伊達靖宗

伊達靖宗公記

織田信長と右脳の力

2007年05月24日 | 伊達靖宗の意見
日本の歴史の中で、最も人気があり、常識に囚われず己の頭の中で新しい時代を作り出し、実現させていった人物と言えば織田信長と坂本竜馬であろう。
織田信長は幼き頃より大うつけと言われ、女物の着物を独自にアレンジして着こなし、道の真ん中でモノを食べるなど、その他の多くの行動は人とは違っていた。理由としては母親が信長を可愛がらなかったという事への反発や、周囲を欺き己の知性を隠していたとされているが、やはり信長の多くの行動は、右脳のヒラメキや発想を素直に実現させていた様に思われる。農民、町人に関係なく付き合う事が出来たのも常識や身分以上に右脳の感覚やモノの見方、血統の良い家系に生まれたのにも関わらずその利点を実感する事が出来なかったなどの理由であろう。優秀な家系に生まれ、その流れに従うことで利点を生み出す幼少期を過ごしてしまう場合、それは作り出す事ではなく従う事で生きているも同然である。その過度では自分で作り上げ独自の価値観は必要ないからである。また、わざと馬鹿をやり周囲を欺いたという発想も、常識的なモノの見方しか出来ない人間の考えであり、信長の幼少期の行動の意味や発想を理解したうえで語ることの出来ない右脳未発達者の言い分のようにも聞こえる。その証拠に信長は大名になってからも基本的な行動はそれほど変わっていない。右脳派の特徴であるイメージとして全体を作り上げる事は、左脳派には理解できないのは当然である。左脳派に文章で右脳派の作り上げた広大なイメージを理解させる事は非常に時間がかかり、右脳派にとって最も厄介な作業であるからこそ、信長は周囲の人間に自分の考えを理解させる事に関心が無いなどと言われたのであろう。一瞬映し出される映画のコマーシャルを文章で伝えるには、コマーシャルの15秒では無理と言う事である。パソコンの画像データの要領と文章データの要領の差であり、意味の無い起った出来事を延々説明する発想なき会話を得意とするようでは馬鹿でしかないと言う事であろう。また、若き頃の信長は南蛮鎧を身につけ戦場に行く行動や、マントなどその当時珍しい西洋モノを身に着ける行為、第六天魔王と名乗るなど、旧来の貴族や高い身分や血統、伝統や常識に対して独自に作り出した世界観や思想で対抗していたように思われる。
また、戦の場、特に武田軍との闘いでは過去に前例の無い事を成し遂げている。過去に前例のある事を応用して作り上げるのが左脳派であれば、右脳派は自分で作り上げると言う証拠である。そして信長が天才でなく右脳派だと言う証は信長の性格に現れている。右脳は状況判断能力の速さ、感情、イメージ、発想をつかさどっている。信長の短気な性格には、過去の問題もあるであろうが、相手の発言や行動を即、右脳のイメージ→判断→感情に結びつければ理解できるのではないだろうか。
やはり天才と馬鹿は紙一重と言うが、馬鹿は右脳をあまり使う事の無い左脳派であろう。左脳派は本来右脳派の作り出す事をロボットの様に粗探しを行い、実行していくべき人間なのかもしれない。

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