖宗の意見
日本国における憲法第九条とは、戦争の放棄であり、一切の軍備を保有しない、と言う事が記述されている。

この法律は日本の敗戦後、アメリカが自分達にとっての都合を考えて作り上げた法律である。

この憲法第九条の解釈は数多く存在するが、この法律が今の日本の意思や平和を阻んでいる悪の憲法になっている側面があるように思われる。

日本における自衛隊は、この憲法第九条に記述されている、一切の軍備を保有しないという箇所には、少なからず合致しなというところは否定できないであろう。

しかし、戦後日本、日本人から世界を見た場合、闘いに終止符を打たれたかの様に振る舞い暮らしてきたであろうが、近隣諸侯にはソビエト連邦が存在し、朝鮮半島は分裂し互いに争ってきた。

平和になったのは国内とアメリカの軍事的な力、核の傘という後ろ盾によるものであろう。
自衛隊は敵国を攻撃する能力は持たず、防衛の為の戦力を有している。その為、現在日本に攻撃を仕掛けてくる国が存在した場合、自衛隊は日本の領土内で敵と好戦し自国を守るり、その国に対しての攻撃はアメリカ軍が行うといった形になる。

また、アメリカが攻撃を受けた場合や、諸外国で緊急な事態や災害が起った時に自衛隊を送り救出、復旧作業を行う、戦争ではなく平和的な海外遠征と言って良い状態でも大きな障害となるのである。

現在、アメリカの行動は自国の利益の為、世界に軍隊を派遣し、周囲を振り回す国となっている。日本はそのアメリカの軍地基地を国内に設置し同盟関係にあるが、その基地の意味はアメリカのアジア地域での影響力行使など、自国利益の為に他国に対しての攻撃基地でしかない。湾岸戦争当時も同様である。日本が平和で戦争の無い国にするには、このアメリカの基地を追い出し、自国を国防軍で守り、戦争や争いに一切加担しない独立国家になる道が有力ではないだろうか。それが出来ずにアメリカの力、核の傘の下、アメリカという海賊の仲間になっているからこそ攻められないでは、平和な国ではなく海賊の基地、戦争国家の軍地基地でしかない。

確かにアメリカ軍の基地を国内に置く事で数多くの利点もある。高度成長期におても、日本は軍事費に対しての出費を控え、その分経済活動に投資する事ができたという場面もあるだろう。

本当に戦争のない平和な国と言うのならば、スイスの様に中立国ならまだしも、アメリカの戦争を手助けしている様では戦争をサポートしている国ではないだろうか?
戦争や争い事には、何処とも関わる事の必要性のない、無い良い意味での強固な軍隊が今の時代には必要である。戦争と言うのは国と国の争いであり、戦争の無い平和ない国など、たった一国で行えるようなものではない。

また、戦争の無い平和な国といって自衛隊を否定してアメリカ軍を否定し、軍と言うものを全て否定している人間は、理想を掲げているだけであり、中国やロシア、北朝鮮などの国の事も考えず、現実も関係なしに理想を口にしているだけの人間でしかないのだ。。そうなった時の事を現実問題として語る事が出来ないのであれば、それは計画なき妄言でしかない。世界で唯一軍隊をもたない国は南米のコスタリカである。しかし、コスタリカのバックにはアメリカの存在がある事も忘れてはいけない。また日本のような島国であり、経済大国であり技術、産業の発達した国、そして北朝鮮やロシアなどのならず者二流国家が身近にある国とは比べる自体が間違っている事である。
現在でも、日本領空にはロシア機や中国機が相当な数で進入するに近い状態が続いている。それは海の世界でも同様である。この様な物騒な場所に位置するのが日本であり、自衛隊では役不足である。だからと言ってアメリカ軍に依存している限りアメリカの暴挙を永遠に手助けする戦争補助国家のままである。強い経済と産業、技術をバックに、出来る限りの事は自国で行い新の意味での自立が必要ではないであろうか?
自衛隊は常にGDPの1パーセント、約4兆円である。GDPの1パーセントと言うのは諸外国と比べても非常に少ない。4兆円とい額は決して少なくないが、物価の高い日本、一部では兵器が老朽化しているという状態で、多いといえるのだろうか?
やはり、自衛軍として、日本の平和を守るためには足りないと言わざる得ないであろう。
やはり、長期的な戦略として、米軍を縮小させ、国防軍とし自国を防衛し、時には敵国の攻撃基地を破壊する事の出来る力が必要である。他国に影響されず、他国を振り回さず平和を目指すのが良いであろう。北朝鮮問題を自国だけの力で解決する事の出来る力を保有していれば、アメリカのイラク戦争を否定できたのである。自衛隊は北朝鮮からの攻撃を出来るかげり防ぐ能力しかないからこそ、北朝鮮有事にアメリカの力が必要であり、その時の為に意思に反した戦争に加勢する側に立たざる得ないなどという事は、平和な国の行いではないのではないであろうか? そして大日本帝国時代の過ちと言う言葉を聞くが、その当時の世界を取り巻く時代背景を理解し、現在の世界の状態を見て言うならまだしも、『侵略』という言葉だけを見て語っているのでは意味が無いのではないだろうか。どうあるべきか?と言う事を考えなければならない時に来ているという事だ。 

ただ、集団的自衛権に絞った現在の憲法第九条の改正は、アメリカとの関係を重視した形での改正であり、本来あるべき日本の姿とはズレているようにも思えるが、長期的に見て間違いではないであろう。


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2 コメント

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軍を否定する平和ボケは (Rabenschwarz)
2007-05-23 20:39:40
 現実を見ようとしないんですよね…。護憲派と称されている人にもそんなタイプの人が結構多いですが、怒りや呆れを通り越して失笑の領域に入ってます。(人数だけ多いものの、内容はほとんど一緒)
 現実問題として、自衛隊の装備品の値段は世界一高い物が多く、また壊れやすいので、戦力としても心許無いんですよ。おまけに生産性も低いので、制定から10年経っても定数に達していないものなどザラです。
 本当は国防に費やすGDP比率を最低でも各国並み、周囲の状況を鑑みればそれ以上にすべきなのでしょうが、それすら妨害する国内の売国奴が多すぎるんですよね…。
伊達靖宗 (Unknown)
2007-05-24 06:20:51
その通りですね。資金が行き渡っていないうえ、理解にも恵まれていない状態で何が出来るのか?というのが今の日本の状態ですね。質の向上で人を削減するにしても、資金が無ければ問題だと思います。強く自立する国防軍と諸外国の攻撃能力による完全なる自立は究極ですが、少しは右に流れるべきですね。