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☆京都 晴明神社 * 日本古来の占術を操るとされる陰陽師

2022-03-27 | ♥京都・奈良の旅

門の五芒星に太陽が射し、影絵のよう映し出された

 

 

一の鳥居

額に掲げられた金色に輝く社紋「晴明桔梗」または「五芒星」とも呼ばれ

安倍晴明が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつです

 

孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、

幼い頃から非常に多くの道に秀でておられました。

特に、天文暦学の道を深く極められ、式神を思いのままに操る霊術をも身に付けられておりました。

成人されてからは、天文陰陽博士としてご活躍。天体を移り行く星や雲の動きを観察し、

宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたと伝えられています。


安倍晴明は、

朱雀帝から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇の側近として仕えられ、数々の功績をたてられます。

村上帝に仕えておられた際には、唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれ、

帰国後、これを元に日本独特の陰陽道を確立されました。

今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法は皆、この時に創られたものです。


そして、一条帝に仕えておられた寛弘2(1005)年9月 26日、85歳でお亡くなりになりますが、

晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。

「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、

さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」

そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。(参照:晴明神社HP)

 

 

  

 

 

 

安倍晴明を知ったのは羽生結弦選手が演じたフィギュアスケート「SEIMEI」

その後、野村萬斎出演映画(未鑑賞)で知りましたが、神社まで存在していたとは不覚

 

 ☟ のYouTube とても良く出来ています

 

羽生結弦 × 野村萬斎【MAD】 SEIMEI × 晴明 yuzuru hanyu × mansai nomura

 

 

その姿は日本古来の占術を操るとされる陰陽師(おんみょうじ)

 平昌五輪で連覇を狙う今季、23歳の世界王者はフリーとして2季ぶりに「SEIMEI」を選んだ

平安時代に生きた安倍晴明が主人公の映画「陰陽師」の劇中を編曲したもの

監督・編集 ゆづ 小町

 

 

 

参道脇に建つ「日月柱(にちげつちゅう)」

この柱上にある日月石像は、篤志家によるご奉納で

南に「日」、北に「月」を配し、まさに 陰陽を表しています

また石柱は、かつて四神門の門柱として使われていたもので

「明治37年9月晴明公九百年祭紀念」と刻まれています

 

 

 

 

晴明神社

創建は、寛弘4(1007)年、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です

晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために

晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました


古い資料によれば、は堀川通、西は黒門通、は元誓願寺通、は中立売通

という広大なものであったとされています

ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小

古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました


その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ

昭和25(1950)年には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど

晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました


近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ

全国にその崇敬者を集めるようになりました

平成15(2003)年には、御鎮座壱千年祭が斎行されました

 

 

 

 

 

 

 

晴明公が念力により湧出させた井戸が、晴明井

水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます

(現在のモニュメント(石臼型)は、まだ新しいですね)

 

 

晴明井の下には、天文陰陽師ですので北斗七星」は後付け?(すみません勉強不足で)

 

 

 

 

 

二の鳥居

 

 

旧・一条戻橋

死者も蘇るとされた一条戻橋

源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名

現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしだとか

先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、「一條戻橋」を境内に再現しています

 

 

式神石像

式神とは、陰陽師が使う精霊で、人の目には見えません

式神がこの橋を渡る人の占い、橋占(はしうら)をしていたと伝えられていた

 

 

 

本殿

 

【晴明神社】安倍晴明公像

出典:晴明神社公式チャンネル

 

 

晴明公が、衣の下でを結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子

 

 

 

厄除桃

古来、中国また陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれます

『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれています

昔話、「桃太郎」もこれに由来するものだと思われます

この桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになるらしい

 

 

 

四神門

四神門(しじんもん)は、当神社の塀重門です

石柱の上には、四神(の青龍・の朱雀・西の白虎・の玄武)が掲げられています

 

 

帰り、お散歩中の地元の人から教えて頂いた

「2月、この時間の太陽からの光は、門の五芒星の位置を射しその影絵ができます」

と言って、ご本人自身がスクリーン代わりになって説明してくれました

(2月中旬でしたので、太陽がまだ低いのですね)

 

 

 

 

五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝されてきました

近代では、戦時中に弾除け(多魔除け)の意味をかついで、軍帽に刺繍されていました

今でも伊勢志摩(三重県)の海女さん達は、頭に巻く手拭いに☆を刺繍したり、貝を採る道具に彫ったりして

安全を祈願されているそうです

 

私は子供のころ覚えた「一筆書き」を、今でも大事な個所にマークを付けています

なるほど安全祈願にも役立っていたのですね

 

参考資料:【晴明神社】公式HP

 

 

 

こちらはダビデの星

関係ないですが

二つの正三角形を逆に重ねた六芒星(ヘキサグラム)

 

イスラエルの国旗にも入っている六芒星

 

 

 


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