池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

清涼な新芽の香りを満喫!!京都地紅茶研究所を訪問。

2012年05月30日 | 楽しい人
京都地紅茶研究所を訪問した。

先日、研究所所長とお会いして茶摘をすると言うのでお邪魔することにした。
氏は色々と私の山での生活にアドバイスをいただいたり、
又、平素くだらなくも真剣に私の馬鹿な話にもお付き合いをしていただく方でもある。
本日、訪問させていただき興味有る楽しいお話を聞かせていただいたので記す事にする。



下記画像は、これから摘もうとする茶葉の新葉の部分である。

そよそよと吹く少し冷気を感じる風の中で揺れる茶葉は、
薄曇の柔らかい日差しに周囲からのその反射光を照り返している様子は
薄緑の葉の向こうが透けるように輝いていて少しまぶしそうにも感じる。
見るからに何もかもを肝要に受け止めようとする姿勢の有る、

すごく若々しい茶葉だ。



で、
その新葉を丁寧に一枚ずつ丁寧に手摘みで茶摘を行う。
その摘み方にも手順と次の為の法則が有るようなのであるが、
少し見ていたがその事は認識はできなかった。



大きなざるに広げ、葉の表面に有る水分を乾かす。



混ぜる!!!!
この時間が要のようである。
二つの攪拌の為のミキサーが回っていてそれぞれに時間管理がなされているようだ。
一つのミキサーは少しの時間経過のものであったが、
もう一つ終了間近のものでミキサーから漂う香りは清涼感の有る茶葉の香りだ。
例えるなら、ロッテ・グリーンガムの香りに近い。
葉緑素の細胞から染み出た匂いであろうか?



研究所長のぶら下げているタイマー。
しか~~~し・・・・・・・。
これはあくまで終了時間の目安であって攪拌の終了時は所長の
カンと経験で決められるようである。



仕上げ間近のその茶葉を手にとって見てみると、茶摘前の色と茶葉の色が
少し変化しているのが気付く事ができるかと思う。
即ち、攪拌によって細胞が少し破れて内容する水分が染み出しているようだ。
香りはすばらしく良い。



で、
取り出す研究所所長。
顔はお見せしないという約束。



次に、その茶葉を寝かすので有るが・・・・・。

寝かす土蔵の軒下にすごいものを発見する!!!
私は、時代劇の火事のシーンでしか見たことの無い代物。

手動消防ポンプ。

相当古い昔に研究所所長の母屋が火事になったので
焼け残った土蔵の軒に備え付けたと言い伝えられているとの事。

時代モンである。



で、
その土蔵の中での安置場所はこんな感じ。
菌が友好的或いは有効的にその茶葉を変化させて味を形成していく。



研究所長曰く
《秘伝を世に問うのだ!!!》

研究所長にその返答をしたい方は問い合わせをコメントを当ブログで受付けます。
ご興味の有る方はコメントを入れてくださいネ。

ハローグッバイ・柏原芳恵


この歌は確かアグネス・チャンも歌っていた。
年代的に言えばアグネス・チャンの方が先に歌っていたようだ。
彼女に良く似た中学校での同級生《助さん》は元気であろうか?

私は、今日また一つ歳をとったが・・・・・・。

私の心の中では未だに《助さん》はオバサンではない。
いつか絶対に母校のグラウンドで私の心の中の
オバサンではないオバサンになったであろう《助さん》と、
たった二人だけでオクラホマミキサーを踊ってみたいものである。

これは私の生涯で必ず達成しなければいけないのである。

その時、感涙に咽ぶ事は間違いない。

草を刈る

2012年05月27日 | 私の仕事
広い面積の草を刈る事にした。

道路に面した法面の上に私が作業している畑があり、
その法面の雑草をうっとうしく思っていたので作業時間が空いたので
刈り払う事にした。

刈払機は共立のSC260。
2stのトルクが太いのでかれこれ10年以上は使用している。
故障が無いのが嬉しい。
混合オイルと未使用時の保管方法に少しの注意を実行するだけで
本当に長持ちしている。



府道に沿った草を刈ろうとする法面の長さは約70~80m。
高さが約2m位だと思う。
上部の刈り取ろうとする草には当然、刈払機のリーチが足りないので
下部を刈り取っていき上部を刈り取る足場を確保する為に境目をつけて
刈り取っていった。
で、
下部分を刈り取ったのが下記画像。



続いて上部を刈り取っていき完了間近の出来栄えが下記画像。
最上部の立ち上がっているイネ科の雑草は、その下に金網のネットが
獣が潜って畑に侵入しないように張ってあるので、
今回使用している円形ソーでは刈り取る事ができないので、
次回草刈時にはナイロンコードで叩き切る事にする。



竹くま手で、刈り取った草を集めて作業は終了。
開始から約2時間半。

燃料はけっこう使って、1ℓ程か?
混合比はカストロール・2Tを35対1の混合比。
なぜ、高価なカストロールか?
通常のDAYで販売している混合オイルやガススタンドで販売している物よりも
混ざり易いように感じるし、何よりも昔から2stオイルはカストロール!
という、こだわりが有る。
排気ガスの紫煙が薄く、何よりアクセルの付きが良く、
決定的なのは排気ガスの香りが良い。

刈払機を使用した事が有る方ならご存知であろうが、刃は反時計回りに回転している。
普通は、刃も右から左に送る時に切れる設計で有るが、
私の場合は八枚刃をチューニングして左から右へ戻す時にも切れる刃に改造して
使用している。
それと安い刃を使用しているので頻繁に研いでいる。
刃の鋭さは刈り取りの性能を極端に左右する事なので作業時間短縮と燃費向上には
重要な要素だ。

私の方法は誤った使用方法で、場合によっては危険を伴う方法なので
あまりお勧めはできないが・・・・・。

でも、仕事が速い。

府道365号線沿いの畑で刈払機や耕運機を使用していて、
サーキットのあの匂いがする畑を整備しているのが私である。

先日、ホンダの小さな耕運機を手に入れることができた、
もちろん中古で不動のものを整備して使用できるようにしたのであるが、
早速、オイルを交換。
これはカストロールではなくMOTUL!硬いのでスターターが重たい。
4馬力のこのエンジンのボアアップを考えていたりもする。
憎たらしくも生意気なOHVエンジンである。
もう少し回転の付きが良くてピックアップが改善されてトルクが欲しい。
キャブレターもイマイチの単純構造な物であるが、
やっぱり!
京浜製のキャブレターであったのでさすがホンダ!
少し嬉しく思ったりもしている。


日活映画「草を刈る娘」 吉永小百合 浜田光夫


草を刈る事を題材にした人間性ドラマ映画のように思っていたが、
田舎を舞台にした純愛映画である。
この映画で出てくる山は浅間山か?

畑にいつも登場は・・・・・・。
シマヘビのニョロ太、とんびのトビ助、カラスの黒頭巾は毎朝のメンバー。
奴らの相手はもう飽きている。
で、
私も畑仕事の励みになるような女子が現れて欲しいのである。
浜田光夫よりは私の方がまだイケテルと思うので有るが・・・。
今のところその登場は期待薄だ。

しかし、昔も今も美しい。

浅間山の事ではない。

吉永小百合さん。


克服には《慣れ》が有効で、敵対関係で同じ《慣れ》を持つ事・・・。

2012年05月22日 | 好きな日常
最近、何年ぶりかで超しんどい仕事をこなしてみた。
広い畑でひたすら有機発酵堆肥を撒く作業である。
手押し一輪車に有機発酵堆肥をスコップですくい山積みにして、
不整地の畑の中をひたすら押して歩き、
畑の隅から順に満遍なく畑の全面に撒く作業だ。



で、撒き終えまで、約4時間。休む事無く単純な力仕事を重ねていく。

作業スタートの最初期は息切れするぐらいすごく辛くしんどいが
何度か、ハァハァ・ゼイゼイを繰り返していると、
不思議なものでその苦しさが《スゥ~~~ッ》と清涼感を伴い消えてしまい、
ただ、単純な作業に黙々と集中していると周りの音も聞こえない静寂の中で、
体が動くのが不思議だなぁ~と、
終わってから自己満足の充実感に酔いしれ、
ごくごくと飲み干す阿波番茶の食道を通る心地良さに幸せを感じていたりもした。

その有機堆肥を撒き終えた翌日の早朝5時頃から、
発酵鶏糞の15kg入の肥料袋を40本を1本ずつ肩に担ぎ不整地の畑の中を歩き、
隅から順番に満遍なく撒いてみた。
で、
撒き終えるまでに2時間。
撒き終えた状態が下記画像。



「阿蘇は曇りで日蝕は見れません。そちらの天気はどぅ?」
とのメールが午前7時過ぎに着信していたのを午前9時過ぎに読む。
ひたすら作業に熱中していて日蝕のことは完全に忘れていた。
《畑で日蝕を見れば良いかなぁ~?》と思っていたので有るが・・・・・・・。

んんん~~~。全く意中から消失していて、少し悔しい気持ちが有る。

《慣れ》とは不思議なもので、体力的に最初に取り掛かるまでは辛いであろうと
思う事も二回目はそのように感じる事が少ない。
と、いうか、
一度その辛さを経験してしまうとその辛さを克服する気持ちの置かれる場所が
前面に突出してくるのであろうか?
辛さが感じられない。
慣れによる辛さの感覚の麻痺に近い状態の方が表現として的確かもしれない。



トラクターで畑を深耕していると上記のような光景を目にした。
本来、カラスとトンビは敵対するものであるが・・・・・。
生命維持の本能的行動に於ける敵対関係を超える《慣れ》の光景。
一緒に近い場所で畑から掘り起こされた虫をついばむ姿が私の作業する畑では
頻繁に見ることができるのだ。

彼らも、餌を摂るという生命維持の根源である本能的行動において、
敵対する関係以上に慣れに感化されて敵対する行動が麻痺に近い状態に
有るのかもしれない。

水の枯渇する季節に水のみ場に、ライオンとシマウマが近所にいるのと同じだ。

畑では、生物の不思議を観察できるフィールドのようにも感じる時がある。


夕焼けとんび/三橋美智也


この事象は真の共存の姿か?

ジャイアント馬場とアントニオ猪木が吉野家で牛丼(並)生姜山盛りにして食べていて、
タイガージェットシンとアブドラ・ザ・ブッチャーが込み合っているので
合い席でその向かいに座って特盛汁ダクを食べている姿。

生きる為の条件を分かち合う自然のアンバランスな法則をカラスとトンビから
見ることができようか?
即ち、畑は自然科学的な観察題材を提供してくれる現実的事象の埋もれている
大きな書庫でも有る。

見入ってじっとトラクターのステアリングを握りニュートラギアでアイドリングさせて、
脅かさぬようにトラクターの進行を止め、観察し不合理性に考えにふける私は
ゲーテのような自然科学者で詩人に似てみたいと思うのである。


阪急電車

2012年05月20日 | こだわり
大阪へ向かう鉄道での交通手段は、JR・阪急・京阪の各駅からの
利用する事になる。
遠回りになるが、近鉄でも向かえる。

その中でも少し阪急について感じるところを述べてみたい。

JRは、京都駅を中心として多くの公共交通機関が出入りし路線を
この駅を中心として組まれているので利便性はすごく高い。
奈良線、山陰線、湖西線の近郊への移動も便利なターミナルである。

京阪が大阪市内中心部へは時間が一番早い。
又、京都市内からの利用も便利のように感じる。
私の行動の中心で有る事が多い京都市北部、出町柳まで伸びているし、
鞍馬・貴船をはじめとして八瀬・大原から左京区内での利便性はすこぶる高い。
その地下線は京都市中を南北に通る。
その各駅を利用する場合は、必ず賀茂川の東側に駅が有り、
賀茂川を目指す事となる。
乗降客を東西の横方向から集めているようにも感じる。

このページで述べる阪急はと言うと・・・・・

四条通の地下を西院・大宮・烏丸・河原町と西から東へ伸びてきて
京都市中を東西に通る。
その各駅の乗降客を南北の縦方向から集めているようにも感じる。

でも私は阪急には少し思い入れが有る。
駅の匂いである。
今は懐かしくなった、枕木のコールタールとグリスの匂い。
これは昔から一向に代わらない。
下記写真は、大宮駅を通過する梅田行き特急。
阪急の地下鉄化の最初の駅で確か駅舎は鉄道記念物ではなかったかと思うが?
地下駅で駅舎天井を支える鉄支柱の台座のリベットが年代を見て取れる。



この通過する電車にトンネル内の空気が押し出されて枕木のコールタールと
グリスの匂いが駅に迫ってくる。
昔の利用の記憶では夏場は電車は窓を開けているのが当たり前で
そのときに嗅いだ匂いがそのまま今も残っているのが阪急電車だ。

車内の落ち着いたと言う表現が的確であろうか?
昔からその木目調の車内壁は明るくて落ち着く。
先日特急に乗ってみた。
車内にどこかモダンとレトロをミックスさせたような
雰囲気も京阪と違い私は好感を持っている。

でも・・・・・・・。
匂いは昔のまま。



お決まりの阪急電車内の広告。
タカラヅカ。
めっきり車内広告はこの頃は空きが目立つ。
良く見てみると、阪急・東宝グループ系列の企業ばかりであろうと感じる。
うるさいほどの天井からの吊り広告は消えてすっきり広く感じる車内。

でも・・・・・・・・。
匂いは昔のまま。



駅中におしゃれなコンビニエンスなスーパーも有る。
少し高級イメージの有る系列店の駅中店だ。
《成城石井》
でも・・・・・・・・。
匂いは昔のまま。



主要駅では《阪急そば》が定版であったが、最近ではおしゃれなカフェも設置されている。
でも・・・・・・・・。
匂いは昔のまま。



やはり阪急は下記の歌の似合う電鉄会社かもしれない。
私はそんな阪急に愛顧の気持ちと好意の気持ちを合わせ持っている。
十三では、その阪急独自の匂いと、ホームに有る《阪急そば》の出汁の匂いが
ミックスされていて強烈な香りの個性を発揮している。

この匂いが阪急の匂いと断言できる。
少し胸焼け気味の匂い。

藤田まこと・十三の夜


十三は何度か降車した事が有る。
働くオッサンの健全な社交場と大人の放課後を受け止める良い雰囲気と、
性風俗のいかがわしさが同居する街だ。

そうだ!雨の日にでも少し休息を兼ねて、
十三で宝塚線に乗り換えて清荒神へでも行ってみよう。

スカイブルーの晴天の空、叢の車

2012年05月19日 | 好きな日常
ここのところ良く晴れた日が続き爽快な気分である。
半袖で行動している私の両腕と顔は既に夏色に近くなってきた。
そんな先日の事を記す。

丹波黒豆を作っていて休耕している圃場が有るというので下見に行く事にした。
その場所は古の若狭街道より少し舞鶴に向けて方向を変えようとする山中の場所で、
城丹国境の山並みの袂の谷間の杉木立の向こうに見ることができる場所であった。

清々とした風の中、しっかりと手入れされた状態で土が休んでいて
そこから水の上流には畑や田がなくたぶん潅水に使用する水も
谷の湧き水であろうかと思う。
圃場の面積は、約5反(1650坪)広い。
一人での作業となるとたいへん労力の必要な面積である。
現状は、やがて肥料となる緑肥植物の緑が美しく広がる清潔な圃場であった。

その帰り道に、近隣の様子を見てみようと知らぬ村落に入ってみた。

そこで発見!!!!!
先ほどの圃場の感動とはまったく別の感動だ。

ホンダ1300(77)

ホンダ創業者、本田宗一郎がこだわり続けた4輪用空冷エンジンの
又彼が最後に開発に関わったモデルである。
結果、空冷での限界を感じたホンダは、
この車の次のモデルからホンダの自動車は水冷エンジンとなる。
本田宗一郎最後のごり押し開発車。
結果、販売戦力に失敗し継続的に長続きするものではなかったようで、
CIVICという新しいコンセプトが社運を牽引していく事となる。



ぐるりと周りを回ってみたがこれと言って部品の欠品が無いので
上手くすれば走らす事ができるかもしれない。
しかし、左目が欠損。なぜかリアビューミラーが無い。
その部品の調達は不可能であろう。
ポンティアック然としたフロントマスクの意匠は私の記憶には、
当時、すごく新鮮思えて「かっこいい車だなぁ~」と感じた記憶が有る。



私の従兄弟がこの車の発展系スポーツモデルのクーペ9を所有してたので
幾度と無く乗せてもらったことが有る。
北山の山里に住む従兄弟で小学生の頃良く夏休みには訪れていた。
8トラックのカーステレオが付いていて、幼い私には今でこそ聞き慣れているが
ベンチャーズなんて知る事も無かったが、たぶんそんな曲が流れていたように思う。
父親と《スパイ大作戦》を見ていた終了のコマーシャルがそのクーペ9で、
主役のピーター・グレイブスがしていたので有るが違ったであろうか?



これぐらいのコンパクトセダンが今の日本車には無いのが残念である。
後ろ姿は当時は気づかなかったが
「何となくB110サニーだなぁ~。」と立ち眺めていた。

そんな1970年、万国博覧会があったし、
私は小学4年生であみだ池の学習塾に通わされた。
通わされたのである。行きたいので行かしてくれでは無い。
そのあみだ池の交差点の西南にあった塾の対面にはヤマハ発動機の大阪支店があった。
私はここでも塾の窓から、XS-1、DS6、DT1など気を奪われていては、
勉強などできるわけが無い。窓の外に見える出入りのモーターサイクルが
気になって仕方ないし、加速していく音が未だに脳裏に響いている。
あの、2サイクル独特の発信時こもった音から一気に速度が乗ったときの
甲高い音と紫煙がかっこいいと思っていた。
純白の大量のTD1が見れたときの感動は・・・・・・・・。(絶句)

確か、そのレーサーのエンジンをかけていたように思う。

未だ、その憧憬から醒めてなくて,どこかに繊細な女性的デザインが匂い、
スマートでチョツト隠れた粋が見えるヤマハが好きである。

通う大阪市立明治小学校は、旧校舎から新校舎に引っ越したばかりで、
夏秋先生が担任で都会の学校ゆえに1学級であった。
その中で、学級新聞を作ると言うので、
当時、流行った《フランシーヌの場合》を替え歌にして載せた記憶が有る。
その替え歌の題名は《小川君の場合》
小川君はグリンピースが食べられなくて、給食時間はいつもグリンピースの献立の時には
泣いていて掃除が終了して終礼の時でも給食皿を前にして食事中であったように記憶する。
残しても良い教育の今では考えられない事だ。

小川君の場合は、あまりにもお馬鹿さん。
小川君の場合は、あまりにも悲しい。
・・・・・・・・・

〆の言葉がグリンピースであったように思う。

高田恭子/みんな夢の中


最近、夢を見ることが多い。

昔の事ばかり。

それは現実として幼い私に降りかかった事ばかりの走馬灯的展開を超高速で
暗転と黒子の活躍が脳内で起る。

先回のブログの内容もしかりで、私は昔のいすゞトラックを運転していて五条通を爆走していたし、
昔の大阪市バスに乗っていて、野田阪神で全く知らない女性とお好み焼きを食べていたり、
幼馴染の杉野千鶴や谷美佐子が子連れで出てきて、西大阪模型でタミヤのプラモを買っていて、
中島屋でチェリオオレンジがなぜか中央市場のホットミーコー(ホット・オ・レー)で
あったりする。

ここんとこ、二回に亘り昔話・思い出話と車の話になってしまった。


幼い時の周りの自動車

2012年05月10日 | 昔の事
何回かこのブログでも記しているが、私は大阪市大正区で生まれ西区で育った。
その西区の思い出を話しようと思う。
本当に小さい頃から自動車が大好きで、車名を覚える事なんぞは天才的であったようだ。
丁度、3歳ぐらいから18歳まで過ごした中央大通りとなにわ筋の交差点付近は
今では、四ツ橋筋の東側の天空を貫く阪神高速環状線から大阪港や湾岸線方面へ向かう
高架道路で今はその場所から空を仰ぐ事はできないのであるが、
私が自転車の練習をしたのは、まだ、中央大通りが建設中で緑地帯として
フェンスで覆われていたように覚えている。
その中に入って自転車の初乗りをした。

今でも残っているので有るが、錢高組の本社屋がその交差点の北西角にあり
その裏に日野自動車オンリーの整備工場が有ったように記憶している。
でも、地道(未舗装路)の路上で傘を差してオイルを路上に垂れ流して
整備していてあのオイルの匂いと軽油の匂いを今でも懐かしく思い出すときが有る。

リンゴ箱だけの運転席の車、全く車体の無い骨組み(シャーシ)だけの車体や
でかいタイヤがその道路に無造作にあふれていたのを思い出す。

亡き母は、そこを通る度に雨の日などは足が汚れて困る事を言っていたし、
その近所にお風呂屋さんがあり、父親に連られてそこへ行く時には
その車達に会えるのがすごく嬉しくもあったりした。

電話ボックスのような運転台の車が運ばれて来ていて、
後日その車にコンクリートミキサーのロケットが架装されていた事が
驚愕であった幼い私の輝く瞳であった。

又、錢高組の交差点の、南東角、今の吉野家の有るビルの場所は
梅田運送という運送会社が有って毎日大型車の出入りで賑わっていた。
これも一人で見に行ってはよく「危ない!」と親にしかられた記憶が有る。

そこから少し南に行くと、GOOD-YEARのタイヤのショールームがあり
多くのタイヤと高級アメリカ車が展示して有るショールームであり
我が家からの二階から巨大なあのウイングフットのマークが屋根越しに
眺める事ができた。
何度も何度もあの図案をクレヨンで書いてみようとしたのであるが・・・・
全く出来ないでいた。

その北隣は寺岡君の家で、彼の家の稼業は自動車の電装屋であった、
職人さんがいてその作業場を抜けて寺岡君に会いに行く。
いつも酸性の匂いがしていたし、何をしているか?
幼い私には全く分からない場所であった。

私の家の東隣のモータープールには村瀬君のお父ちゃんの
VWタイプ3が毎晩居てたし、
その東隣はサイン工芸というトヨタ車が多かったが
自動車にペンキで図案や商号を入れる看板屋さん。
この光景も鮮烈で、カッティングシートを張る今の看板屋さんとは全く違う手法で
マスキングテープを指定された図案や文字フォントに切り出しカッターで切り抜いて、
そこに、スプレーしてマスキングを剥がし焼き付けていた。
井上君のお父ちゃんの仕事がそうであった。
その勤める職人さんが乗っていたスズキフロンテSSとサニーB10のクーペ
この2台は本格派でロールゲージが組んであった。

家の前に親戚が工務店を経営していて、トヨタ・コロナとマツダ・ロンパーが居た。
月に数回、いすゞ6トンダンプ。



私の家は、父親の勤める会社の倉庫の二階に住まいしていて、
毎日、いすゞエルフが裏口に居たし、トヨタダイナが2台、
プリンスホーマーが一台、クラウン、クラウンバン、ダイハツハイジェット、
毎日和歌山へ過積載で向かう三菱ジュピター、
月に数回、徳島からこれでもかと過積載でやってくるダイハツ三輪

その隣が、カリマンタンという何屋さんか分からないが倉庫があり
その前に最新のいつも日野コンテッサクーペ。

町内で一番美しい車。

そんな、あの日の日野自動車に今でも造詣エレガンスを
車に求めようとする心中奥底に有る事は確かだ。

なぜ・・・・・・こんな事をいきなり書き出したか?



懐かしい看板を見た。
京都日野自動車に所用で訪れたら、会社員(このブログにコメントを頂いた。)さんが
地下倉庫の掃除をしていて「古い看板だ!」と手に持って言っていた。
日野コンテッサクーペを展示していた時の手書きの車両説明のショールームの看板。
残念ながら、それを写真に納めるのを忘れた・・・・・。
明日、電話して写真を頂戴と・・・・・・。

1975年度課題曲(B) ポップス・オーバーチュア「未来への展開」


そんな大阪での生意気自信満々の中学生時代の悲惨な思い出。
吹奏楽コンクールの課題曲。
たぶん、銀賞の結果に終わったのは自由曲での私のミス!
よく見る高校野球でのエラーによる逆転負けのようなもの。
そのエラーしたのが中学生のTrp1stプレーヤーが私である。

油断の《G》に泣いた。

未だにその時の失態を悩んでいる。

あの時を以って全く楽器から遠ざかった。
触る事さえなくなった。

しかし自動車への興味は未だに引き続いている。

アイドリング不調の原因かも?

2012年05月06日 | 言わせてもらいます。
つい先頃まで調子よく走っていた我が愛車が調子が悪くなってから、
少し時間が有れば、あれやこれやと燃焼の原理を考えつつ試行錯誤をして、
又、ハッと気付くところを点検し清掃、調整していてやっとこの部品にまでたどり着いた。

アイドリングコントロールバルブ。

早速、サージタンク(インタークーラ)から陳腐なパイピングで取り回されていて
インテークマニホールドまでの見える場所に鎮座していた。
手の届く場所であるが、エアークリーナーボックスから先に記したサージタンクまでの
パイピングに取り出すのを妨害されていて
そのパイピングを取り外し、独特のコツのいるカプラーを抜き取って清掃をしてみる事にした。
下記画像はその取り外したアイドルコントロールバルブ。



直接的に今のアイドリング不調の原因とは関係ないと思われるパーツであるが
まぁ、清掃と調整を行う事にした。
案の定、コテコテに汚れている。



分解できるのは真ん中に有るねじ部も引き抜けばシリンダーが現れるはづで
その部位までも分解できると思うので有るが・・・・・・。
もし非分解であれば再生は不可能かもしれないので、
見える場所のみの清掃を行う事にした。



清掃を完了して、元の場所に取り付けてみる。

んんんんん~~~~。
全く改善されない。

分かっていたが少しは期待も有った。

で、私の工具箱の中になぜか有るタイミングライト。
次回はこれで点火時期の点検をする予定。

プラグコードが良くないのは分かっているので点検する事すら無意味なんであるが・・・
でも、あれば久々に使ってみたい。
ただ単にフューエルポンプの不良とか、
バッテリーの寿命とか単純な理由であろうかもしれないね。



私もこの頃アイドリング不調。
じっとしていられなくて、頭の回転が滑らかでなくなってきている
これ切に感じているこの頃の不安案件。
忘れ物をするようになった。

三好鉄生 涙をふいて

馬が24頭分の仕事

2012年05月05日 | 私の仕事
朝から、トラクターを使用して、畑を耕してみた。
実にスムーズにできるものである。
私のポリシーとして超低速で時間をかけて深く耕している。

で、作業時間1時間半程。
通常の作業者と普通の要領ならこの半分以下の時間でできるはずだ。







私が使用しているトラクターは24馬力
馬が24頭分の力か?
でも、もっと力が全輪出力では出ていると思う。
水冷ディーゼルエンジンで4WDで、副変速4段、主変速4段、
作業用PTO4段の変速機能を持つ。
でも、クラッチ操作のいるマニュアルミッション。
作業状況によって随時変速が必要となる。

旧式で使い勝手はあまり良くない。

でかい家を建てたとか、でかい仕事を成し遂げたとか・・・・・。
超オヤジなのに若い嫁さんとの間に子供ができたとか・・・・・。
とにかく、がんばる人、がんばった人を「あの人、馬力有るな~~。」と
驚愕半分、憧れ半分で言う人が居る。
で、
馬力は馬の力。
1馬力=0.75kW
馬並みではない。
馬の力だ。(ちから・チカラ)

そこで馬力について少し調べてみた。

馬力(ばりき)は仕事率、工率の単位で、
元々は馬一頭の持つ力を1馬力と定めたものであったらしい。
世界的な表示方法としては、ヤード・ポンド法に基づく英馬力、
メートル法に基づく仏馬力など、各国、各種の馬力の定義があるようだ。
国際単位系 (SI) における仕事率、工率の単位はW(ワット)であり、
馬力は併用単位にもなってない。

1馬力は荷を引く馬が継続的に荷を引っ張る際の仕事率を基準にしていて、
単純に「馬の最高出力=1馬力」を表すわけではない。
それでは、
英馬力という単位について記す事にする。
ジェームズ・ワットが蒸気機関の能力を示すのに、
標準的な荷役馬1頭のする仕事を基準とした。
これが英馬力の起源で、
《1秒間につき550重量ポンド(lbf)の重量を
                 1フィート(ft)動かす時の仕事率》

(550 lbf·ft/s)となる。

計算の根拠は馬の牽引力の平均が180重量ポンド、
1時間、馬に牽引させた距離が10852フィート、
従って1時間当たりの仕事率は、
180×10852=1953360フィート・重量ポンド/時である。
1分当たりは、
1953360÷60=32556≒33000フィート・重量ポンド/分、
1秒当たりは、
約550フィート・重量ポンド/秒となる。
これが1英馬力。
ワットで表すと、1英馬力は約745.700Wである。

英馬力は、英語の《horse power》の頭文字をから
HPという記号で表される。
hpと小文字で書くこともある。
また、出力を測定するダイナモメータが制動力(ブレーキ力)を利用して
測定されたことから、 《break horse power》の頭文字をとった
bhpが使われることがあり、数値はHP=bhpとなる。

世の中ではPSやkwが使われることが多く、
HPやbhpは主にアメリカとイギリスの自動車メーカーで使われている。

仏馬力は、メートル法(重力単位系)に基づき、英馬力の値に近くなるように
定義したもので、メートル法がフランス発祥であることから仏馬力と呼ばれている。
その定義は、
《1秒間につき75重量キログラム (kgf) の重量を
                   1メートル動かすときの仕事率》

(75 kgf·m/s)となる。
Wで表すと、1仏馬力は 735.49875Wである。

経緯は、英馬力から仏馬力を決めたことにある。
ft·lbf ≒ 0.0138255であり、
550フィート・重量ポンド/秒が1英馬力である。
それをメートル法に換算すると、
550lbf·ft/s ≒ 76.040225 kgf·m/sとなる。
この数字をもとに、75 kgf·m/s がフランス馬力とされた。

このため英馬力と仏馬力は等しくなく(英馬力>仏馬力)、
1 仏馬力 = 約 0.986 英馬力である。

記号は、ドイツ語のPferdestärke(馬の力)の頭文字の、
PS または ps が日本やヨーロッパで使わている。


日本での馬力は旧計量法では、1馬力は英馬力とも仏馬力とも違う750Wとしていた。
これを日本馬力と呼ぶことがある。

1999年施行の新計量法では日本馬力をやめて仏馬力を採用している。
(条文上はWの0.7355倍としている)
ただし、本文ではなく附則において、内燃機関・外燃機関の工率の計量に限定して
「当分の間、工率の法定計量単位とみなす」として使用を認めている。
新計量法がSIを全面的に導入するために制定されたものであり、
本来であればSI組立単位であるWを使うべきで、
しかし、馬力が広く使われており、これを廃止すると混乱を招くために移行措置として
使用を認めているものらしい。
そういえば、最近の新車のカタログではエンジン出力表示にはキロワット (kW) とともに
馬力(仏馬力)が併記されているのをお気付きだと思う。


赤いトラクター 小林旭


トラクターでの耕運作業を終了してから、先日の草刈りの続きの作業で
午後からは別の畑へと移動した。
農業用水路の周りの雑草の刈払いを行った。
機械を使用するとはいえ、結構上腕筋がプルプルする。
腰より高い位置の雑草を刈るから刈払機を掲げ持って行うからだ。

この刈払機は長く使っていて故障知らず。
こだわりも有る。それは混合用オイル!!!!
カストロールの2サイクル混合オイルだ。

レーススタート時のサーキットのあの匂いが畑に漂う。
至福の香り。

ごみ収集車の天ぷら臭ではない。

農作業を久々にして、以前よりたいそう馬力が落ちた。
日々、どうしても太りがちな体質ゆえに食事に気をつけて
鍛えているつもりなんだけれどなぁ。

農作業は、スポーツジムでの筋トレの必要が無いほど全身の筋肉に
心地良い張(ハリ)を覚える事ができる。
で、そのジムに行こうとする考えは滅失した。

こりゃ~~~、一挙両得だね。