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日常の出来事ほか

未来への警告(といってもたった78年まえのこと)

2011年05月07日 22時40分20秒 | しゃかい
 人類は様々な方法で未来に警告を発していたのです。文字がなかった時代には、言い伝えや歌や絵によってメッセージを残していました。その土地に伝わる「昔ばなし」はバカにはできませんね。

 ところで、今回の津波の被害は予想できなかったのでしょうか。いいえ、そんなことはありませんでした。先人達はキチンと警告をしてくれていたのです。(もちろん正式に記録にも残っています。)

三陸沿いには津波を警告する約200基の石碑が建てられているそうです。
「地震があったら津浪の用心,津浪が来たなら高い所へ、あぶない所に家を建てるな」(岩手県種市町小牛内 昭和8年)
「大地震の後には津浪が来る,地震があったら此処へ来て一時間我慢せ、津浪に襲われたら何処ても此の位能高所へ逃げろ、遠くへ逃げては津浪に追付かる、常に近くの高い所を用意して置け」(岩手県田老町田老小学校前 昭和8年)
「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな;m29にもs8にも浪は此処まで来ては全滅した生存者2人,幾歳経るとも用心」(岩手県宮古市重茂姉吉 昭和8年)
「地震があったら津浪の用心せよ,津浪が来たら高い所へ逃げよ,危険地帯に居住するな」(岩手県大槌町吉里吉里金毘羅社 昭和9年3月)
「地震があったら津浪の用心 それ津浪機敏に高所へ 広田村 低いところに住家を建てるな 津浪と聞いたら欲捨て逃げろ」(岩手県陸前高田市広田町根岬 昭和9年3月)
「s8,3,3(紀元二千五百九十三年)の津波を忘れるな、強い地震に油断をするな、地震後海がドンとなったら津浪と思え、津浪と知ったら高いところへ逃げよ、永久子孫に伝えんがために是を建てるなり」(宮城県牡鹿町小網倉)
 
 これらは昭和三陸地震(津波)のあとに建てられたようです。今から僅か78年前のことです。この地域は昔から何度も地震や津波の被害にあっています。

【東日本大震災】津波 失敗は伝わらない【2006年放送】

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