ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

十三人の刺客(13人の刺客):三池崇史監督が描いた「武士道」という虚構性

2010年10月11日 | 映画♪
もちろん「ヤッターマン」をあんな風に再現できるのは三池監督の手腕によるものだとわかりつつ、やはり三池監督の凄さというのは、疾走シーンや乱闘シーンなのだと実感。50分にわたる戦闘シーンはその魅力満点で、こんなに面白かった時代劇というのは勝新太郎が自ら主演をした「座頭市」以来だろう。役所広司、山田孝之、稲垣吾郎、松方弘樹、市村正親ら豪華なキャスト陣に彩られた10年代の時代劇の名作の誕生だ。

【予告編】

Thirteen Assassins (2010) official trailer


【あらすじ】

将軍の腹違いの弟という立場に甘んじ、悪行の限りを尽くす明石藩主・松平斉韶(なりつぐ)。幕府の老中は、この暴君が国の要職に就く前にひそかに闇に葬るよう、御目付役・島田新左衛門に密命を下す。斉韶の凶行の数々を知った新左衛門は、命がけで大義を果たすことを決意。信頼が置けて腕の立つ刺客を集め、斉韶が参勤交代で江戸から明石へ帰国する道中を狙うことに。わずかな手勢で300人を超える軍勢を迎え討つため、新左衛門たちは落合宿を買収。大掛かりな罠を仕掛け、斉韶ら明石藩の一行を待ち受けるが…!?(「goo 映画」より)

【レビュー】

この映画、天才・三池監督の作品ということで、「DEAD OR ALIVE」や「ゼブラーマン」、「クローズZERO 」のように中だるみがないかと心配だったのだけど、前半から後半の戦闘シーンまで一気に駆け抜けて、2時間半という時間を感じさせない。SMAPの稲垣吾郎が極悪人を演じるとか、殺陣が話題だとか、もちろんエンターテイメントとしてそのままその迫力を楽しむこともできるが、この作品が描いた世界はそんなに単純なものではない。

この物語の中で三池監督が描いたものは、何も極悪非道の松平斉韶vs人民のために決起した13人の刺客という単純なストーリーではない。三池監督が描いたのは、「武士道」という虚構の愚かさであり、それに殉ずる人々の愚かさであり悲しさだ。

物語の構図としては、残虐な松平斉韶(稲垣吾郎)を討とうとする島田新左衛門(役所広司)率いる13人の刺客と、家臣としての本分のために斉韶を守ろうとする鬼頭半兵衛(市村正親)らとの対立という形になっている。しかしそうした「武士社会」をベースとした対立の中で異色な人物が2人いる。それが家臣でさえもゴミのように扱う松平斉韶であり、山の民である木賀小弥太(伊勢谷友介)だ。

斉韶はその残虐性にしろ女を手篭めにする態度にしろ、ぱっと見は残虐非道な人物だ。しかしその言葉には「武士社会」の中での道理を説くものばかり。家臣はその使える主君のために尽くすべし、緊張感がなくなればダメな家臣ばかりになる…

斉韶は将軍の弟として生まれた時から自らが頂点に立つ者としての教育を受けてきたのだろう。家臣だろうと治めるべき民だろうと何もかも思いのままになるものとして、あるいは家臣たちは忠義を尽くすものだとしての育てられてきた。そしてそのように「傍若無人」に振舞いながらも、本人自身はそれを成立させている「武家社会」「武士道」という仕組や制度の中で「退屈」している。

その「退屈」ぶりは、ある意味、刺客側の島田新六郎(山田孝之)が抱えていたものと似ている。武士に生まれながらも、泰平の世の中でどこにその生き様を求めればいいのか分からずにいる。そしてそれは時に博打に、芸者遊びにと向かいながら、何も見出せずにいる。そんな折、新六郎は、叔父の島田新左衛門の覚悟から、その博打「斉韶暗殺」の中に武士としての生きる道を見出そうとする。

島田新左衛門は、「武士社会」の秩序を維持するために自らが手を下すことができないという老中・土井からの依頼を受け、また「現体制」の下での泰平の世を維持するために、民たちを守るために、「斉韶暗殺」を決意する。そしてそれに集うものたちは武士としての本道をまっとうするために、武士としての生き様を見出そうと刺客として参画していく。

彼らは皆、武士でありながら命を懸けた戦いをしたこともなく、それでいながら「武士道」として君主に「忠義」を尽くすことを教えられている。生きるために必要な「食」や「性」以上に、建前としての「世のため」「忠義」「武士としての生き方」が問われており、しかしそれを全うしたくともそうした機会さえ与えられない。彼らは皆、泰平の世の中で「武士」としての本分を見出せずにいる。「退屈」しているのだ。

しかしそうした武士の面々とは全く別な生き方をしている人間がいる。それが木賀小弥太だ。彼は山に生きるものとして、世俗の世界(里)のルールに縛られずにいる。武士のような体面に生きるわけではなく、好きな者に惚れ、生きるために動物たちを襲い食す。

そうした自由な姿はその戦い方にも現われる。石を使い殴りつける。その戦いぶりに興味を抱くのは他でもない斉韶だ。

「武士社会」で生き方を見出せない者と恥も外聞も無く人間らしい生き方をする者。

実は三池監督が描いたものは、美学として描き出されている「武士道」そのものの虚構性だ。「武士道」とはただの教養でしかなく、「武士社会」そのものが虚構でしかないのだと……

事実、戦闘の最中では狂いだす武士が現われるし、新左衛門は「武士道」に反する戦い方で鬼頭を破る。そして激しい戦いの結果、たった一人の「飾り(=虚構)」者を討つために多数の死体が転がることになる。その様をみた新六郎は「武士」として生きることに嫌気を示す。本来であれば、武士としての「誇り(=武士道としての美学)」が描かれる場面で、三池監督は「武士社会」あるいは「戦争」そのものの無意味さに変えたのだ。

そしてそこに現われたのは、民の代表ともいえる木賀小弥太だった…。

果して新左衛門たちは何を守ろうとしたのだろうか。

彼らが守った「武士社会」としての泰平はその僅か25年後には「明治維新」によって終わりを告げることになる。それぞれの「武士道」を守ろうとした島田新左衛門も鬼頭も、「武士社会」の犠牲者でもある斉韶もそのような終わりを想像出来た者はいないだろう。西南の役を経て武士たちは滅びていったが、民衆たちは逞しくも行き続けている。2つの大戦を経て、モラルが失われ不条理が横行する世の中でも…。


【評価】

総合:★★★★☆
殺陣・戦闘シーンの凄さ:★★★★★
ある意味、松方弘樹の「型」にはまった演技が虚構性を象徴しています:★★★★★

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