今年も地球暦が届いた。
以前杉山開知さんのセミナーで地球暦のことを知った。
開知さんは東京で専門学校に通ったり、就職して、働いたりしていた頃は「暦(こよみ)」には全く興味もなく過ごしていた。家を継ぐために静岡に戻って来て、自分がやりたいことを探す中で、経験も知識のない農業を始めて、荒れた山を1人で開墾していると、ある時、畑で木を切っているだけなのに、「今、どれだけ時間が経っただろう?」とか、「この木を切るのに何分かかるだろう?」と考えている自分がいて、山の中に1人で、誰からも指示をされていない自由な時間なのに、時間に追われているというか、時間を気にしているこの気持ちは一体何だろうと不思議な感覚に襲われたそうだ。
そこで、まず、今使っている西暦について調べ始め、その後、イスラム暦やユダヤ暦、アジアの各国で使われている暦にも興味を持って調べる中で、その国の文化をつくっている土台が暦のような気がしてきて、国や文化を越えて地球上のみんなが共通に使える暦ってないのかなと思い始めた
イスラム教徒の方々がイスラム暦を使っていて、太陽の日周運動に則って礼拝をしておられるというのを実感したのは、以前、電車でとなりに座った方がイスラム暦のあるページを熱心にご覧なっている様子を見た時だったという。
気になって尋ねたところ、日の出、日の入りの時間は毎日1~2分づつずれていて、それに合わせてお祈りの時間もずれる。その時はちょうどラマダン月で、生活で必要なことは日の入り後から日の出前までしかできないので、日々の生活をどう組み立てるかずっと考えておられたそうだ。
そこまで太陽の動きと同調して生活していて、しかも1人でそれぐらいの意識だから、これが何千、何万の人々が太陽と地球と月の関係に自分の生活や、身体のバイオリズム、宗教儀式を合わせている感覚、地球と同調して生きている感覚は何年何月何日という西暦を使って生活している自分たちと全く違う感覚だと強く認識したという。
「私達が使っている時計ですが、地球は確かに1日に今の時間の単位で、約24時間で1回廻ります。それを細分化した時、分、秒というものは人間が便宜上、人工的に決めた区切りの単位ですよね。今日一日、今現在ということにとらわれてしまうと、時間を使うことで、時間に使われていることになり、狭い視野でしか世の中を見ることができなくなるのではと思いました。それが拡大して、日、月、年となって暦となる訳ですが、今の西暦にしても人工的につくったものであり、大きな宇宙の働き、動きとは別のものになっています。」
「一般の方々に一言で暦を説明すると抽象的になるかもしれませんが、暦の本質は動きをはかることだと思います。
天体の動きというか、私達は秒速400mで、左回りに自転し、秒速30kmで太陽の周りを左回りに公転している地球というものすごい速さで動いている乗り物に乗っています。でも、新幹線に乗っていると、速さを感じないように、地球というとても大きな乗り物に乗っている私達は、その速さを感じることができませんが、その上で生活をしていて、あるがままの宇宙や自然の動きの中で、日の出から日の入りまでの時間や1日の長さを感じたり、無意識の内に時間の長さをはかっている感覚があると思います。」
「その延長線上が暦ではないでしょうか。暦の原点は1本の棒のようなものから始まったと思います。日が射して落とす影が振り子のように動いて、ある周期で同じ位置に戻って、それが繰り返される規則性を見つけて、暦に発展したのだと思います。」と開知さん。
天智天皇は中国から漏刻という水時計を導入して、日本独自の時刻を人々に知らしめ、日本で時という概念が始まり、天智天皇をお祭りしている近江神宮で漏刻祭(時の大祭)が行なわれ、日本暦学会の事務局も近江神宮にある。
日本では毎年2億種類のカレンダーや暦がつくられていて、それらをつくっている民間企業と神社の関係者200人ぐらいで日本暦学会の正会員は構成されていて、主に、暦の擦り合わせをしているそうだ。
そこで、国は暦に関与していないのかという疑問が湧くが、今では何もしていないそうだ。明治維新に新暦が導入されるまでは、暦師と呼ばれる官吏が全国で50人ぐらいいたそうだが、グレゴリオ暦というマスター暦を導入したので、誰がつくっても良いし、誰かが管理する必要も無くなり、全て廃業した時点で、暦をつくる官吏は結果的にいなくなった。でもこのグレゴリオ暦は理論上、約3,200年間ずれませんが、天体の動きや自然の摂理等は無視して、人間が便宜上作った暦で、この暦を採用した途端、月の満ち欠けのひと月と人間が人工的に作ったひと月の定義が完全に分離して、私達の意識から暦が消えてなくなったとおっしゃる。
確かに、都会で生活していると月の満ち欠けを気にするのは、お月見の時くらいである。しかし、農業や漁業や自然を相手に生活をしておられる方々は今でも旧暦のカレンダーを使っておられると伺い、その後、お会いした農業を営んでおられる方々に尋ねるとその通りでカレンダーは両方掛けておられるところが多かった。
開知さんが研究されている地球暦は、暦としての要素もあるが、見方としては地図と同じで、今までは自分中心、地球中心に観ていたものを太陽中心に置き換えて、太陽を中心に廻っている惑星の位置を地球の自転周期、公転周期で細分化して、分度器で測り、角度で位置を表すものだ。太陽系が生まれてこれまでも、これからも同じ惑星配置になることはなく、今、この瞬間も惑星は動いていて、この瞬間の惑星配置はこの瞬間だけのものだから、その太陽系の惑星の配置で今の西暦の年月日を表すこともできるという。
今の西暦では何年何月何日ということしかわからないが、地球暦では、大きな太陽系の中の時間で、今現在自分はどの位置にいるのかがわかる。どんな時を生きているのかがわかれば、自分自身の人生も客観視できるようになる。font>
「私達は毎日同じような感覚で過ごしているのですが、天体も宇宙も刻一刻と変わっているのに、日々の生活に追われて、地球という球体の乗り物に乗っていることさえ忘れてしまっています。地球という球に乗って生きていることを自覚できないと、こんなことしなければよかったと後悔したり、過去にとらわれてうまく今を生きることができなかったり、他人や地球環境を無視して自分勝手に生きてしまうことが往々にしてあると思います。」
「地球暦というかマクロの視点で見ると、何だ、オレがお前がと言っても、地球という球に乗ってくるくる廻っているだけなんだ。太陽の周りを80回も廻ればその球からいなくなって、そういうことが綿々と続いてきて今があり、その今現在、自分が太陽系の惑星配置のこういう位置にいることがわかれば、今しかない、今を生きるしか無いという最も大切なことにきっと気付いて頂けるはずです。」と開知さんは言う。
会員登録した惑星通信では、自分の誕生日が来ると、地球歴で、「水星 82°33 金星 244°32 地球 248°59火星 202°40 木星 54°39 土星 207°35天王星 5°13 海王星 331°13 冥王星 278°07」のようにメールで知らせてくれる。どんな配置になっているのだろうと思いをはせるだけで、自分と宇宙がつながったような不思議な感覚になる。