伊達靖宗

伊達靖宗公記

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宗教の必要性  伊達靖宗の詩

2007年05月22日 | 伊達靖宗の名言
宗教というものの信仰は、度合いの濃さは落ち度の現れであり
己で考え正論を生み出す事の出来ない弱者を固定させる為のものである。弱者ゆえ、支配や誘惑に弱く信念無きにして目標無し。
非道の道へ走らさぬ為縛り付ける救済処置である。
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いじめは劣等感のごまかし行為である

2007年05月22日 | 伊達靖宗の名言
己の中にある大きな失点に目を向ける事が出来ない愚か者は、他者の失点を探す事に必死になり、己の劣等感から目を遠ざけるのである。負け犬のごまかし行為であり、最も見苦しく自ら劣等な者であると言っている様なものであり、非常に無様な姿である。自分の劣等感をごまかす為、他者の問題点を指摘、または作り出す事をしている様では、己を見る機会なく、己を見なければ劣等感の克服も、自信を持つ事もないまま、恥と無意味な抵抗に時間をさくだけである。己は常に付きまとい、常に共に行動するもの。自己の失点に目を向け、性格が暗くなれば問題との向き合い、闘いの時期であり克服への道を歩んでいる証である。性格的失点は己に向けるモノではなく、他者に向けるモノにあり。

歴史的な人物である徳川家康も、他者の失点に目を向け攻撃する事を愚かな行為としている。
この様な無様な行為を行うモノを育てているのは親であり、親に自信というものや問題点を見据えるという事が欠けている証である。これは劣等である証である。劣等感は伝播するのだ。名を売る事のない共同作業の土台では、問題ある農民は他者の失点を探し出す事に時間を費やす。己を信じ名を売り出し命を欠けて名誉を狙う武士の家系では、利点を見出し褒める事が行われる。集団主義者ほど一人当たりの価値が少ないものも無いのである。当時の農民が武家が力を持つ時代に軽視されるのも当然の成り行きである。
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