mairiの旅行記

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皇帝の見つめる未来

2017年04月09日 | 氷花繚乱
ワールド開催中の3月31日に、エフゲニー・プルシェンコが引退を表明しました。

ソチ五輪の個人戦棄権の後、試合に出ることはありませんでしたし、彼の身体が極限の状態なのは周知のことでしたから、驚きはありませんでした。
このまましばらくショースケーターとして華やかな世界で生きていくのか、それとも別のセカンドキャリアを歩むのか。平昌五輪シーズンになれば、今後のプランに関するニュースも入ってくるだろうと思っていたところ、プレシーズンの最後に、自身のスケートアカデミーの開校が発表されました。そして、もう競技復帰の意志がないことも。

ニュースを聞いた時、私が感じたのは「安堵」と「喜び」でした。もう、無茶をして寿命を縮めるようなことはしないだろうということについての「安堵」。そして、何も思い残すことなく第2のキャリアに進むことができることに対する「喜び」。

2006年のトリノ五輪で、プルシェンコは欲しかった最後のタイトル―五輪金メダリスト―を手に入れました。
その後、競技に出場せず、サンクトペテルブルグ市の議員となり、スポーツの振興に取り組む姿を見て(そしてビールで立派になったお腹を見て(笑))、このままセカンドキャリアに移行していくのだろうと思っていました。
でも、彼は2010年のバンクーバー五輪に出場し、クワドを跳びました。クワドの第一人者として、当時のルールと時代の流れに抗議するために。
結果は銀メダルでしたが、ここから時代の流れは明らかに変わりました。(この流れには、パトリックも大きな役割を果たしたと思っていますが、ここでは割愛。)
そして、「新・四回転時代」が築かれる中で迎えたソチ五輪。夢だった母国での五輪は、選考過程も含め、思い描いていた最高の形ではなかったと思います。でも、彼が4度目の五輪に出場してクワドを跳び、団体戦で金メダルを手にしたことは、間違いなく大きな功績でした。

お調子者で強気なキャラクター故に、特にバンクーバー五輪前後からは、発言が独り歩きして批判されることもありましたが、彼の気持ちは、一貫して「フィギュアスケートの未来の為に、僕は跳ぶ。」と言うシンプルなものだったのだと理解しています。

ソチ五輪から3シーズンを経て、ついに到来した「真・四回転時代」。来年の平昌五輪は、ソルトレイクを超える空中戦となることでしょう。
このタイミングでの引退宣言は、彼が待ち望んでいた、新しい世紀が本格的に開幕したことに対する宣言でもあるのだと思います。

ジェーニャ、素晴らしいセカンドキャリアのスタートおめでとう。あなたの未来、そしてフィギュアスケートの未来が、輝かしいものであることを祈ります。


皇帝プルシェンコ、スケート学校開校
2017年4月8日0時0分

■特派員リポート 駒木明義(モスクワ支局長)
 3月31日に現役引退を表明した男子フィギュアスケートのエフゲニー・プルシェンコさん(34)が5日、モスクワ市内にスケート学校を開校した。4回転からのコンビネーションジャンプや豊かな表現力で現代のフィギュアスケートに新しい地平を開いただけでなく、底抜けのサービス精神で日本でも多くのファンをとりこにしてきた「皇帝」が、新しい挑戦に乗り出した。

 プルシェンコさんが多くの記者の前に姿を見せるのは、引退表明後今回が初めて。
「自分のアカデミーを開くことをずっと夢見てきた。それがついに実現するんだ」
記者会見の冒頭、プルシェンコさんは興奮した面持ちで語った。モスクワ中心部から車で30分ほど。スケートリンクと、最新のトレーニング設備。さらに、ログハウス風の真新しい宿舎が立ち並ぶ。ここが、新しいフィギュアスケート学校「プルシェンコの天使たち」だ。

 引退でファンががっかりしているのでは。記者からそう問われたとき、上機嫌だったプルシェンコさんは一瞬視線を落とした。
 「誰にでもそのときは必ずやってくる。僕にはもう、闘志と意欲が無いんだ。氷上に出て、戦い、転び、最高レベルの競技に必要な新しい要素を身につけるというような。もう本当におなかいっぱいなんだ。それに、競技人生で15回も手術を受けたことも大きい。最後のはとても困難なものだった。だから今、現役を退くことには、何の未練もないよ」
 「今は、僕の教え子たちが、僕がそうだったように、多くのファンを喜ばせるようになることを目指しているんだ」

 自身もアイスショーへの出演は当面続けるというが、そのために割ける時間は今までよりも減る見通しだという。今は、アカデミーを軌道に乗せることが最優先だ。
 国からの補助などはないが、才能豊かな子供、将来性のある子供は無料で引き受けるという。
 「外国からも問い合わせが殺到している。驚いたくらいだ。外国のスケーターも受け入れるか、ロシアだけにするか、今考えているところだ」

 ロシアのスケート専門記者の質問が集中したのは、ソチ五輪女子金メダリストのアデリナ・ソトニコワ(20)についてだった。これまでのコーチを離れ、プルシェンコさんと契約し、世界中を驚かせた。
 「僕が声をかけたわけじゃない。PRのためじゃないかなんて書かれたけれど、僕たちにPRは必要ない。彼女自身が決めたことだ。僕は、彼女をサポートするだけだよ」
ソトニコワのコーチを務めることを「挑戦だ」と話す。
 「アデリナに言ったんだ。復帰は大変だよと。でも僕も同じような状況だった。それを乗り切った。彼女にどんな助言をすべきか、どう助けるべきは知っている。それに、彼女はまだとても若い」
 来年の平昌五輪に残された時間は少ないが、その先の国際大会や五輪を視野に入れて取り組む考えだ。

 プルシェンコさん自身は、どんなスタイルのコーチになると考えているのだろうか。
 「僕は厳しいコーチになると思うよ。中には、やりたくなければやらなければいい、というコーチもいるけれど、僕はやらせる方だと思う。僕のミーシン先生は一度も無理強いしたことがなかったけれどね。僕は始めたばかりでエネルギーいっぱいで『早くしろ、時間がないぞ』という気持ちだからかもしれない。だから、そのうち変わっていくかもしれない。どうなるか見てみようよ。僕はまだほんの小さな一歩を踏み出したばかりなんだから」


最後に、私の選ぶBest 3 of Plushenkoを貼っておきます。(ソチで披露されたミーシン翁の迷プロは含まれておりません;)

3位:2006年トリノ五輪SP

トリノはやっぱりSPの方が印象に残っています。ものすごい緊張感からのガッツポーズは鳥肌モノでした。

2位:2004年ロシアナショナルFS

多くのファンが認めるプルの傑作プロ、ニジンスキー。ジャンプやステップはもちろん素晴らしいのですが、終盤の「薔薇の精」のポーズが美しすぎます。

1位:2012年ヨーロッパ選手権FS

満身創痍で出場した最後のユーロ。Jスポ生放送時は号泣でした。当時のブログはこちら

改めて、本当に長く活躍してくれた選手なんだなあ。。。
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