池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

ある意味、自動車における産業遺産だと思うが・・・・・?いかがなものか?

2015年10月07日 | 好きな日常
【スバル360デラックスの事】
近所のお年寄りが、私に譲ると言うので、ありがたく譲っていただいた。
しかし、あまり程度が良くない。当然、不動。
ディーラーに実働状態に戻し、検査合格までの作業依頼をするも、丁寧に辞退された。
思案の結果、JA全農京都に整備を依頼する。
「何とか、コツコツやってみます。」との事。それも、若いメカニックからの申し出があって、お任せする事にした。



旧規格のその前の旧規格、即ち、全長2.995m、全幅1.3m、全高1,335m、2サイクル空冷25馬力、
車重400㎏程。
これに大人四人が乗り、高速道を時速80km強で巡航できる。・・・・はず?
しかし小さいなぁ~~。



ナンバープレートは、登録当時のオリジナルのまま。
これは、京都陸運支局のナンバープレート発給する京都標板で、既に再生プレートで新しいプレートを作っていただいた。
初めて知った知識であるが、オリジナルの画像の汚い、この小板プレートを返せば、新しく同様のものを作ってくれる。
前後二枚で540円。



エアークリーナーは、純正品が出た。懐かしの≪フ≫マークの有る純正品。
強制空冷ゆえに、冷却風が通るダクトを取り外したら、そのエンジンシリンダーは、二輪車と同じような機構だ。
キャブレターは良く分からん日立らしきのシングルキャブ。
フュエールポンプを持たず、落下重力式燃料コックの開け閉めでガソリンを供給する。リザーブ付き。
この後期型スバル360では、分離給油方式で、混合ガソリンを使用はしない。



難問中の難問であるが、ブレーキの整備。
カップキットを探しに探して、やっと手に入れることができた。これは本当に苦労した。
当然、他社車種の流用である。
固着が激しく、ブレーキ周りの整備は慎重を期している。止まらなければ、薄っぺらい鉄板の中で私は死ぬ!



後部座席を外せば、後部に居るエンジンが前から覗ける。
後部座席の下の車内床面に、後輪のサスペンションであるトーションバーがフロアトンネルを貫通している。
このトーションバースプリングの左右両端に後輪トレーディングアームが付く。で、左右独立して上下する。
角型のフロアトンネルが車体剛性のメイン部材である。
これに、応力分散させるモノコック構造の卵型ボディがかぶさる。


興味があり、頂きます!と即答したものの、この手の自動車を所有するのは初めての事であり、
車はどのような物でも、乗るのは好きとはいえど、少々乗るまでには、まだまだ、諸問題を抱えている。
乗れたとしても、レスキューが必要で、レッカーで吊るような事があれば、たぶん強度も落ちているであろうし、
折れるに違いない。

そんなデリケートな車である。

次回、このスバル360に関しての報告は、車検合格して、晴れて公道走行デビュー走行ができるようになって、
京都南~茨木間の名神高速での走行をチャレンジした結果を報告したく思う。
天王山TNから、あの、高槻バス停付近の上り下り坂が走破できたなら、たぶんどこでも行けそうな気がする。
京都東へ向いては、万が一の場合逃げ場が無い。
追突でもされたら、木っ端微塵だ!!!!

やっぱり、高速道路の走行は無謀かなぁ?

味の『のれん』は庶民の為の街

2013年01月19日 | 好きな日常
雪の積もる前日の午後から、大阪を徘徊した。
特に大丸心斎橋から心斎橋を南へ向けて。
食べたい物と見てみたいところがあったからだ。

御堂筋の日航ホテル側から見る大丸心斎橋店の姿は美しくさえある。
少しも昔と変わらぬ佇まいを見せる。
しかし、どうも1階の赤のテントの張り出しがイマイチ建物本来の美しさを
壊しているようにも思えるのだが、いかがであろうか?
私なら、深緑の帆布を使ってみたい。



その大丸の南側の通りを東に歩き心斎橋筋を横切るとすぐ右手のお店を
目当てに行ったのであるが休業日。
残念である。
このお店は、私が大阪で仕事をしている在住時代に休日にバイクに乗らない日は
必ず晩御飯を食べていた店である。
近々、再び行く予定なのでこのブログで紹介しようかと思う。
創業から100年近いお店。

心斎橋筋を次の目当ての店へと歩く事にした。大手の楽器屋さん。
が~~~~ん!ここも休業日。

昼ごはんを食べていないので中途半端な時間で凄くお腹が空いていて、
う~~~~ん?≪不二家≫だぁ~~!
そのレストランのショーケースに惹かれてしまう。

が、

それを通り越すと左手に、
お~~~~~っ!懐かしい!≪心斎橋 ミツヤ≫ここ全く昔のままやん!
ショーケースのメニューサンプルすら懐かしい!
思わず入店。
強烈な昭和レトロの鏡張りだらけの壁と暖房の効いていないテーブルが
なぜか気分が落ち着く。

応対した若いウエイトレスさんに尋ねると、
即答で「創業62年目です!」
必ず古いお客様が訪れて聞かれる文言が一緒なのであろう。
なんと、いかにも商売人の町らしく、ランチメニューが午後5時まで
滑り込みセーフでそのランチメニューが下の画像です。
このような繁華街で≪ヤッスゥ~~~!689円!≫

お味の方は超昭和レトロな味でございました。



そのミツヤの店内でどこからか餡子の話が聞こえるので耳を傾けていた私は
「甘味は絶対に法善寺やん!」と思い食後の一服もせず、そちらに颯爽と足を向ける。
心斎橋を南へ、道頓堀橋の上はいったいナンなんだろう?
ひどい風情の崩れようだ。というよりも乱れまくり。
ここだけは幻滅で、もう勘弁して欲しい雰囲気。
≪カニ道楽≫からは焼きガニの美味しい匂いがする。
これはたまりません!
長年来ていなかったので、そんな昔の香りも懐かしく道頓堀筋を東にしばらく・・・
千日前のアーケードを南へ向かうが・・・・・?
ん・・・・・?
千日前通りを渡った。
なんば花月の前まで来て気が付く。
あ~~~~!
≪自由軒≫のライスカレーまでミツヤで挫けた空腹感を我慢すれば良かった。
で、
法善寺は千日前通りよりも北側。したがい戻る。



夕暮れ深まり、提灯の薄明かりがなんとも美しい横丁と水掛不動のお堂周りである。
ひっきりなしに、お参りの方々が水を掛け線香を手にされている。
なんともいえない雰囲気がある。
そして何よりも空気が澄んでいるし騒音が無い。
大阪の繁華街の真ん中のビルの裏側に入るだけでこのような石畳に打ち水の似合う
町並みが存在するのである。



水掛不動さんは昔と変わらずとにかく真っ黒けに苔むしている。
日が暮れているビルの谷間ではなおさらその表情は見る事ができない。
また、写真に収めようという考えが起こらない場所でもある。



そんな風情に酔いつつもお目当ての≪夫婦善哉≫をいただく事にした。
このサイズにしてはちょっと料金お高い目であるが、
そこは風情と歴史に感謝しながらいただく事にする。



甘いものは、やはりホッコリするものだ。

法善寺横丁から御堂筋へ戻る事にした。
その路地には粋なオネーさんや、いかにもな西川ヘレン風のご婦人も
ちらほら見受ける事があった。
しかし、よくよく人間観察しているとどうも暇そうなオヤジが多いし、
職業柄の個性的な方々の常住日常の活動時間帯の中に迷い込んだようである。
死神博士か?と思うような紳士ともすれ違う。
途中、≪ぼてじゅう≫仲店が閉店し移転して他店と統合されている張り紙を残念に
思いながら、御堂筋の≪播じゅう≫の南側に出てしみじみと子供の頃を思い出す。
播じゅうのお食事はお財布の中身に冒険が必要かもしれないので行きたいけれど
要調査である。
たしか、御堂筋に面して大衆すし屋があったようだが影も形もなくなっていた。

月の法善寺横丁 藤島 桓夫


大阪のこの日歩いた地域は、先の大戦で甚大なる空襲の被害に合い、
焼け野が原から立ち上がり発展した地域でもある。
戦後になって新生大阪の都市計画に準じて新しい人たちが
職や食を求めて地方から多く流入したに違いない。
その中で、創業から年数の長い企業か残っている事は特筆に価すべきことでは
無いか等と考えてもみた。
空襲の被害が無いに等しく少なかった京都市内は大阪と比べ物にならないほど
古いものは現存数は半端無く多いと思う。
多くの古い考え方を一気に空襲により焼失した大阪に比べて
残ってしまった京都はそれ故に超保守的な考え方の方々が多く、やりにくい。
しかぁ~し!そんな京都でも最近では、
本当にその古いものを生かし受け継いでいるものを市中で見つける事は
この頃では皆無に等しくなりつつある。

京都風が溢れ過ぎているからがその要因であろうという事は直ぐに察しが付く。

大阪はいつまでたっても大阪。

雑多の中に昔から光るものがキラリと息をする街である。

特に≪味ののれん≫に関しては、他地域では見られないものを見つける事ができるし、
実際、それを拾い手に取る事が安易にできるそんな街である。

まやかしの≪京都の味ののれん≫には触れたくも無いのがこの頃の私の本音である。
かばん屋の呼び込みのマイクロホンのように感じて止まないから。
水に濡れるとそのかばんは美味しそうに猫がかじる。

京都府農林水産技術センターで勉強する

2012年07月25日 | 好きな日常
京都府農業水産技術センターを訪ねた。
知りたいという欲求がそうさせるのである。
いつものことであるが、先週のタキイ種苗の研究農場の見学といい、
さすがに毎週知識のつめこみには少し疲れがあることも確かである。
しかし
行か無ければいけないでなろうか?いや!行くべきだ!という
NOT~AS~SO・・・・の基本観念が脳内を支配しだしていたが、
いつの間にか、行ってやるぞ!についには変化をした。
今回はそんなに目的を持たないでいたのであるが興味を引くものがあれば
とことん質問するつもりで目新しい技術や京都府なりに思考している動きを
いち早く吸収してやろうという事でお伺いする事にした。


しかし蒸し暑い。日も高い午前中に到着して、
で、場内に入り農場内を見学させていただいた。

気象観測用の百葉箱もどこか懐かしい。
日々の気象状況を記録し病害虫の発生条件や生育条件の基礎資料を作っているのであろうか?
なかなか広いスペースを確保して設置されていた。



大豆生育状況と土壌の状態を区分してそれぞれが生育条件が違う環境作り出して、
観察研究している。
白い立て札には細かな発育の環境条件と作業の日付の情報が記載されていた。
漠然と感覚的に生育の状況を知るのではなく、その根拠をを明らかにする為には
条件を複数作り比較した観察の必要性を確認できた。



京都特産ナスの省力栽培方法の研究開発を行っていて
、ナスの生育特性上収穫と手入れが一気に集中して必要となる状況と
高齢化した農業者の作業軽減を図る栽培方法が研究開発されていた。
画像を見ても分かるのであるが、青い遮光ネットの向こう側の向かって右側は
V字で生育を誘引しているのに対して、向かって左側は平面で垂直に誘引している事が
分かろうかと思う。
省力栽培方法は収穫量は落ちるが左の平面の方。
私はこれの二本仕立てを実践している。



なすの試験地の周りで栽培されているバンカークロップ(障壁作物)のソルゴー。
これはなすの試験場内で噴霧した農薬の他所への飛散防止の役目が有るのであるが・・・・。
少し長さが足らないかもしれない。でも、短い品種も知っている



この作物はビール好きには注目!
試食をさせていただいたが、とにかくうまい!濃厚なのである。
丹波黒大豆枝豆《京 夏ずきん》
《紫ずきん》は知る人も多くベストセラーの枝豆であるが、
ビールが美味しい季節からは遅れた時期に出荷を迎えるので
そのビールが美味しい時期に出荷をしようと早く収穫できる品種を開発したようだ。
で、本年8月から本格的に出荷をされるのであるが、
もっと早い7月収穫を目指して栽培技術の開発が行われていた。



今回最大の知識吸収のセクションである。
害獣防除の柵の色々とその設置方法。
害獣の習性について研究員から詳しく話を聞いた。
この分野は相当濃い。
巣つかり1時間以上、その防除柵の設置方法サンプルを前にして
研究員も私も熱射病になるのではないか?という程汗だくで質疑応答を行った。
ここでこの話を語りまとめるにはあまりのも論理的ですごく長文になってしまう。
彼の今日の話だけではその一部を聞いただけなので不充分で、
何度か実際を示して考えてもらう機会や実験の方法などを指導してもらう事をよろしく!
を約束した。
ただ私の畑に鹿はまだ入って実害が無い。他の田や畑には足跡があったりするのであるが・・・・。
これのヒントや彼が実情から笑い話を行ってくれたのでたいそう楽しい学習であった。
私は朝早くから畑をうろうろする。これがどうも要のようである。
又他の生産者の注目を持たれる栽培をしているので畑に頻繁の出入りが有る。
これが重要との事。
実際に実害が頻繁に起こる畑に彼ら研究員が行って調査を開始すると
鹿はいなくなる。
これには笑って朗らかに答えてくれた。







で、電圧は6900V!
彼は素手で「こうすると感電しませんよ!」と素手でその線を握った。
なるほど!

今、京都市北東部から北部にかけて移動する30頭程、
南丹市から篠山市に同じように移動する30頭・
京丹波から福知山(三和)にかけて30頭ほどの移動する猿の群れが
確認されているとの事。
その群れの周りに5歳ぐらいの離れ猿が居てこれがなかなか曲者であるらしい。
先日は、比叡山で確認された固体が嵐山で見つけたとの事。
出町柳から京阪・阪急乗り換えて行ったと笑っていた。

この猿の習性解析の話をすれば長くなる。
何もかもに興味は尽きない。

自然との調和を目指す私の心中は一気に不安に変わってしまった。
もろくそれは崩れ去り害獣の被害が実際に私の身に深刻に降りかかったとしたならば、
それを防除をするであろう。

それは果たして調和なのか?
考えればしんどいが考えてしまう。

My Old Kentucky Home - Stephen Foster - Robert Shaw Chorale.avi


脳みそが口から出そうな知識吸収の毎日だ。
しがらみや調和を嫌って生きていたのになぜだろう?
この地で生まれた新しいしがらみや調和が心地良くさえあるのも事実。

一度整理しなければいけない。

私は最近何を目指し何をしていましたか?

安泰平穏な居場所どこにあるのであろう?

研究農場を訪ねて

2012年07月20日 | 好きな日常
今週の水曜日、タキイ種苗の研究農場を訪問して最新の夏作物を見せていただいた。
興味を引く開発産物があったのでそのことを今日は詳しく書いてみる事にする。



下記画像はその研究農場の胡瓜の試験栽培風景。
露地栽培であるが完璧な生育管理がなされていて毎回その管理能力には驚嘆する。



で、今回の発見事は緑肥・景観用作物についてである。

字の如く畑や田んぼに休耕期間中に生やしておく草や花の作物である。

当然、本作前にトラクターで土と一緒に混ぜ込んでしまう作物である。
昔から水田の稲刈り後の春の一面の《れんげ》はよく知られた作物であろう。
このれんげの効用については、開花する時期の若い茎や葉に植物の成長を促す
窒素の含有量が高く分解されるスピードもすこぶる早い。
無機質窒素肥料(化学合成肥料)と同等の即効性を持ち合わせているのだ。
と、同時に見る人の心を和ませる。すばらしい!
上記に記したれんげ同様の他の植物に関しても本作の裏作に栽培する植物の
効用については、良く知れている事である。
ひまわり、えん麦、らい麦、菜種、ひえ、クローバーなど・・・・・・・・。

ここから以下は私の新しい知識の吸収した事を記述する事にする。

土を休める事無く農地として施肥を行い連作をして使用し続けていると
土壌中の微生物のバランスが崩れて病気が多発する傾向になってくる。
これを防ぐ為に、以前では土壌くん蒸剤が使用されてきた。
しかしながら最近では、その成分である臭化メチルがオゾン層を破壊するので
それが無いとどうしてもいけない不可欠なごく一部の使用を除いて
使用が禁止された。又使用できるクロルピクリン剤は周辺環境や作業者に
悪影響を及ぼす事は古くから認知されている。
*クロルピクリン剤=ドイツが開発した窒息・催涙毒ガスと聞いた事があるが?

で、
最近の研究でからし菜(シロカラシ)などを利用した生物くん蒸という技術研究が進んだ。
辛味成分が有害なセンチュウや細菌、雑草の繁殖抑制をする事が分かってきた。
その科学的な説明は、辛味成分の《グルコシノレート》が土中で加水分解されて、
《イソチオシアネート》と呼ぶガスを発生させてそのガスにさまざまな抑制成分が
含まれているという事の利用である。

これにすごく興味を引かれた。
元々土の中に居る微生物の力で病気を防止し雑草の生育を抑制しようというのである。

下記画像はマリーゴールドで、目を楽しませるだけでなく、
根菜類の生育や品質に被害を及ぼすセンチュウ類の生息密度を抑制する。



そして、もう一つの自然界の持つ不思議?からの研究で実用化されている先進技術。
アレロパシー作用である。
他感作用とも言われている。
植物が放出する何らかの成分が、他の生物に何らかの作用がおよぶ事である。
その影響が及ぶ生物は、植物は当然ながら、微生物、昆虫や小動物も含んでいる。
古くから薬草として人々は利用をしていたのもその例であるし、
タバコのニコチンの作用、除虫菊の成分である《ピレトリン》は
良く知られたものであろう。
その中でも、ベッチという植物は日陰で生育が旺盛で他の雑草を抑制する力を持つ。
成分が《シナアミド》が含まれていて抑制効果が発揮されている事が
ドイツ農業環境技術研究所によって明らかにされた。

ここで上記二つの技術を考えてみた。
全て天然物の有効利用であり化学合成品では無いという事が私の心情にすごく打ち響く。
早速試してみる事の決意をした。

下記画像はその生育状態が地面を這うように生育して密がゆえに地表に光を届けず
遮光性を高め、尚且つ生育旺盛なので他の雑層の生育を妨害する性質を持つ。
ヒルガオ科ダイカンドラ。という芝。ハートの葉がかわいい。



それともう一つ!
私はある地域で水田の中に囲まれて耕作している畑がある。
古くからの因習で未だにこの地域では、カメムシの防除を動力噴霧器で
広範囲に拡散する手法で行っている。
時代遅れの米作りの農法。
しかし、因習を継続する自己満足な農法が優先で改善はしない。
と、言うか新しい環境対応型の農法に聞く耳が無い。

その飛来する薬剤の粉剤の少量でも飛んでくるのが嫌なので
防護壁を設ける必要も有ろうか?
と、思っていたのであるが・・・・・・・・?

防除として来年は畑の周辺にその障壁となる背の高い防風ネットの
役割をする植物(ソルガム)を育てる事に決めた。
来年はこれを畑の周りに育てる事にする。

画像は緑肥用のひまわりである。



根が長いので土の深部で菌根菌(マイコライザ)を増やし、この後に植える作物の
リン酸の吸収を促進させる効果が期待できる。
花を咲かせて人を和ませるだけでなく、植物にはこのような後々までも益になる
作用が有る事を知った。

確実に世界が求めている食の生産に関する理念は、
化学合成肥料や化学合成農薬中心の生産技術の時代から自然環境共存型の技術に
変化をしている。
私が良く質問して協議する農協の優れた指導員もこの観点で居る方々が多い。

この事は、毎年この農場を訪れているが、この分野がすごく進化した
一番に感じた事である。
この種の研究成果の作物展示が年々の面積を増やしている。
研究開発者の話を直接聞き詳しく掘り下げて質疑応答ができた私は幸せであった。
その時の話は少し詳しくなりすぎる話なのでここでは記す事はしないが、
ホームページでは、触れてみるページを設けてみようかと思う。

今の農業世界でこの流れの現状を感じられない農業者は退場して欲しい。
これは私の率直な考え。
又、常識的循環の自然界の輪廻がどのような事か、
又、それを無視したらどのような結果が推測する事ができるかの知識が
付いて来れない農業者は自分がその作物を食べられるかを考えて欲しい。

農業者から良く聞く事・・・・・。
「うちで食べる物や孫に送るものは別で作ってるねん。」

こんな農業年寄りはイラン。×××・・・・。

農業は多数決で行動の有効性に対して良い悪いの決定はできない。
科学と一緒で、
実証と検証による研究の結果が行動指標の決定に結びつく。

これがこの話の結論。

明日からは白菜の苗作りの準備を早くも始めることにする。

這いつくばって仕事していると、味方が現れる。

2012年06月22日 | 好きな日常
今日は良く降った雨もあがりさわやかな風と陽射しある爽快な日である。

午後より、ひとたび雨が降れば水浸しになりなかなか排水されない畑の
改良を図るべく、畑の高低差を測量した。

どうしても水が畑から抜けなくていつも同じ作業ばかり格闘をしていたのでは
ダメだと思い相談してみると測量をしてみて作戦を練ってから行動を変えてたら?
と、アドバイスをいただいたので即実行に移してみた。

ここにも、私の這いつくばる姿に協力者が現れてくれた。

現地は圃場整備する前に谷の部分であった所を埋め立てて
田畑を造成したようで、私の畑の直近の山の斜面からは湧水が出ている。



先人が、湧水の有るところを補強するつもりで石を積んだのであろうかと
思われるが近寄ってみると相当な水量が湧き出ている。
この山の斜面を登り詰めた向こう側の谷には、
この圃場整備された地区の田畑を灌漑する為の池が有る。
この池も山向こうの谷を堰き止めて作られている。
どうもその池のそこから水脈を伝って湧き出ているようにも
感じるのであるが・・・・・・。



基準点を定めて高低差を調べる測量を開始することにした。





細かく畑内の色々な地点の高低の測量数値をいただいて排水の向上に向けての
対策の基礎とすることができそうである。



詳しく測量を行った結果、
昔、この畑の有る地域での圃場整備の手抜き工事が露見する結果になった。
ひどいものだ!(怒)

その時の業者は畑の整備事業を初めて行う業者であったと聞いた。
道沿いの場所故に通るたびに後ろめたさは感じないのであろうか?

推測が当たっているとは言えないが下記に記す今の排水性能の悪い畑に至った
理由は正論であり当たっているはずだ。

①先ず、一番最初に作られた配水管の位置がありえないほど深く低い位置に有る。
 耕作土の地表面から800ミリメートル下。
②先日のブログでも記したが明渠については勾配が確保されている。
③用水の入水側が低い。
本来田畑は緩やかな勾配用水の入水側から排水側に緩やかな勾配が
つけられているものである。←これは常識。

しかし、この畑は違う。

したがつて、次のような推測ができる。
この畑の位置的条件→この区画は9面の田の他の田で囲まれた位置である。
          即ち真ん中。
①圃場整備の行程として圃場整備の計画通りに畦を築いた。
②畦地を作った。
③新たに圃場に入れる土を作業性の面からここ(私の畑)に山積みにした。
④土を他の整備圃場に運び入れたのだが他の圃場を充当できる分の土が足らなくなった?
 或いは余ってしまったか?
⑤ここ(私の畑)一面に残った土を一面均等に広げた。
結果、計画し設計した耕作土面よりも高くなってしまった。
で、何食わぬ顔で工事は完了した。

手抜きとその時の監督者(施工側・施主側共に)が自分の圃場さえ大丈夫なら
良くて、他の圃場に関しては無責任であったと言えよう。
そして、今年の秋には、
原因解析がなされないまま経年による老朽化との名目で用水の整備工事が行われるようだ。
全く科学的根拠の無き行動に恐ろしささえ感じてしまう。

使われるのは税金である。

願わくば、しっかりした業者の選択と計画立案者である監督者を
厳重に監督しなければいけない。
監督者を監督する。馬鹿げているな。

関わらないでおく方が良策であろう。
しかし、自己利益誘導の匂いがはなはだしい。

どてらい男


昔、どてらい奴と言うテレビドラマがあった。
私の通う大阪市立明治小学校の校区は立売堀と言う鉄鋼機械関係の卸売商が
固まっている地域もその校区であった。
その中にこの物語のモデルとなった《山善》があったが今も有るのであろうか?
そのテレビドラマのDVDを探して、再度、見てみたいと思っているのであるが、
全く見当たる事が無い。けっこう長続きした商売根性モンの大阪舞台の立身出世の
ドラマであった。



最近になって実父の書棚から三冊の原作本を読んでみたことがある。
原則、自分に強く正直でないといけないと言う内容のものである。
色々とずる賢い商売人が出てくるので有るが、それはそれでそのずる賢さには
独特の商売道徳が存在し奥が深く引き込まれてしまう内容である。
駆け引きの大切さが良く分かる。
損を相手に納得させる手腕も一つの商の手法であり、
相手は得を感じているのであるが、実は損をしているという商売の事を
知る事が出来た内容の物語であった。

売り手側が買い手側に得したと言う気持ちにさせれば、例え本当は損をしていても
商売の道徳としては成り立つのである。

買い手は怒って買う人はいない。怒ってはいないのである。
怒りながら満足しているのだ。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

空の旅した《ひまわり》とアマガエルの不思議な事

2012年06月15日 | 好きな日常
梅雨の頃になると思い出す。
アマガエルの事。

私をかわいがってくれた大阪の親戚の《おっちゃん》が私が小学生2年生の時に急死した。

その《おっちゃん》の墓は当初、兵庫県養父郡八鹿町(現=養父市八鹿町)にあり、
私の亡き母親の叔父に当たる。
皆でその墓参りに行くと必ずその墓標の上にアマガエルが1匹居る。
それもこちらを向き逃げようともしないで居る。
写真を撮ろうが手を差し出しても逃げないで居る。
それが行くと必ず居るのである。

その後、大阪の親戚であったその《おっちゃん》の墓を箕面の公園墓地に移す事になった。
で、
その移した墓標の上にもあの時と同じようにアマガエルが居たのである。

これにはみんな仰天した。

同じようにこちらをずっと見ていて恐ろしいほどに落ち着いていて、
逃げようともしない。
たぶん今でも訪れると居てるに違いないと思うのであるが・・・・。

しかしあれから40数年がたった。

科学的根拠と説明できるかを大切にする日常の私の心情ではあるが、
その事だけは未だに不思議な事と解釈をしている。

怖くは無いので有るがアマガエルが同じように居てたらどうしようか?という
現実の確認により科学的根拠と説明ができなくなる事が恐ろしく、
うろたえてしまうであろうという心情が今は有る。

だから真に申し訳ないので有るが、遠い昔より直近を通る国道は
良く利用するので有るがその公園墓地に入る足は何処かに故意で忘れている。

先日、トラクターのエンジンフードの上でアマガエルを見つけた。

指を差し出すと、ぴゅっと小便を飛ばして逃げていった。
こいつは、《おっちゃん》ではない。

お正月、えべっさん、造幣局の通り抜け、難波神社のお祭り、天神祭り、
道端に床机を出して夕涼みとスイカと花火、田中屋のプラモデル、
生野峠のお化け話、箕面の滝と紅葉狩りとからかうお猿、等等・・・・。
全く関係ないのに幼稚園のお遊戯会に来て私とお遊戯してニコニコしている
《おっちゃん》であった。

私の少年の頃の《おっちゃん》との思い出が福山雅治・ひまわりという曲に
凝縮されている。

福山雅治 ひまわり


先週の金曜日の事である。

私は、お届け物があり大阪の中津へ向かう事にした。
雨交じりの埃の溶ける匂いのする灰色の新御堂筋の渋滞にまぎれるのが
憂鬱に感じていたので箕面のショッピングモールをふらついてみることにした。
当然、あれこれと食材の購入も済ませた。

花屋の前で、小ぶりの《ひまわり》が目に飛び込み
三本を購入した。

持ち帰る事よりもお届け物と一緒に添えようという気持ちで購入した。

その《ひまわり》が、ドラマを演出した。
お届けした方と一緒に搭乗し膝枕してもらってゆったりと全日空機で空の旅をした。
機内でアテンダントから膝の上で寛ぐ《ひまわり》が全日空のイメージフラワーと
一緒と声をかけてもらえたと。
なかなか、アテンダントから話しかけられる機会は少ないらしい・・・・・。
三本の《ひまわり》も楽しい雰囲気作りに一役貢献したようだ。

その《ひまわり》が、1週間たった今でも元気でいるという。

私はたいへん嬉しく思う。

《ひまわり》が元気でいる所は、高く澄んだ空と空気の有る土地である。
できれば窓辺に居てくれれば《ひまわり》も退屈はしないであろう。
風が目に見え、雲が流れる様さへ絵となり、たぶん窓からの眺めは
安らぎの心を醸し出してくれる地であるからだ。
《ひまわり》は買われていく人の選択ができないのだが今居る場所と現実とは
反対にマンションの無機質な四角い壁と高架道路の見える窓からの忙しい眺めと、
無精者の世話を受けるよりはたぶん安泰な余生の過ごし方ができている。
感情が有るならたぶん種を実らせて種の保存の本能が働くようであれば
切花ゆえに不可能と思うがこれはこれで不思議な能力と偶然を発見する事もできる。

ショッピングモールで私に見つかったのが運の付きで、
幸か?不幸か?は私は幸と考えたい。
私より幸せな所に居る。

先程、鍬作業でできた親指付け根のマメが潰れて痛いが
なぜか少し充実感に浸り嬉しい。

今、トーストが焼けた。チョコクリームを塗って夜食タイムとする。
コリャ~痩せないね。


発展的進化 エボリューション

2012年06月03日 | 好きな日常
午前中は薄曇であったが、昼前になってポツポツと雨が来ては
又帰る状態の昼過ぎであった。
で、
仕事をそこそこにして、大変にお世話になっているKGY女史の
左京区大原の畑を訪問する事にした。
目的は先日いただいたホンダ製農機のスペアパーツの引き取り。
ご主人も畑にて元気で農作業をしておられて、訪問時には木陰で食事中であった。
少し驚いたので有るが、濃い茶色のトイプードルが2匹同行で畑に居て
のびのびと遊んでいたり、農作業する上で迷惑この上ない野生的行動を繰り返していた。
必ず、飼い主の見えるところに居るのは犬の習性であろうか?
その食事の内容で少し大爆笑が有るので記すことにする。
女史が缶のリングプルを開けて少しを犬に分け与えた。
肉の缶詰のようでありその高さの無い薄い缶はどう見てもドックフード。
そのドックフード様の物を女史はリーフレタスに包んで自身の口へ・・・・・。

超ョ~~驚く私!!!!

《ドックフード食べてるん?》問うと、・・・・・・・・。
なんと輸入コンビーフであった。

私はてっきりドックフードを食べていると思ってしまっていた。
女史の今までの行動はそれを食べてもおかしくない行動が目立つ事が多い。

以前、レビューに同行した時もである。
その帰りに靴を脱いで食事をする所に行ったので有るが、
靴下を片方だけ履いていなかった。どこかで脱ぎ忘れたらしい。
別の方に聞くところによると海外旅行で出発の際にパスポートの準備ができていなくて
荷物を開け散らかして探したりする事もあったようにも聞いた。

まったく構造の中心で子供の頃からの進化の無い方。
普通の方では少し敬遠の対象となる行動が多い女史である。

私は全く気にならないので今も楽しく親交が有る。

で、
少し時間が有るので久々に還暦ダンス氏といつものサイゼリアで熱く討論会。
今日はすごく深い話。
その話の要点から結論をそのときに出す事はなかったが、
私なりにその結論をまとめてみると下記の内容で落ち着く。

一つの結果はどうであれ事象を自身で企てて実行しようとすると
必ずや《算》が生ずるのは必然である。
その《算》の机上での結果が良くても悪くても先ずはその水面に石を投げ入れてみる。
当然、その石の落下した水面の周りには波が起きてその直径は均等に円を描いて広がる。
浮き草が揺れる。
この浮き草が揺れる事が人心であるとするなれば揺らした事が結果としてなら
成功したと言う事である。

物事の始業者として、その石を投げ入れずに、又、物事を企てる事だけに
夢を見る始業者風の方を多く見かける。

私は一笑するので有るが・・・・・・。

この方達の話を聞くのはたいへん疲れる。
まだ、なんら行動を行わないのに夢の話や理想を語るのである。

とある方は、子息に店を与えようとご苦労されているのを目にしているが、
はっきり申し上げてその子息に運営の資質は無い。
運営の資質の有るものは自身で行動を起こす。
又、
とある知人の同居人は、誇大に自己能力を良評価していて
人の事業の評価は散々に言うがなんら事業を企てていると言いながら
その準備の為に資格を取るとか、行動を起こすとかを聞いてはきたが・・・・・
語っている事はここ4年ほど経つが見てはしない。

即ち、石を投げ入れるだけの力を持っていないという事。

ましてやこの方々は、名誉や地位を重んじる傾向に有るようだ。
薄っぺらく直ぐにも剥がれ落ちるものだと気付いていないところが不幸である。

しかし、
その力を持ち合わせていても、恐ろしい勘違いは実力以上にあまりにも大きい石を
持ち上げてその水面に投げ入れる事。
すごく危険なのである。
自身に水しぶきがかかるし、又、浮き草も遠くに押し流されたり沈んだり
迷惑この上ない行動になりがちで有る。

私は幼稚な精神構造であった頃にこの経験をしている。

《肝心な事》を知る為には冷静沈着な真理を見極める力が必要に思う。
流行物にもその隠された部分にも理解を示す事や意図する事を見抜く力が必要であろう。
その為には、視覚的情報を無機質な物より発信者側から一方向的に受け入れるのではなく、
能動的にこちらから発見の為に行動し発見に至る喜びを得る方が
どれだけすばらしく感動的であろうか。

雄大な風景のテレビ画像は真実ではなく、
たとえ、
埃の街の雑居ビルのトイレの小窓から見える自身の目で見ていて感じる光景は
真実である。

幼稚とは《肝心な事》が理解できない事。

私以外にあまりにも世の中にこの輩が多すぎる。
私が疲労困憊する原因の一つでも有る。

もうひとつの土曜日 / 浜田省吾 【歌詞入り】


今日の話題に付随するかどうかは別にしてを以下の文面を付け加える。
遠い蒼空の下に私が人間的に発展的進化をする為に
このハマショーを聞いて欲しい人が居る。
私は、忘却という方法も進化する上で必要なツールで有る事も
多くの事から自然に学んでいた。
しかし、忘却ができない事も有り、いつまでも引きずる自分が反面に存在する。
誰しも有る事であろう。

発想のGENESISを出発点とするなれば、
過程のEVOLUTIONの最中においては
くれぐれも《肝心な事》と言う言葉を忘れて置き去りにしたく無いと
自身痛烈に幼稚であつた当時の事を思い出しては反省を伴い
今後に二度としてなるか!と思うのである。

幼稚でない為に一生涯《知りたいという欲求》を持ち続けていたい。
やはり私の修行は続くのだ!と確認をした。

私はこの頃、脳内を攪拌する話をしてしまう。
強風下の旗が風に激しく鳴り、
引きちぎれんばかりに目を閉じるとはためいている。

克服には《慣れ》が有効で、敵対関係で同じ《慣れ》を持つ事・・・。

2012年05月22日 | 好きな日常
最近、何年ぶりかで超しんどい仕事をこなしてみた。
広い畑でひたすら有機発酵堆肥を撒く作業である。
手押し一輪車に有機発酵堆肥をスコップですくい山積みにして、
不整地の畑の中をひたすら押して歩き、
畑の隅から順に満遍なく畑の全面に撒く作業だ。



で、撒き終えまで、約4時間。休む事無く単純な力仕事を重ねていく。

作業スタートの最初期は息切れするぐらいすごく辛くしんどいが
何度か、ハァハァ・ゼイゼイを繰り返していると、
不思議なものでその苦しさが《スゥ~~~ッ》と清涼感を伴い消えてしまい、
ただ、単純な作業に黙々と集中していると周りの音も聞こえない静寂の中で、
体が動くのが不思議だなぁ~と、
終わってから自己満足の充実感に酔いしれ、
ごくごくと飲み干す阿波番茶の食道を通る心地良さに幸せを感じていたりもした。

その有機堆肥を撒き終えた翌日の早朝5時頃から、
発酵鶏糞の15kg入の肥料袋を40本を1本ずつ肩に担ぎ不整地の畑の中を歩き、
隅から順番に満遍なく撒いてみた。
で、
撒き終えるまでに2時間。
撒き終えた状態が下記画像。



「阿蘇は曇りで日蝕は見れません。そちらの天気はどぅ?」
とのメールが午前7時過ぎに着信していたのを午前9時過ぎに読む。
ひたすら作業に熱中していて日蝕のことは完全に忘れていた。
《畑で日蝕を見れば良いかなぁ~?》と思っていたので有るが・・・・・・・。

んんん~~~。全く意中から消失していて、少し悔しい気持ちが有る。

《慣れ》とは不思議なもので、体力的に最初に取り掛かるまでは辛いであろうと
思う事も二回目はそのように感じる事が少ない。
と、いうか、
一度その辛さを経験してしまうとその辛さを克服する気持ちの置かれる場所が
前面に突出してくるのであろうか?
辛さが感じられない。
慣れによる辛さの感覚の麻痺に近い状態の方が表現として的確かもしれない。



トラクターで畑を深耕していると上記のような光景を目にした。
本来、カラスとトンビは敵対するものであるが・・・・・。
生命維持の本能的行動に於ける敵対関係を超える《慣れ》の光景。
一緒に近い場所で畑から掘り起こされた虫をついばむ姿が私の作業する畑では
頻繁に見ることができるのだ。

彼らも、餌を摂るという生命維持の根源である本能的行動において、
敵対する関係以上に慣れに感化されて敵対する行動が麻痺に近い状態に
有るのかもしれない。

水の枯渇する季節に水のみ場に、ライオンとシマウマが近所にいるのと同じだ。

畑では、生物の不思議を観察できるフィールドのようにも感じる時がある。


夕焼けとんび/三橋美智也


この事象は真の共存の姿か?

ジャイアント馬場とアントニオ猪木が吉野家で牛丼(並)生姜山盛りにして食べていて、
タイガージェットシンとアブドラ・ザ・ブッチャーが込み合っているので
合い席でその向かいに座って特盛汁ダクを食べている姿。

生きる為の条件を分かち合う自然のアンバランスな法則をカラスとトンビから
見ることができようか?
即ち、畑は自然科学的な観察題材を提供してくれる現実的事象の埋もれている
大きな書庫でも有る。

見入ってじっとトラクターのステアリングを握りニュートラギアでアイドリングさせて、
脅かさぬようにトラクターの進行を止め、観察し不合理性に考えにふける私は
ゲーテのような自然科学者で詩人に似てみたいと思うのである。


スカイブルーの晴天の空、叢の車

2012年05月19日 | 好きな日常
ここのところ良く晴れた日が続き爽快な気分である。
半袖で行動している私の両腕と顔は既に夏色に近くなってきた。
そんな先日の事を記す。

丹波黒豆を作っていて休耕している圃場が有るというので下見に行く事にした。
その場所は古の若狭街道より少し舞鶴に向けて方向を変えようとする山中の場所で、
城丹国境の山並みの袂の谷間の杉木立の向こうに見ることができる場所であった。

清々とした風の中、しっかりと手入れされた状態で土が休んでいて
そこから水の上流には畑や田がなくたぶん潅水に使用する水も
谷の湧き水であろうかと思う。
圃場の面積は、約5反(1650坪)広い。
一人での作業となるとたいへん労力の必要な面積である。
現状は、やがて肥料となる緑肥植物の緑が美しく広がる清潔な圃場であった。

その帰り道に、近隣の様子を見てみようと知らぬ村落に入ってみた。

そこで発見!!!!!
先ほどの圃場の感動とはまったく別の感動だ。

ホンダ1300(77)

ホンダ創業者、本田宗一郎がこだわり続けた4輪用空冷エンジンの
又彼が最後に開発に関わったモデルである。
結果、空冷での限界を感じたホンダは、
この車の次のモデルからホンダの自動車は水冷エンジンとなる。
本田宗一郎最後のごり押し開発車。
結果、販売戦力に失敗し継続的に長続きするものではなかったようで、
CIVICという新しいコンセプトが社運を牽引していく事となる。



ぐるりと周りを回ってみたがこれと言って部品の欠品が無いので
上手くすれば走らす事ができるかもしれない。
しかし、左目が欠損。なぜかリアビューミラーが無い。
その部品の調達は不可能であろう。
ポンティアック然としたフロントマスクの意匠は私の記憶には、
当時、すごく新鮮思えて「かっこいい車だなぁ~」と感じた記憶が有る。



私の従兄弟がこの車の発展系スポーツモデルのクーペ9を所有してたので
幾度と無く乗せてもらったことが有る。
北山の山里に住む従兄弟で小学生の頃良く夏休みには訪れていた。
8トラックのカーステレオが付いていて、幼い私には今でこそ聞き慣れているが
ベンチャーズなんて知る事も無かったが、たぶんそんな曲が流れていたように思う。
父親と《スパイ大作戦》を見ていた終了のコマーシャルがそのクーペ9で、
主役のピーター・グレイブスがしていたので有るが違ったであろうか?



これぐらいのコンパクトセダンが今の日本車には無いのが残念である。
後ろ姿は当時は気づかなかったが
「何となくB110サニーだなぁ~。」と立ち眺めていた。

そんな1970年、万国博覧会があったし、
私は小学4年生であみだ池の学習塾に通わされた。
通わされたのである。行きたいので行かしてくれでは無い。
そのあみだ池の交差点の西南にあった塾の対面にはヤマハ発動機の大阪支店があった。
私はここでも塾の窓から、XS-1、DS6、DT1など気を奪われていては、
勉強などできるわけが無い。窓の外に見える出入りのモーターサイクルが
気になって仕方ないし、加速していく音が未だに脳裏に響いている。
あの、2サイクル独特の発信時こもった音から一気に速度が乗ったときの
甲高い音と紫煙がかっこいいと思っていた。
純白の大量のTD1が見れたときの感動は・・・・・・・・。(絶句)

確か、そのレーサーのエンジンをかけていたように思う。

未だ、その憧憬から醒めてなくて,どこかに繊細な女性的デザインが匂い、
スマートでチョツト隠れた粋が見えるヤマハが好きである。

通う大阪市立明治小学校は、旧校舎から新校舎に引っ越したばかりで、
夏秋先生が担任で都会の学校ゆえに1学級であった。
その中で、学級新聞を作ると言うので、
当時、流行った《フランシーヌの場合》を替え歌にして載せた記憶が有る。
その替え歌の題名は《小川君の場合》
小川君はグリンピースが食べられなくて、給食時間はいつもグリンピースの献立の時には
泣いていて掃除が終了して終礼の時でも給食皿を前にして食事中であったように記憶する。
残しても良い教育の今では考えられない事だ。

小川君の場合は、あまりにもお馬鹿さん。
小川君の場合は、あまりにも悲しい。
・・・・・・・・・

〆の言葉がグリンピースであったように思う。

高田恭子/みんな夢の中


最近、夢を見ることが多い。

昔の事ばかり。

それは現実として幼い私に降りかかった事ばかりの走馬灯的展開を超高速で
暗転と黒子の活躍が脳内で起る。

先回のブログの内容もしかりで、私は昔のいすゞトラックを運転していて五条通を爆走していたし、
昔の大阪市バスに乗っていて、野田阪神で全く知らない女性とお好み焼きを食べていたり、
幼馴染の杉野千鶴や谷美佐子が子連れで出てきて、西大阪模型でタミヤのプラモを買っていて、
中島屋でチェリオオレンジがなぜか中央市場のホットミーコー(ホット・オ・レー)で
あったりする。

ここんとこ、二回に亘り昔話・思い出話と車の話になってしまった。


調子が悪い

2012年04月22日 | 好きな日常
車の調子が悪く、先日は京都市内で加速がギクシャクして
全くスムーズに走れなくなり急遽ディーラに飛び込んだりもした。

今のところの加速不良の原因は、低速回転での失火。
プラグコードがどうも寿命のようだ。



で、

部品を発注するも既に在庫が無く、イタリヤ本国にもその在庫が無い。
普通なら困惑するところだが・・・・・・・。

何とかしようと奮起する。

この奮起し考える事も車遊びの愉しみの一つである。

実際に、プラグキャップやプラグコードに経年の劣化から目に見えない穴が有るようで、
シリンダーヘッドのプラグホールの側面へ高電圧がリークしスパークを飛ばしているのを確認した。
早速修理にかかる。
下画像は、不調の原因であろうと推測できるプラグコードとそのキャップ。



絶縁を行う為に用意した材料は下画像。
耐熱の絶縁テープ
(しかし、10KV~20KVもの高電圧に晒されるプラグキャップで絶縁効果は無いであろう。)
0.5mm厚のゴムテープ
(これをキャップに巻き付けてその上を何重にも耐熱絶縁テープで覆う。)
超安値の瞬間接着剤



で、
改良(ひょっとすると何の効果が無いかもしれない。)して完成したのが、下画像



同時に、吸気センサーの汚れやスロットル開度センサーの不良を疑っていたので、
全てのインテーク側のパイプをはずして確認し、清掃を行う。
その時、エアークリーナーの点検を行う為にボックスのカバーをあけようとしたのであるが・・・・・。
まあ、イタリヤ品質の驚くべき点でも有るが・・・・・・。
ボックスとボックスカバーを留めるボルトがボックス側に有るナットと供回りをしていて
カバーが開かない。
結局、ボックスASSYで取り出し、難渋してカバーを取り外し、
エアークリーナーを取り出す。

汚れすさまじく、使用限界である。



その、エアークリーナーを観察していて・・・・・・・。
ピンとひらめいた。
もっと、効率のよい方法で日常手軽に使い捨てができるように
改良してやろうと考えて、先ずは濾紙を取り除いて金網だけの状態にした。





池やんレーシング製・スーパーエアクリーナーASSYの完成である。



で、取り付けて乗ってみる。
不調よりはずっとまし。
アイドリング時の失火も少なくなった。
何よりも、排気ガスが通常の匂い。

もう少しスムーズのエンジンがつなぎよく回る為には故障原因は別に有るようにも思う。
が、しばらくはこのままで乗ってみる事にする。

吸気抵抗が少なくなったのか一気に加速する感じは依然よりもずっと強烈になった事は
特筆できる。
反面、少し、低回転での粘りと言うか・・・・・・・。
どうも、トルク感が薄い。

新しい屋号について考える。→ 疲れる。 ←でもね、楽しい。

2012年04月14日 | 好きな日常
新しく農地を使用する事になってその地域の方からの連絡で、
農業用水の堰の整備を共同作業を行うと言う事なので現場へ出向いた。
初めてお会いする方達であったが気さくに接してくれてなぜか楽しい。

後ろに付いて川べりの狭い道を歩く。



取水する堰の有る川はこんな感じの谷川。
春の日差しの中で流れが美しい。



で、その堰に到着。
この堰をせき止めて水位を上げて側に有る用水の取り入れ口から
取水する仕組み。



で、角材を組み上げていきすぐに作業終了。
今年は水が多いようですぐに水位が上ってきて、ダムの完成。



私は川中に居てしばらく作業をしていたので、ご覧の有様。
股下まで濡れた。
でもなぜか心地が良い。



一昨日から農産について思考する日が続いている。
先ずは作物の選定。
小松菜・水菜を中心に品種を選定していく。
他の作物については・・・・・・・・・。(秘匿)



企てている事業についての屋号が無いのでそれも考えてみたが・・・・・・・。
少しこだわった名前をつけようと思えば思う程その文字と言葉は難しくなっていく。
おかげで一昨日の夜は明け方まで寝られなかった。
下記の6種には絞ってみたので有るが・・・・・・。
いかがなものであろうか。

persona onesta
personne honnête

buon raccolto
récolte riche

L'ovest dello stagno
L'ouest de l'étang

色々な呪縛を解き放ち、新しい事を創生するときの気分は爽快である。
水の濡れたズボンでも楽しく歩けてしまうから不思議なもんだ。

で、
今の気分は、
On the sunny side of the street


Grab your coat 
Get your hat
Leave your worries
On the doorstep
Just direct your feet
To the sunny side of the street

Don’t you hear the pitter-pat
And that happy tune is your step
Life can be so sweet
On the sunny side of the street

I used to walk in the shade
With those blues on parade
But I’m not afraid
This rover crossed over

If I never had a cent
I’d be as rich as Rockefeller
Gold dust at my feet
On the sunny side of the street

多くの歌手が歌っていたり、BIGBANDでも演奏されているスタンダードだが、
やはり雰囲気と楽しさは彼が一番だなぁ~

ルイ・アームストロング。

Louis Armstrong - On The Sunny Side Of The Street.





越前の強風と霙(みぞれ)

2012年02月11日 | 好きな日常
富山に向かう事にした。
気象条件は最悪で雪を覚悟の出発である。

滋賀県の安曇川を越える辺りから家々の屋根には雪があり
今津の街中では、30センチは積雪が有るように思えた。
その今津で先日買い換えたばかりのスマートフォンの充電器を忘れたので
家電店へ入って購入した。
こりゃ~たまらん。店前の雪は50センチは越えている。

滋賀県と福井県境の国境峠の国道161号線は峠のピーク付近で除雪された雪の壁は
2メートルを越えていた。融雪装置のスプリンクラーから出る水は雪の壁によって
その行き場を失って道路を傾斜方向へまるで遊園地の急流すべりの水流のごとく
道路を川のごとくに変化させていた。
その水流の中を雪の塊がどんどん流れている。
踏むたびにけっこうな衝撃が有るものだ。

で、
疋田(ひきた)の国道8号線合流から先は凍結路。
用があり敦賀市内へ向かうが・・・・・・・・。
強風と横殴りの霙(みぞれ)である。

経験有る方も多いと思うが《仁丹》のような氷の粒が、
ザ~~~~ッと一気に降る。
そして短時間で一気に路面を白くしていく。

先を急がなければ絶対に激しい雪になる。と予測した。

先を急ぐ事しばし・・・・・・・。

越前岬近辺の海沿いの高い崖上を縫うようにして国道8号線を
福井~金沢~富山に向けての急ぎ旅である。
昔、越前岬の灯台を雪が残る道を登って見に行った事が有る。
水仙がたまらなくけなげであり群生しているのを見ていると
逞しい生き方と生命力というものを感じたことが有る。
そこからの若狭湾の向こうに有る丹後半島の遠景は絶景であった。
そんな事を思い出したり、国道8号線での難所は富山を抜けて、
親不知ノアの沿岸も厳しい断崖の上の道だなぁ~などと考えていた。
この区間は自然と速度が落ちる。
大型車が曲がったトンネルの入り口で離合できない可能性の有る場所も有るし
実際にミラ-を対向車と引っ掛けたり、荷台の屋根をを擦るなんていうのは
どうも日常茶飯事だとも聞いた。

明日はどうしようと考えている暇も無く久々の雪中の神経すり減らす運転。
これはこれで何もかもを忘れて集中できる楽しさがたまらなく好きな時間でもある。

伍代夏子 雪中花


山中温泉取り付けに有る8番ラーメンの本店で夕食にしようと思ったが、
雪が追っかけてくるのを恐れてまだ先へ進むことにする。
で、
金沢手前の小松で夕食にする。かねてから食べてみたいと思っていた
ミックスグリルを迷わず発注。
ここで少しドラマが有るのだがその内容については
又後日記載を考えよう。

金沢から小矢部川への倶梨伽羅峠で遂に雪に追いつかれてしまった。
どんどんと雪が降る。
一瞬にして目前進もうとする道は白銀へと変わっていく。
ここで決断をした。目的地への到着を急げばたぶんこの雪に追いつかれないのではないか?
車中泊をするこの日の夜は明け方に起りうる難渋をできるだけ目的地に近い場所で
対応をしたいと考えシャーベット上の国道8号をすっ飛ばして富山市内に到着した。
まるで、WRCのモンテカルロを走るような・・・・・・。
その華麗なる車の扱いとテクニックは言えません。

目的地に到着してしばらくして、先ほどの雪が追いついてきた。
既に富山市内は雪氷の世界であったが・・・・・・。
激しくその上をこれでもかと襲い掛かっている様であった。

虹の向こうは?

2011年09月25日 | 好きな日常
少し前の記録になるが、台風の過ぎ去った日の事を記す。

虹と言うと必ず私は思い出すことが有る。天地真理。
昔、天地真理が歌っていたな~~~。
《虹の向こうは~~、晴れなのかしら~~~?
 あなたの(町)ま~ちの~~あのあたり~~。》
真理ちゃんスマイルと評されて一斉世の中を風靡したが
今となってはただのオバサンだし、
今から思えば格別美人でも、かわいらしくも無かったのにすごい人気であった。
キャラクターを利用した、少女向けの真理ちゃん自転車なるものもあった。

台風が過ぎた日、残り雨に西日が当り本当に綺麗な虹がかかった。



前夜から午前中にかけてはとにかく良く降った。
京都市街に住む頃はあまり雨の降る音を感じることが無く
車が路面の水を切る音で雨と感じるのであったが
住まいを変えてみると雨の感じ方がまるで違う。

本当に雨が降る音がするのである。
雨の一粒一粒が空気を裂いて降りかかる音であろうか?
劇画なんかで雨の表現をするときの
あの、しゃ~~~~がする。

虹も京都市街では建物の影でよく見えないが、
この地では半円に近い形で見える。
わたしの住むところに向こうに町は無い。
国道を隔てて山並みが続く。




熱心という事、永遠という事

2011年08月22日 | 好きな日常
今春にも行ったのであるが、
昨日の午前に《我が愛しのフランソワ》に会いに行ってきた。
彼女は滋賀県竜王町で牧場をご家族で経営されていて、
そこで搾乳された原乳を乳製品とりわけチーズやプリン、ジェラート、
当たり前であるが飲料に加工されて直営店と今回のようなイベントに
出店をされて精力的にプレゼンを行い、お客様の意見を取り入れて
製品作りに生かしている。

私は《我が愛しのフランソワ》に見習うところが多い。

その常に前向きに製品品質の向上、発酵技術の向上に邁進している姿や
努力工夫を彼女の日々の話から知る事は私にとって励みになり
自由闊達に行動できる事が私の憧れる一面でもある。



今日は、一度お会いした事がある気さくな明るいお母様と、
どこか牧歌的な静かな口調の陽に焼けたお父様も来場されていた。
《我が愛しのフランソワ》の周りでは私のこの春から体調不良の事も
ご存知だったようで心配してくださっていたようだ。
彼女からは近況の報告をお聞きし、反対に私は自身の今後の仕事についてや、
考えている事、又、将来への道筋の事をお話をすることができて
立ち話であったが大変有意義で発展的な話が多くて
元気をもらえて良かったと思っている。



彼女の作る、フロマージュはデパートへも出品して人気を得ているようだ。
今回はそのフロマージュと彼女の牧場の工場で作る特製プリンとを
購入した。



先回は、沖ノ島の漁師さんのおかあさん達の新鮮な琵琶湖産魚の販売に
驚いたものであるが、
今回は下記の写真にあるとおり、蜂蜜に驚いてしまった。
見れば分かるがミチバチがいる。



養蜂家の苦労を充分にお聞きする事ができた。
ハチはストレスが溜まると攻撃的になり優しさが無くなると聞いた。
特に締め切る事がダメで、病気になるという。
当然、気候条件が良好で花が咲かないとハチミツが取れない。
当然である。
一年を数回に分けてミツバチを花の咲く時期に花の咲く場所で離す。
するとその時期に咲く花の蜜を集めてくる。
で、生産すると、今度は放任するらしい。
ハチに自由にさせる時期を与えてハチの栄養とさせるようである。
そりゃそうだ!
「働きバチも盆・正月休み無いと良い働きをしないよな~。」
「赤提灯でも行けば、明日がんばろう!思える。」
と、
なるほど、納得である。



で、フロマージュ、プリン、ハチミツをお土産にして、
左京区のカフェ《マックさんの家》へ向かった。
ここには、二輪世界に身を置いていた時にあれこれとお世話になったり、
このブログ初期の頃に記しているのであるが、
近隣の林道の走行についての楽しさも教えてくれたオーナーのK氏と
何かと一人暮らしの私を楽しい会話と自製の売り物ではないスィーツで労い、
笑顔でもてなしてくれる美人でかわいい妙齢のご姉妹へ
日頃の感謝の気持ちとして持参した。

しばし、K氏と歓談していると、そこに25年前に大変お世話になったI氏が来た!
開口一言、「何でそんなに太ったん?」
ここはすばやくこの話題からそらさなければいけない。
I氏の近況は充実されているご様子。
又、奥様と一緒に詩吟をされておられ、ご本人は尺八もされているとの事。
尺八についてのレクチャを熱心に聞く。
勉強させていただいた。

ENDLESS LOVE Lionel Ritchie duet w Diana Ross w lyrics


そのI氏の高齢での初婚に際しての馴れ初めを聞いた。
すばらしい出会いというものがあるものだと感心するし、
人付き合いの大切さ感じる事ができる。
又、氏の現在の奥様と過ごされている日々のライフスタイルもかっこいい。
で、
その事象にふさわしい曲を添付してみたのが、
上記動画である。

私はI氏のようにできたであろうか?
I氏はもう無理かな?というあきらめの気持ちから、
何気ない名前も知らない人付き合いから、
今しか無いというチャンスを引き寄せた。

私はそのような偶然の時を幸福の現実に展開できる寛大な心を持ち合わせていない。

静かにその時を待つという事をI氏に私は見習う必要があるかもしれない。
I氏のかっこ良さに男を感じた。

販売士2級試験の学習を開始する。

2011年08月14日 | 好きな日常
今までの経験を何とか公的資格で証明し認定してくれるものはないかと考え、
先日、販売士試験3級を受験し、かろうじてだと思うが合格する事ができた。
全く設問が理解できなくて、問題が問う内容が理解できなくて、
難渋することが多かったので、次回の販売士2級試験は書籍店で市販されている
速習本での学習ではなく、じっくりと専門教本を履修する事にした。



で、その内容は・・・・・・・・・。
詳しすぎる。(驚)
全部を理解し同時に過去問題をこなしつつ試験に臨む事ができるであろうか?
マスターできるであろうか?
ハンドブックを読む限り、3級よりもより深い解釈が必要となることは間違いない!

資格試験とは戦いなんだという感じがするし、
そう考えなければたぶんこなしていく事ができないであろう。

履修科目の内容は、
①小売業の類型
②マーチャンダイジング
③ストアオペレーション
④マーケティング
⑤販売・経営管理
以上の五項目である。

3級試験では速習本と過去問題集の読破で何とか合格点を達成したものの、
今手元にある教本は各項目が深く専門的に教義を展開しており
読解も技量を必要とするものとなっているように感じる。

3級の試験項目と同じ試験項目の5教科であるが、
試験時間は同じで、全ての設問数も同じ、配点比率も、合格基準も同じとなると、
今の段階では、3級試験では解答を導き出す事ですら時間一杯で、
見直しや確認の時間を取る事ができなかったので
2級の履修すべき文章量と認知すべき事柄が格段に多いので
理解する事ができるのであろうか?という不安が沸いている現状である。

先日、京都産業21にて中小企業診断士の資格取得を目標にしている
私にとってこの販売士試験2級の合格は必須と考えている事を
言うと、相談相手であった現役の中小企業診断士が
「中小企業診断士の試験項目で販売士試験と同項目の勉強をする部分が有ります。」
との事。俄然がんばらねばという意気込みも高める事ができた。

その中小企業診断士U氏は中小企業診断士資格の合格への
勉学方法のポイントを伝授してくれた。
これは後日、目標とする合格の報を受けた時に随時公開して
いきたいと考えている。

先ずは目前に迫る販売士資格2級試験の合格を目指す。
必ず一発合格を基本においているので、
少しこのブログも間が開くかもしれないが、
履修項目での不思議な事や新たに認知した事を公開する事によって
自身の学習の経緯の記録として残していきたいと考えている。

販売士資格を持っていたからといって、どうのこうと境遇が
変わるわけでもないし、中小企業診断士資格を持ったからといって
私はコンサルタント業をするつもりも無い。
当然、その資格を生かせる職にもたぶん就くことが無いかもしれない。

給与を貰わなくなってから今までの25年間、
多数の周りの人々の反対を押しのけて自営を貫いてきた。
25年間の経験の結果をこの資格試験の合格という事で
得た知識をまとめ上げて決了し、
私の性格で一番強い、知る事を渇望する欲望との決別を
確定する事にしよう。

学習に割り当てる時間1200時間・・・・・。
来年の8月上旬まで長い1年間になる。

Frank Sinatra My Way


私はフランク・シナトラのこの歌の歌詞に同位している。
結婚式で歌われる日本語の歌詞ではない。

私が病に臥し、目標達せず無念にも非業の死を遂げたら
この歌で私を知る人だけで笑顔で送って欲しい。
で、日本海に骨を撒いて欲しい。

お願いします。