先週、最近お世話になっているヒーラーの方に言われたこと。
それは、私は「人に自分のテレビのチャンネル権を渡して、見たくもない番組ばかりを見続けている」状態だということ。
いろいろな解釈ができるのだけど、例えば、人が自分をどう見ているかということに基準を合わせて、自分自身がどうしたいかを置き去りにしていること。それに嫌気が差して文句ばかり言っているのに、ネガティブなことから抜けだそうとしていないこと…というようなことなんだと思う。
引き続き読み漁っている『おとなの小論文教室。』
2010年9月22日に公開されたコンテンツの中に、一文を見つけた。
"まるで、自分の言動を、
リモコンで操作されているかのように、
自分で自分の言動がコントロールできない。"
私にとっては、言動のみならず思考もなのかもしれない。
最近とにかく色々な本やウェブサイトのコンテンツを読み漁っています。人の意見、視点を知りたいと以前のポストで書いたのも本音ですが、もしかしたら自分の思っていること感じていることをうまく明文化しているものを探しているのかもしれません。そして、自分の思いを信じて前に一歩踏み出すために背中を押して欲しいのかもしれない。
それが、面白いことに、本やウェブサイトで見つける文章は、確かに自分の思っていることを上手く表現してくれているので、「そうそう、そうなのよ!」と深く納得をし、共感者を得たような気持ちになるのですが、それらのメッセージは言葉は違えどだいたい同じような内容。もう本当は自分の気持ちの中では明確な答えが出ているのに、勇気が出なくて最後の一押しを探し続けているのかな、と。だから、そういう文章や言葉を見つけると「あった!」と嬉しくなるけど、結局次を探し続けている。足踏み状態。
結局最後は、自分で決めなきゃいけないんですよね。
そう、そういうことも頭ではわかっているのですが。でも、そろそろその時期が近づいてきているように思います。
それは、私は「人に自分のテレビのチャンネル権を渡して、見たくもない番組ばかりを見続けている」状態だということ。
いろいろな解釈ができるのだけど、例えば、人が自分をどう見ているかということに基準を合わせて、自分自身がどうしたいかを置き去りにしていること。それに嫌気が差して文句ばかり言っているのに、ネガティブなことから抜けだそうとしていないこと…というようなことなんだと思う。
引き続き読み漁っている『おとなの小論文教室。』
2010年9月22日に公開されたコンテンツの中に、一文を見つけた。
"まるで、自分の言動を、
リモコンで操作されているかのように、
自分で自分の言動がコントロールできない。"
私にとっては、言動のみならず思考もなのかもしれない。
最近とにかく色々な本やウェブサイトのコンテンツを読み漁っています。人の意見、視点を知りたいと以前のポストで書いたのも本音ですが、もしかしたら自分の思っていること感じていることをうまく明文化しているものを探しているのかもしれません。そして、自分の思いを信じて前に一歩踏み出すために背中を押して欲しいのかもしれない。
それが、面白いことに、本やウェブサイトで見つける文章は、確かに自分の思っていることを上手く表現してくれているので、「そうそう、そうなのよ!」と深く納得をし、共感者を得たような気持ちになるのですが、それらのメッセージは言葉は違えどだいたい同じような内容。もう本当は自分の気持ちの中では明確な答えが出ているのに、勇気が出なくて最後の一押しを探し続けているのかな、と。だから、そういう文章や言葉を見つけると「あった!」と嬉しくなるけど、結局次を探し続けている。足踏み状態。
結局最後は、自分で決めなきゃいけないんですよね。
そう、そういうことも頭ではわかっているのですが。でも、そろそろその時期が近づいてきているように思います。
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