maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

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番外編08 1年経過後の検査入院-5

2007-04-13 16:55:00 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

2007/04/07-検査入院第三日目(その1)
昨日の夕方、担当医の説明を受けながらカミさんと見た画像では、確かに再狭窄はしてなかった。
それはエエんですが、心筋がやられた下の部分は、やっぱり動いてなかったねぇ
ひょっとして、少しは機能回復してるんとちゃうかいな?と淡い期待をしてたんやけどなぁ。

去年「この壊死した部分は、もう回復しません。」とはっきり言われてるんですが、ひょっとしてというのがおますがな。
しかし、上の方だけで忙しそうに動いている我心臓を改めて見ると、いじらしいというか、恐ろしいというか・・・。
あれは、あんまり何回も見たいという映像とちゃいますなぁ。

さて、止血が上手くいって一安心。
「合併症が出たり、傷口からの出血が無い限り、明日退院です。」と担当医に言われても暫し実感が湧きませんでしたね。
そうか、明日か、ん?明日って、後2時間程で明日やで、うわ~ぃ、眠って起きたら退院やんか♪

なんと二泊三日、正味48時間で帰られるとは、もぉ、夢ではなかろうか!
さぁ、こうなると眠れんもんですなぁ、といいながら検査疲れかウトウトッとしたらトイレに行きたくなるんです。
造影剤を早いこと排出させるために、この点滴には利尿剤でも入ってるのんかいな?
点滴スタンドを引っ張って行こうとしたらガクッと抵抗が、充電用のコードを抜いてなかった・・・。

老眼鏡をかけて、点滴の流量調整機の液晶表示を見てみると、残量340cc。
腕に着けられへんから、ベッドの手摺に紐でぶら下げておいた時計を見たら、真夜中0時の少し前。
頑張って眠ろぉっと、眠らんことには明日になれへんがな。

それが、しばらくしたらまたトイレに行きとうなって目醒めますねん。
幾ら静かにと思っても、点滴スタンドを連れて行かなアカンので、ガサガサ、ゴロゴロ、結構音がします。
お隣も私と交代みたいにして行くから、同室の残りお2方は寝難かったやったやろうね。

寝たり起きたりの千切れ端切れの睡眠で、一体どのくらい眠ってるのか、よう判らん。
お隣がナースコールで、点滴が終ったから早い事針ぬいてくれ!といっているのを夢現で聴いたような聴かんような。
何回目かのトイレに起きて、輸液のバッグ見たら空になってますねん、そういえば終了アラームは使わんいうてましたわ。

時計を見たら4時丁度、ナースコールが先か、トイレが先か?
うう、アカン、そんな事落ち着いて考えてる余裕が無い、と急ぎトイレに行きました。
トイレから出て病室に帰る途中で、丁度看護師さんが見回りをしてるのに出会いましてん。

「点滴終ったよ。」
「えっ、わざわざ知らせに来てくれたんですか、ナースコールで呼んでくれたらいいのに!」
「ちゃうがな、トイレに行った帰りに上手いことあんたに会うたんや。」

一緒に病室へ戻って、針を抜いてもらって、ヤレヤレこれで両手が自由になった。
さすがに外はまだ真っ暗、ベッドに横になって見たけれど、完全に目が醒めてしもてね。
幾ら両手が使えるようになったとはいえ、起きてPCのキーボードを叩くのは気が引ける。

そうや、こういうときこそ音楽を聴いたらエエんやと「女子十二楽坊」を聴いてたらコトンと寝てしまいました。
次に目覚めたら7時前、もう外は明るく同室の方たちはとっくにお目覚め。
体重を測りに行って、ナースセンターへ報告。

程なく今日は海苔佃煮付きの朝食が来て、手が自由なだけにあっという間に食べてしもた。
やっぱり検温と血圧測定が済むまでは、パジャマで居てんとアカンやろうなぁ。
検査で異常なし、血も止った、朝飯も食べたとなると、もう私の方は用事が無いから早よ家に帰りたいんやけどね。

看護師さんがやって来て検温と血圧測定を済ませて「入院費の事なんですが・・・、」
思ったよりも早く退院できると、折角喜んでるところにイヤな話題やなぁ、と思ったら全くの外れ。
「土曜日で書類の処理が出来ないので、申し訳ありませんが後日郵送ということで、」

おほっ、何も申し訳無いことがおますかいな、郵送結構でっせ、なるべくゆっくり送ってね。
郵送し忘れて届かんかったら、もっと結構なんやけどね。
とはいえ定期的に受診に来るんやから、そのまんま知らん顔は無理やろなぁ。

それにしても、昨日の内に止血できて助かりましたわ。
もしも、少しでも引掛かってたら、日曜の退院は無いよって、月曜まで病院でのたうってんとイカンのです。
病院の都合で退院が延びても、キッチリ入院料は取られるんやから患者というのは弱いもんでっせ。
物は考えようで、具合が悪いのに後がつかえてると、ホッポリ出されるのよりはましか。

「じゃぁ、IDバンドを外しましょうね。」と足首につけていた認識バンドを切ってもらって自由の身。
さて、こうなるといよいよ帰ってもエエんやけど、カミさんが来るのを待たんとイカンしなぁ。
折悪しく、今日は自治会館の運営委員会で会計報告をせんならんから、10時半ぐらいにしか来れんそうなんです。

まだ8時前やんか・・・、まさかこう速く退院の段取りが済んでしまうとは思うてなかったなぁ。
昨日既に荷物の一部持って帰って貰ってるんで、残りはディパックとショッピングバッグ一つで納まる。
こんなもん、ものの10分も有れば纏められるから、幾らゆっくりしても2時間以上待たんといかんがな・・・。

一人でも充分帰れるけど、そうかいうて、カミさんが来たら帰った後やった、とスカを喰わしたら絶対に許して貰われへんよ
準備もあるからカミさんはもう家を出てるやろうし、自治会館の電話番号を知らんので、連絡の仕様が無いんです。
自治会館は自宅の裏やよって、住所なら見当がつくけれど、電話番号はそうは行かんのが不便ですなぁ・・・。

暇潰しにとPCを立ち上げて、入院以来ここまでのあらましの経過を時系列で打っといたんです。
この記事をアップするのに、それがゴッツイ役に立ちましたねぇ。
やっと10時になったので「じゃぁね!」とナースセンターに声を掛けてCCUを出ました。

一階に降りると、今日は休みなんで、ロビーの電気が点いてないんですわ。
薄暗い中で、自販機の入替作業を眺めてると、やれ嬉しやカミさんが早めに来てくれた。
会計報告を済ませて、後は皆さんでよろしく、と急いでコッチへ来てくれたんやそうな。
もぉ、わたしゃ喜んで転こんで飼い主に纏いつくワンコロみたいなもんでっせ。

えらいもんで、たった48時間の入院で体重が1Kg弱減ってますねん。
大威張りで551の豚マンをたべられますやんか♪
そうなれば帰りは阪急電車に乗り、十三で豚マンを買ってそれをお昼ご飯にしよう、おやつにタヌキ饅頭もエエなぁ。

う~生きてて良かった!は少々オーバーかも知れんけれど、最近時々そう思うんですわ。
しかし退院祝いの食べ物が豚まんとタヌキ饅頭というのは、いかにもやねぇ。

【これ以降につきましては、Today's maido 2007/04/07に続いております。】

国立循環器病センター、CCU(冠状動脈疾患集中治療病棟)の皆さん、
PTCA(冠動脈形成手術)チームの皆さんお世話になりました。
ご心配頂いた皆さん、ありがとうございました。



2007/04/13
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次


番外編07 1年経過後の検査入院-4

2007-04-12 16:45:15 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

2007/04/06-検査入院第二日目(その3)
「ず~っと家族控え室にいてたのに、言うてくれるのんを忘れてたて?」と相当オカンムリ。
そらそうでっせ、私が医師に確認せんかったら、何時までも待ってんならんかったとこやもんね。
手首を「ホラ」と見せると「あれ、手からしてもらえたん、よかったやんか!」とご機嫌が直りました。

そんなこんなで40分以上「お預け」の後16時半に完食。
食事中は気が紛れてたのか、止血してる右腕の痛みが薄らいだように感じていたんです。
ところが、何もする事が無くなってじっとしていると、ドンドン痛みが増して来ましてね。
その痛さが尋常や無い、えらいきついんですよ。

常に手首を反らすようにしていないと、血が止まり難いんやそうです。
最初の内は手首から先が痛かったのが、肘から先になり、終いには腕全体、右肩までがドォ~ンとダル痛いんですよ。
遂に冷や汗が出てきまして、辛抱しすぎは良くないといわれてたのも思い出して、担当医に来て貰いました。

お向かいも同じ医師の担当で、48時間以上経っているのに、まだ止まって無いんですて。
それもあってかチト弱気、辛抱できませんか?と圧力を弱めるのには気乗り薄。
そこを何とかと、18時30分にエヤーを2cc抜く予定を20分早めて抜いてもらいましてん。

斜めから傷口の様子を見ながらチビチビとエヤーを抜きましてね。
しばらく様子を見て貰ってたんですが、どうやら大丈夫そう。
「もし出血したら直ぐ呼んで下さいよ。」て言われんでも呼ばいでかいな!
穴が開いてる傷口は手首の動脈やねんから、もしも血が噴出したら、そら凄いよ。

最初のPTCAの時は15時間以上、2回目は少し早かったけど、それでも9時間近く止血にかかったんですよ。
おまけに内出血してて、肘から先が色とりどりのムラムラ模様になってましたね。
検査や無しに治療やったんで、時間が倍以上掛かったし、傷口もいくらかは大きかったんやろか。

圧迫止血帯の圧力が少し弱まったお陰で、格段に痛みが薄れましたわ。
丁度遅れ気味やった夕食も到着、これが又珍しく天ぷら(アナゴ、さつまいも、かき揚げ)ですわ。
軽いとはいえ、つい先刻遅い昼食を食べた所やのにさすがは乞食腹、ちゃんと空いてますねん。

器を押さえてもらって、左手でパクパク食べました。
この夕食は本気で美味しかったですねぇ。
お腹はまずまず満足したけれど、どうにもこうにも身動きが取られへんのです。

右手は下手に動かせんし、左手は動かせるとはいえ点滴の針が刺さってるんやもんなぁ。
これでは寝転んで本も持てん、キーボードを叩くなぞ滅相も無い。
食事が終って、カミさんも引き上げたら、もぉ寝るしかあれへんのです。

何かしてると辛抱できる痛みも、何もせずにじっとしてると、少なくとも5割増しにはなりますねぇ。
痛みが薄れたとはいうもんの、これではちょっと眠られそうには無いなぁ。
幸いNotePCは電源こそ切れてるけれど開きっぱなしやし、よし、音楽でも聴くか。

ベットの上でジリジリと起き上がって、NotePCの電源ボタンを左手の小指の先でソ~ッと押して起動。
手の平を下に向けられへんので実に不自由、イテテ、小指がつった!
右手が使えんから、つったところを揉む事も出来へん・・・。

何とかQuintessential Playerを起動して、さて今度はヘッドフォンをつけるのが一苦労。
イヤフォンやったらもっとやり難いやろうねぇ、最初から諦めてるかな。
ヘッドフォン相手にもがいてたら、突然点滴の流量調整機からピーピーと警告音が!

赤いランプが点滅して液晶に何やら表示されてるけれど、老眼鏡をかけんと文字が判れへんがな・・・。
眼鏡をかけようと思えば、今度はヘッドフォンが邪魔をしますねん。
折角やっと定位置におさまったヘッドフォンを外して、眼鏡をかけるのも簡単には行かん。

両手は贅沢でも、せめてもう一寸左手の自由が利いたらエエんですが、イライラしまっせ。
やっと眼鏡をかけて読んだら、ゲッ、閉塞?なるほど輸液が落ちてないやんか!
腕をあんまり動かしたんで針がずれたか?

止む無くナースコールですわ。
「どうしました?」「点滴が落ちて無いねん。」「直ぐ行きます」
さぁエライこっちゃ、看護師が来るまでに大人しく寝てた風に取り繕わにゃぁ。

やってきたら開口一番「あぁこれね、時々こうなるんですよ。」オイオイ・・・。
機械の横のカバーを開け閉めして、リセットボタンらしいのを押したら正常になりました。
どうやら腕を動かしたのが原因では無さそうですわ。

そこへお隣から「そろそろ3時間経つけど、先生に見て貰えんかなぁ?」
「は~い、止血しているところ痛いですか?」「辛抱出来んほどや無いけど痛い。」
「お伝えしときますね」私とお向かいは担当医は同じやけどお隣は違うんですわ。
外来の主治医は同じ先生らしいのに、CCUでは別なんですねぇ。

そもそも、点滴の針がどないかなるほど、腕を自由に動かせるんやったら苦労はあれへんのです。
よしゴソゴソしてたら気が紛れて、痛いのもましやし暇潰しになる、再挑戦や!
今度はまずまず手際よく事が運びまして、無事音楽鑑賞ができる段取りになりました。

排尿補助具を外した時にT字帯もトットと外してパンツにはきかえたんです。
ところがうっかりして、浴衣(寝巻き?)からパジャマへ着替えて無かったんですわ。
点滴の輸液チューブは途中でバルブ+カップリングでつないでるから、それを一時的に外せば着替えられますねん。

着ている浴衣は、去年救急車で運ばれて、何の用意も無く着の身着のままで入院した時に着せられた物でしてね。
退院時に、地下の売店で同じ物を買って、その新品をCCUに返して下さいということでした。
一般的な浴衣と違って筒袖、裏はガーゼの確りしたような布で袷になってるんです。

難点は身頃の打ち合わせが少ないから、直ぐに前がはだけてだらしないやら見っとも無いやら。
輸液交換の時に、この浴衣モドキからパジャマに忘れんように着替えんといかんなぁ。
音楽を聴きながら、このまま順調に止血できたらエエがなぁ、と考えてたら眠ってしもたみたい。

ふっと目が醒めると、看護師さんが心電図のセンサーを貼り直してくれてました。
時計を見ると21時過ぎ、丁度そこへ担当医が止血の状況を見に来てくれたんです。
「大丈夫みたいですねぇ、もう少し空気を抜いて、出血しないようだったら外しましょうか。」

まぁ、なんとうれしい事を!3時間で外れたら、過去2回よりも大幅に時間短縮ですやんか。
喜んでたら、3時間前後で止血出来るのが普通やねんて・・・。
軽く抑えられてる感じがする程度に空気を抜いて、待つこと15分。

大丈夫ですね、と圧迫止血帯を取り外してイソジンで消毒。
ジンワリと血が滲んできたけれど「これは心配ないです。」と上から絆創膏みたいなのでペタッ。
続いてお向かいで同じく止血状況のチェック、おっ、やっと止血できたようですね。

看護師さんが戻ってきて「点滴あと僅かだから、付け替えてしまいましょうね。」
「ちょっと待って、付け替えるときにカップリング外してくれる?この寝巻きからパジャマに着替えたいねん。」
「いいですよ。」ところがどんな力持ちが捻じ込んだのか、カップリングが外れんのです。

幸い輸液は壜で無くプラスティックバッグ式、ほとんど空になったのを丸めて左手に持って、お召し替えに成功しました。
そうこうしてるうちにお隣も止血出来たみたいで、三人ほぼ同時に止血完了ですわ。
規定の21時半より40分遅れで、めでたく消灯となりました。

2007/04/12
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次


番外編06 1年経過後の検査入院-3

2007-04-11 16:43:12 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

2007/04/06-検査入院第二日目(その2)
連れ込まれた部屋は第7処置室、新しい設備らしく、機械が小振りで威圧感が無くてエエ感じですねぇ。
去年のだだ広い大仰な仕掛けの部屋も、古いSF映画に出てきそうで、あれはあれで私は好きですけどね。
ん?この部屋にはBGMが無いんですなぁ。

「おや、右手からすると連絡した筈なのに、何故ストレチャーで来たんでしょうね?」
私に訊ねられても困るんですが、手からすると決まってたんかいな、それはありがたい♪
手からと言って安心させておいて、騙まし討ちで脚に変わるよりはズ~ッとエエけど、どこかで連絡が滞ってますねぇ。

「寝たままでゴロゴロと手術台に移れますか?」と看護師のお姉さん。
「いや普通に起き上がって移ってもらうほうが安全でしょう。」と医師。
排尿補助具のバッグを見て「あれ~、そんなのも付けて来られたんですか?」と目が笑うてるがな・・・。
く~、趣味で付けてるんや無いんでっせ、毛は剃られるし、ほんまにワヤされたなぁ。

手術台に移ると眉の濃い、中々きりっとした涼しげな目元の医師が傍に寄って来ました。
「あら、maidoさん、私救急で来られた時のチームにもいました。シンナイのKSです。」とご挨拶頂いたんです。
シンナイといっても「新内流し」のワケは無いから、多分「心臓内科」の略でしょうねぇ。

こういう風に同じ患者の検査にめぐり合うのはあまり無いんやそうです。
救急車で来た時にお世話になった救急医療チームの方々のお名前は、迂闊にもお聞きして無いなぁ。
申し訳ないけれど、そのうち1名のCCUでの主治医をしてもらった方以外は全く知らんのです。

あの時は恥ずかしながらこちらに心の余裕がなかったですわ。
皆さんのお顔で見えてるのは目だけやし、それで無うても人の顔を覚えるのが苦手ですねん。
そんなことで、お名前は聞いてないは、お顔にも全く覚えが無いんですわ・・・。

しかし、例え一方通行でも、私を知ってくれてるお方がいてはる、というのは何やら安心しますねぇ。
さすがに手早く左腕には点滴と血圧計を装着、カバーで全身被われて顔だけ出して貰って開始ですわ。
局部麻酔の針がゴリゴリと刺さり、腫れたような感じになった手首にかすかな痛みが。

グギグギと何かを押し込むような感触、イテテッ!
「痛みますか?」「はい、痛いです。」「じゃぁ麻酔を追加しましょうかね。」
又もやゴリゴリと針が刺さる厭な感じ、さすがにほとんど傷みを感じんようになったねぇ。

腕の中を何かが這いずっているような感じがするんですが、その先では全く何も感じません。
横目でモニターを見ると、カテーテルの先が心臓のところに写ってるんです。
あれが自分の心臓とは全く実感がわきませんねぇ。

「ニトロ0.12」「造影剤入ります」「気分が悪かったら言ってくださいね」
造影剤が入るとフワッと熱くなって、モニターの心臓の上の血管がくっきりと写ります。
手術台が上下左右に位置を微妙に変えて、撮影機器が円弧状のレールを移動して迫ってくるのは去年と同じ。

違うのは機械が小造りなのと、いまだに耳に残っているファンファンファンファンと尻上がりの警告音のようなのが無いんです。
「撮影します、息を吸って、はい止めて」ジジジジジ・・・、「いいですよ、楽にしてください」
「あんまり大きく息をしないで、小さな息でお願いします。カテーテルが外れますからね。」
えっ?カテーテルが外れるってどういう事やろ!

「顔を右に向けて、今度は大きく吸ってから止めてください。」
丸いサーチライトの小型のような機械が、顔スレスレに小さく唸りながら迫って来て、ジジジジジ・・・。
時々ニトロを追加しながら検査が続くんですが、ここまで来ると痛くも痒くも有りません。

「心室に造影剤を入れます。今度は量が多いですから気分が悪くなったら直ぐ言って下さいね。」
おっ、問題の壊死してる部分やがな、しかし気分が悪いくらいで済むのんやろか?
「いきますよ、」胸に熱いお湯が注がれたような感じがしたと思うと、波紋が広がるように熱い波が手足の先へ走って行きました。
どういう訳か最後に股間がカァ~ッと熱くなってお終い。

お~っ、血液が確かに身体中を廻っているという実感がしますねぇ!
「どうです気分悪くありませんか?」「はい、これは意外に快感ですねぇ。」
「はぁ、快・感、ですか?」「確かに心臓が動いて、ちゃんと血が巡っているのを感じられて気分よろしいですよ。」
「へぇ~、そういう感想は初めて聞きましたねぇ!」

やがて検査終了、カテーテルがズリズリと妙な感触を腕に残して曳き出されました。
手首に差し込まれていたらしい管(?)も、一瞬「イテッ」と思ったらもう撤去されてお終い。
KS医師に「あの状態から回復したのも凄いけど、一年後に再狭窄も他の部分も問題無し、良かったですねぇ。」と言って貰いましてね。

え~っ、そないにひどかったんかいな、ひょっとしてそれで記憶に残ってたんやろか?とあらためて驚き。
しかし検査で「問題無し」と言われて、安心すると同時にジワァ~ッと嬉しかったですわ。
止血用の圧迫止血帯(エヤーバンド)を装着して全て完了。

KS医師がストレチャーの横に付添って、出口まで来てくれました。
私は元々がビビリで、その上患者というのはナイーブになってますから、こういう風にしていただくと感激しますねぇ。
さっきまでお顔も名前も全く知らんかったのに、今はほんとにこの方にいてて貰って心強かったと思いますわ。

病棟から迎えにきてくれた看護師さんに引き渡されて15時半には帰室。
全く無駄やった排尿補助具、ケッタクソ悪いからサッサと毟り取ったろ、と思ったら痛テテテ・・・。
何と内側に相当強力な粘着剤を塗ってあるんやねぇ、危くナニが根こそぎ抜けてしまいそうやった。

何んのこっちゃ、これやったら浴衣に着替える事も、間抜けなフンドシをする事も無かったんやがな。
体温と血圧を測って、心電図用のセンサーを貼り付けてはいOK。
点滴スタンドをセット、何々80cc/h?500ccを落とすのに6時間一寸か・・・。
「ご家族に知らせてきますね。」と看護師さんは出て行きました。

別の看護師さんが現われて「何処か具合の悪いところはありませんか?」
「昼抜きやから、お腹が減りすぎて気分が悪いねん。」「ちゃんと取ってありますから、暖めて直ぐお持ちしますね。」
お~、中々ええ娘(コ)やねぇ、て餌を貰えば直ぐ懐く、食い意地の張った全く仕様の無いおっさんでっせ。

やがて持ってきてくれたのは、術後という事で、ご飯、茶碗蒸し、野菜の煮付けの小鉢と軽~い食事。
ところが待てど暮らせど、家族控え室で帰ってくるのを待機してた筈のカミさんが現われんのです。
食べるためなら、左手で箸やスプーンも扱ってお目に掛けるけど、如何せん鉢を抑える手が使えんもんねぇ。

え~っと、前回はどうやったっけ?と思い出したら、第一回目は術後19時間くらい経ってからが初めての食事。
手首の止血が完了してたので両手とも一杯管やら電線がついてたとは言うものの、曲がりなりにも使えたんですわ。
発症後12時間以上経ってから搬入されてからの処置やから、通常は食事どころか向うへ行ってしまう確率が大やってんて。
こっち側へ帰って来れただけでも上等、48時間以内に自分で食事を取れるなんてぇのは滅多に無いんやそうですね。

第二回目の時はまだ止血が完了してなかったけれど、施術部位が左手で右手が使えた。
カミさんもいててくれたんで、鉢を抑えて貰って食べたんやったね。
主治医が様子を見に来てくれまして「どうですか、痛いところや具合の悪いところは有りませんか?」

「腕の止血個所がダル痛いです。」「それは止血できるまで辛抱してもらうしかないですねぇ。」
3回目やからそれは判ってますねん、訊かれたから答えただけやんか。
「おや食事がそのままですね、食欲有りませんか?」食欲は有るんですが、この状態では1人でどうにもできんのです。
家族への連絡はどうなってるのかたずねたら、ナースコールで詰め所に聞いてくれました。

担当看護師が家族控え室に連絡するのを、慌しさに取り紛れて、コロッと忘れてたんやて。
ここの部署は、飛び入りの重症患者が上がって来たら戦争状態になるんです。
去年の私がそれで、部屋の遣り繰りなんかで皆さんに忙しい目をさしたらしいから、あんまりきつうに文句は言れへん。

検査が無事済んだ連絡なんかは、つい忘れて少々遅れても、生き死に関係無いもんね。
カミさんは私が病室に帰ってるのを知らんのやから、現われへん筈ですわ。
「終ったいう連絡が無いし、一体どうなってるんやろ?と心配しててんよ。」とボヤキながら、やっとカミさん登場しました。

2007/04/11
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次


番外編05 1年経過後の検査入院-2

2007-04-10 16:41:57 | 虚々実々-心筋梗塞顛末記

2007/04/06-検査入院第二日目(その1)
爽やかでもないけれど、5時には目が醒めました。
6時まではじっと我慢、自宅と違うし個室でも無し、早朝からゴソゴソしてたら同室の方々にご迷惑。

暖房が良う効いててねぇ、毛布とタオルケットがセットされてたんですが、毛布だけでも暑いくらいでしたわ。
患者は通常寝間着一枚、場合によっては情け容赦なくスッポンポンに近い格好にされるからなぁ。
このくらい暖かくしてないとアカンんのでしょうが、無闇に鼻や喉が乾いてねぇ。
日常、ろくな暖房設備も無い古家に住んでると、暖かい乾燥した空気に慣れてないからかいな?

CCU循5A、塩分6g/日、米飯150gの朝食。
今朝から、チクピロン(Ticpilone100mmg)とバナン(Banan100mmg)が通常飲んでる朝夕の薬にプラスされました。
朝食のレギュラーメンバーは、おしたし、米飯150g、味噌汁、イカルガ低脂肪牛乳200mml。
それ+日替わりで小袋に入った海苔佃煮、鯛味噌、イリコ味噌などのうちの一つが付くんですわ。

今日はイリコ味噌、しかしこの味噌って街で売ってるんやろか?あんまり見かけたことがないねぇ。
それとこの味噌汁が、貨物船の船員モドキをしていた頃を思い出させる懐かしい味。
不味い味噌汁が毎度カシキ(炊=司厨士・コック)をつるし上げる格好のネタになってたんです。

味噌汁の前回の残りに継ぎ足しては暖め直して出しよるんですが、味噌はケチってるし、ダシが利いていない。
航海初日から生き残ってたらしい具が、正体不明の半ば溶ろけた姿で出てきたりすると、そら狂暴にもなりまっせ。
ここのは賄料を誤魔化す為、てな吝嗇(ケチ)なものではなく、健康の為の減塩やけれど不思議にそっくりな味。

朝食を済ませたら何もする事が無いんですなぁ、ただ漫然とお声が掛かるのを待っているだけ。
玄人には敵わぬまでも何でも自分でやりたい、あなた任せが苦手な私には、この待ちの体勢というのが辛いんですわ。
おお、そうやカミさんが来るのを待たずとも、地下の売店で「T字帯」ちゅうもんを買って来とこう。

2階のCCU病棟から階段を地下一階へ下りた直ぐ横に、ヤマザキ・ディリーストァーがあるんですわ。
さすがに院内売店で、売り場の一角に「浴衣」てな普通のコンビニでは置いてないものも並んでます。
ぶら下ってる袋を見ると、どうもT字帯というのは戦中派が越中フンドシと呼ぶものの事らしいねぇ。

「普通」と「大」の2種類があって値段は同じ260円。
他の物なら同じ値段なら大きい方が得やんか、と躊躇無く「大」にするんですがね。
しかし、相手がフンドシとなれば、何でもデカけりゃ良いというわけでもない。

レジのおばちゃんに「私ならどのサイズ?」ときいたら「普通で大丈夫」とのご宣託。
病室に帰って取り出して眺めたら、同じフンドシでもキリリとした六尺の締込みとは大違いですなぁ。
そういえば、桧垣、樽回船、北前船等の大船の船頭が、陸との行き来に使う天馬船を漕ぐ水主(カコ=水夫)は、緋縮緬の褌をしていたと聞いた事があるけれど、果たして締込みタイプやったのかこの越中タイプやったのか?

馴染みの妓から襦袢の片袖を貰ったのを、フンドシにするのが浪華の遊び人の勲章やった、という話も聞いたけれど、襦袢の袖では越中タイプしか出来へんやろなぁ。
博多山笠、小倉の祇園太鼓は締込みやけど、歌舞伎の白波五人男なんてぇのは越中やったような・・・。
ともかく試着してみたんですが、実に間抜けなもんで、これではとても臍下丹田に力は入らんよ。

いやいや、通天閣近くでホンの短期間習った抜刀術の先生も確かこんなんしてはったから、そんな事は無いんやろか。
戦国時代は甲冑下に、夏場など是の前垂れの長いのだけを着けてたそうやしね。
その前垂れの端にも紐がついてて、左図のように、その紐を首に結んで腹を覆ってたんやそうですなぁ。

越中フンドシの垂れを腹掛けのようにしたその姿は、勇ましいというには程遠く、どっちか言うとお茶目。
機能的かも知れんけれど、とても英雄豪傑に似つかわしい下着とは思えませんわ。
初めてそれを知った時には、信じられませんでしたねぇ、実は今でも少々疑うてますねん。

さて不肖私、生まれてこの方、フンドシと言えば晒木綿の六尺しか締めた事が無い。
オヤジの出所(デドコロ)、馬関から玄海灘を望む豊前小倉長浜は漁師町で、男の仕事着は晒木綿の六尺褌。
その尻の結び目を掴んで、伝馬船から海に放り込まれて、半ば溺れながら泳ぎを覚えたもんです。

最もその頃は六尺では長すぎるので、四尺ぐらいに切った晒木綿やったんやろうねぇ。
暗闇の中でも、六尺褌ならあっという間にキッチリ締めることが出来る自信がおます。
そんな事は何の役にも立たんのですが、子供の頃覚えた事というのは脳味噌に焼きついてるんでしょうなぁ。

さて、この間抜けな代物、持って帰っても普段にはよう使わん、次回の入院まではお蔵入りですねぇ。
しかし適当な所に入れておいて、うっかりハンカチと間違えて持って出たりしたらエエ恥さらしでっせ。
袋にはソフトな綿100%で優れた吸湿素材と書いてあるから、機能的には問題無いやろうけどね。
汗を拭こうと広げてみれば、ビロ~ンと紐が付いてたりしたら不細工やがな。

昼前に新たな入院患者が入室しはりましてね、「お世話になります、皆さんよろしく」とにこやかな愛想の良いご夫婦。
この方も何度もカテーテル検査治療を繰り返しているベテランやそうですわ。
どうやら、皆さん最初の治療から3ヶ月ないし半年後には再検査と治療を経験してはるようですねぇ。
してみると、1年間検査の必要が無かったという私は、順調な方なんかいな?

それはエエンですが、温度設定調節ダイヤルが窓際の中央柱についてましてね。
付き添いの奥さんがササッと部屋を見回して、空調の温度調整を見つけるが早いか思いっきり下げはりましてん。
私とお向かいの先輩は北西向きの窓際なんで、部屋の中でも少々寒い目の場所。

しばらくして先輩が「寒いなぁ」と上げると、件の奥さんが即再調整にササッと・・・。
先輩に付き添うてる奥さんが「患者さんは薄着やから、それでは皆さん寒いのとちゃいます?」というたんです。
ほんなら「すみませんねぇ、うちの主人、頭の手術してから、温度が高いと自分を抑えられんようになるんですよ。」

ご主人、治療を受けるのは6回目やそうで、それも心臓だけや無しに頭も足もやて・・・。
「自分を抑えられんようになる」て?おやおや、それは穏やかや無いねぇ。
お見受けした限り、よしんば凶暴になって暴れた所で、失礼やけど充分制圧できそうに見えるがなぁ。

今は亡き洞海湾の錬士八段に、竹の物差一本でボロボロにされて、見た目だけで判断できんのは承知してるけどね。
失礼ながらステッキ突いてヨレヨレと歩いてはるんやから、如何に豹変しようとも限度がおまっせ。
滅多やたらに御祝儀をばら撒いたり、我慢できずに江州音頭を唸るぐらいなら、危険は無いから辛抱するよ。

よもや、プカリと浮き上がったり、はたまた、何ぞオドロオドロシイ姿に変身したりてな事は無かろうなぁ?
一体どうなるのか興味深いから聞いてみたいけれど、知るのが怖いような気もするから止めましたわ。

術前6時間は絶食、お隣さんは3番目で10時半頃といわれていたので朝飯抜き。
ところが昼になってもお呼びは掛からず、朝に続いて昼も抜き、私は勿論昼は絶食。
お隣さんにやっとお迎えが来たのは13時近く「これやったら朝飯を食べてもよかったんやないか!」とボヤクボヤク。

この分なら私の順番が来るのは15時頃になるのやろなぁ、と覚悟をしていたら14時過ぎにお迎えが来た!
車椅子で行くのかと思えば、施術部位が脚になるかも知れんというのでストレッチャーで移動やて。
急ぎ浴衣に着替えて、T字帯をつけて、看護師のお姉さんが困ったように持ってた排尿補助具も自分で着けて準備完了。

商品名「Conveen」というらしいこの器具、何とDenmark製、デンマークといえばアンデルセンの人魚姫やレゴ。
U.S.A. Hormel SPAM の強敵 Denmark Pork TULIP、商売がらみでMarsk Line(現A.P. Moller-Marsk A/S)。
思い浮かぶのはこの辺りなんですが、こんな物まで日本に売り込んでるとは、侮りがたし!。

思っていたよりもあらゆる分野での国際化が進んでますねぇ、というほど大層なことでもないか。
国際化はエエとして、妙な物を取り付けられてうなだれているナニを見ると、心底情け無うなりますねぇ。
沈鬱という言葉は、こういう状態から来たんやろか・・・。

私もやけどストレッチャーが傍を通るとつい見てしまいますやんか、乗ってると結構目と目が合うんですわ。
仏頂面では愛想が無い、ニタニタ笑らわれても気味が悪いやろうしなぁ。
はて、ストレッチャーの上ではどんな顔をしてるとエエんでしょうねぇ?

その答えが見つからん内に心臓カテーテル室に到着、入り口で同室3例目のお兄さんが出てくるのに出会いましてね。
異常無し、検査だけで済んだそうで「それは目出度い。よかったね!」「貴方も頑張ってください」
何をどう頑張るのかは不明やけれど、この際細かいことは言わずに、とりあえず「ありがとう、頑張るわ。」

2007/04/10
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次


2007/04/10

2007-04-10 08:35:01 | Today's maido(日記)

2~3日は傷がある方の手で重い物を持ったり、激しい運動や入浴はしないようにと言われてたんですわ。
昨日は8Km近く歩いたけれど、あんなくらいは激しい運動とはいえんもんね。
重い物とは何Kg以上やろか?とか細かい疑問はさて置き、基本的には素直な患者なんで医師の指示を真摯に受け止めております。

そろそろ普段の生活パターンにと、先ずは朝自宅から8Km先の阪急十三駅まで歩いて出勤ですわ。
今日から4月も中旬やというのに、結構風が冷たかったですねぇ。
ゆっくり会社で休息をと思ってたら、昨日来客予定のメールが来てたのを思い出しました。

お互いの親や祖父の代以来の付き合いがある相手やから、気を使う相手やないんですけどね。
業界が少しずれていても、相当部分が重なってるんですわ。
オフレコで情報交換できる友人知人というのは大事でっせ。

会社としての節度、心意気は勿論大事でっせ。
しかし、ウチみたいなチリメンジャコ会社は粋がってるだけでは生き残れんのです。
生き残る為に心ならずも節を曲げる、てな事をせんで済むように、情報収集はマメにせんとね。

午後には久し振りに鍛治屋さんが「どうです?」と顔を見せてくれましてね。
HPを見ててくれてるんで一々説明せんでも済むから話は早いですわ。
このお方は私が今自宅で使ってる機械を復活させてるのを見て、 Z-Pro にのめりこんでしもてね。

日本橋を駆け回って私が現在会社で使ってる2台目のよりも遥かに年式の新しい Z-Pro のを1台ならず3台も所有してますねん。
「このごろコンピューターが全然壊れへんから面白う無いねん。何かエエ遊びないやろか。」
なんちゅう贅沢な事を・・・、ごねられて往生してる人が聞いたら怒りはるで。