ムーミンパパの気まぐれ日記

ご訪問ありがとうございます。
日常を綴っているだけの日記ですが、
ゆっくりと遊んでいってくださいね。

あけましておめでとうございます

2012-01-01 | column
 すっかりご無沙汰したまま新年を迎えてしまいました。書きかけの原稿はいくつかたまっているので、今年は少しは心を入れ替えてアップしようと思っています。もちろん気まぐれにですけど。。。(^^ゞ
 ともあれ、みなさま方にとって新しい年が素晴らしい一年になることを祈念しています。今年もどうかよろしくお願いいたします。
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災害ボランティア

2011-09-30 | column
 東日本大震災でもボランティアが大活躍をしている。ボランティアには福祉や医療を始めとして様々な形態があるが、この種のいわゆる災害ボランティアは地震に限らず、先日の台風12号による水害などでも現地で精力的な活動を行っている。もともとキリスト教をバックボーンとして教会を中心とした慈善活動の伝統が根付いている欧米に比べ、日本人はボランティア精神が希薄であると言われていたが、最近は「情けは人のためならず」という日本人独特の価値観が多くの人を災害ボランティアへと駆り立てているようである。自ら汗水流して泥や瓦礫の片付けをする人たちを見て、ああ日本人もまだまだ捨てたものではないなと感じた人は多いのではないだろうか。ちなみに老婆心ながら付け加えておくと、「情けは人のためならず」というのは、「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。」という意味。昨今では「人に情けをかけるのは自立の妨げになりその人のためにならない。」という意に誤解している人が45.7%にも達している(文化庁「国語に関する世論調査」p.19)というのは実に嘆かわしい。閑話休題。そんな災害ボランティアに関しても今回いろいろな話を聞いた。

 発災からしばらくは、とにかくボランティアなんか来てもらっても迷惑なだけだった。水も食料も自分たちで持って行くし、寝るところだって寝袋もテントもあるから大丈夫と言って来るのだけれど、現実に屋根のある所はすべて避難所か遺体安置所になっていたし、テントを張れるような平地はすべて緊急車両が駐車しているのだからボランティアを受け入れたくても全然場所がない。そもそも行方不明者の捜索などで警察や自衛隊などが活動している場所でボランティアが役に立つような活動はないし、数少ない道路が渋滞してしまう。とにかく県外からのボランティアはお断りした。

 他人の敷地内に勝手に入ってくるボランティアと称する人たちがたくさんいた。金庫などの盗難被害もあったし、停電で真っ暗な中で見知らぬ人たちが活動しているのは不安だった。現場で記念写真を撮ったりするだけの観光目的としか思えない人もいたし、ボランティアで来たと言われても最初はなかなか受け入れられなかった。


 現地からそんな声をたくさん聞いた。今では多くの人がボランティアを頼りにしているし、感謝しているということだが、当初はいろいろな問題もあったのだろう。もちろん役に立ったボランティアもたくさんあったとは思う。善意の押売りにならないように、私たちはどんなタイミングでどんな活動をすればいいのか。正解が見えない難しい問題である。

 ちょっと毛色の変わったところでは、こんな話も聞いた。

自分が一番初めにボランティアに行ったのは、阪神淡路大震災の時だった。高校生の頃だったけれど、現地に行ったのはいいが何をしたらいいのか分からず、とにかく一軒の家に飛び込んで何かお手伝いすることはありませんかと聞いてみた。最初の家には一人暮らしのおばあちゃんがいて、突然若い男の子が来たことにびっくりしていたようだった。話をすると、何を頼めばいいのかよく分からないけれど、自分はこれまで一人で暮らしていて誰も訪れる人はいなかった。地震が起きてこうやって来てもらうのはうれしいけれど、あなたの住んでいる場所にも私のように一人で暮らしているお年寄りがいると思うから、そちらにも行ってあげてくださいと言われた。

 この話にはドキッとした。これほどの大災害だから何かしなくてはいけない、できることは何でもしたい。そんな感情が湧き出てくることは否定すべきではないし、それは偽善でもなんでもない。それでも、実は普段から身の回りには自分たちが力を貸せることがたくさんあるのではないだろうか。それを被災者のおばあちゃんに気付かされるというのが極めてシュールである。

 発災から半年が経ち、ボランティアセンターを閉鎖した地域もあると聞く。一方で陸前高田ボランティアセンター(冒頭写真)のようにまだまだボランティアの力を必要としている所もある。災害も復興もその形はいつもそれぞれである。
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2011-09-24 | column
 どうしてなのかよく分からないけれど、東日本大震災からこっち「絆」という言葉がよく使われている。たぶんみんなで被災地とつながっていこうとか、震災を機に人と人とのつながりを再認識しようというような意味で使われているのだと思うが、私自身としてはJリーグ2010シーズン最終節でJ2降格の危機にあった神戸サポが掲げていた文字のイメージが強過ぎて今一つなじめないでいる。もちろん、そうした言葉を使う趣旨自体に反発するわけではないのだが、一度染み付いてしまったイメージを染め直すのは、それほど簡単なことではないのである。とはいえ、今回の災害を機に改めて「絆」について思い至ることが私にもいくつかあった。

 2011年3月11日14時46分、東京都内の職場でこれまで経験したことのない地震を経験した私は、それからしばらくあれこれと対策に追われることになった(当日の様子は3月28日のブログ「祈り」をご参照ください。)。今から思えば、災害関係以外のことをほとんど考えることのない数日間だったが、そんな時かつて一緒に仕事をしたことのある仲間から一通のメールが届いた。「東京も大変な揺れだったのではないですか。いろいろと大変だとは思いますが体に気を付けて頑張ってください。」そんな趣旨の短いメールだった。そのメールを見た瞬間、私は深く溜め息をついた。
 もちろん、いつも人への気配りを欠かさない彼らしい優しさだなあと思い、こんな私のことを心配してくれる友人がいたのだと思うと、しみじみとうれしかったし、ありがたかった。一方で、自分が同じような状況でそんな言葉を人にかけてあげることができるのだろうかと思うと、いささか自信がなかった。自分が思いやりに欠ける愛情の薄い人間ではないのかという感情が私を苛んだ。同時に、別の面からも自分の存在の小ささを思い知る。彼は神戸に本社がある会社に勤めており、まさに神戸市内で阪神淡路大震災を体験している。その時の経験が彼をしてメールを出させたのだろう。やはり実際に修羅場をくぐっている人は発想力も行動力も違うのだなあということに対する気付きは、自分がバタバタとやっていることがどれだけ被災地のためになっているのだろうかと疑問を抱かせたのであった。
 それは疲れた頭が考え過ぎただけのことだったのかもしれないけれど、そんな複雑な思いと感情が入り混じり、溜め息をついたのだった。

 素直にうれしいこともあった。もう何年も前に日本での留学を終え、ソウルで結婚し、音信が途絶えていた女性から連絡があったのである。原子力発電所の事故で危なくなったら、家族を連れてソウルに逃げてきてくれというメッセージである。友人になると家族か親戚のように接するようになる朝鮮族らしい情の濃さであろう。その後、何回かメッセージのやりとりをしたが、お母さんになった彼女は長男と楽しそうに笑顔で写っている写真を送ってくれた。ご主人の仕事の関係もあり、たまには日本に来ることもあるようである。避難することはないとは思うが、いつかソウルか東京でまた会える日があると思うと、今から楽しみで仕方がない。

 多くの犠牲者のことを考えれば、そんなことで喜んだり考え込んだりするのもどうなのかなと思ったりもする。それでもこの未曾有の災害から何か一つでもこの社会や人間関係のあり方を見つめ直すことができれば、それはそれでいいことなのではないだろうかとも思うのである。

 今や陸前高田市復興のシンボルとなっている「奇跡の一本松」(冒頭写真)。かつては美しい松原があり、近くにはたくさんの仲間がいた。一人だけ残った今、残された松は何に絆を求めているのだろうか。
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忘れないでいたいこと

2011-09-17 | column
 東日本大震災から既に半年が経過した。あれだけの大災害をわずか6カ月という期間で忘れられるはずもないけれど、どんなことであれ人はすべての刺激に慣れてしまうのもまた事実である。東京に暮らす人々が未だ災害は続いている被災地の方と思いを共有することは難しいというのも現実であろう。東北地方とのなじみが薄く、今回の揺れを同時に経験していない関西以西では、そもそも発災当初からかなり温度差があるという噂も聞いたことがある。理解できないわけではないけれど、せつない噂ではある。最近お会いした被災地の方々からも「中央では震災のことが忘れられ始めているということを耳にしている。」という話を聞いたところである。決してそのことを責めているわけではないんだと遠慮がちに語ってくれるのだが、それだけに「忘れないでください」という被災者の不安や寂しさが胸にしみてくる。

 陸前高田市ではぎりぎりで津波から逃れた男性が語ってくれた。

 津波が来るという情報は入ってきていたが、まさかここまでは来ないと思っていた。職場のビルの中にはお年寄りや車いすの方が何人も避難してきていた。しばらくすると、役所の人が来て津波が堤防を越えたからここから避難した方がいいと言う。話を聞いて驚いた。堤防を越えるとは想像もしていなかったから、慌てて若い人たちにお年寄りなどを連れて高台に行くように手配した。私は最後にビルの中を見て出たつもりだったのだが、上司が何人か残っていたのには気付かなかった。結局、自分の上司はみんな亡くなってしまった。ビルの外に出た時、私には3つの選択肢があった。歩いて逃げるか、車で逃げるか、そして自転車で逃げるかだ。私は自転車を選んだのだが、もし車や歩きを選んでいたなら死んでいたと思う。高い津波が押し寄せてくるのが見えてきて、追っかけっこのように必死に自転車を漕いだ。津波というと青い波が押し寄せてくると思われるかもしれないが、全然違う。家そのものや電信柱や壊れた屋根などが、ベキベキと音を立てながら壁のようになって迫ってくる。本当に上の方に波頭の白い部分が見えているだけで、後は全部壊れた建物などの壁。それが黄色い煙を立ててやってくる。今から考えてみれば、その黄色い煙は建物などが壊れた時の埃だったんだと思う。とにかく歩いている人を追い抜き、渋滞している車の脇を走っていった。車の中の人たちは、あの迫ってくるバキバキという音は聞こえなかったんじゃないだろうか。私が追い抜いていった人たちは、みんな助からなかったんだと思う。2kmほど離れた高台まで走って登り、自転車から降りたんだが、その時はもう脚に力が入らず立てなかった。それでも少しでも高いところへと思って、腹ばいになって手だけで登っていった。しばらくして振り返ったら、自転車を乗り捨てたところに大きな屋根が乗りあげてくるのが見えた。あそこにあのままいたら、やっぱり死んでいたかもしれない。先に避難させた人たちはお年寄りや車いすだったので、足が遅いからみんな死んでしまったかもしれないと思っていた。でも役所の人に無理だからと言われ、市役所の中に避難して高い階に行って助かっていた。本当によかったと思う。。。

 もう60歳を超えているであろう人生の先輩が、問わず語りに一生懸命に話をしてくれる。時に身振りを交え、目に涙をためながら話をしてくれる。誰かに聞いてほしい。話すことによって気持ちを落ち着かせたい。そんな気持ちが苦しく伝わってくる。

 かつてのJR陸前高田駅前にはロータリーの跡と駅からまっすぐ伸びる道路だけが残っている。そこにはかつて道をはさんで賑やかな商店街があったらしい。そう、「らしい」としか表現するしかない風景がそこにはあった。(冒頭写真)

 この間、仕事の関係で様々な事象に触れてきたし、遅ればせながらも被災地に赴き、自分の目で現場を見ることもできた。そんな自分自身が見聞きしたことをこれからいくつか記録しておきたいと思う。 
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コクリコ坂から

2011-08-18 | review
 先日久しぶりに映画館に行き、スタジオジブリの「コクリコ坂から」を観てきた。まずはオフィシャルサイトからストーリーを紹介しよう。

1963年、横浜。

港の見える丘にあるコクリコ荘。
その下宿屋を切り盛りする16才の少女・海。
彼女は、毎朝、海に向かって、信号旗をあげる。
旗の意味は「安全な航行を祈る」。
タグボートで通学していた17才の少年・彼は、
海の上からその旗をいつも見ていた。

翌年に東京オリンピックを控え、
人々は古いものはすべて壊し、
新しいものだけが素晴らしいと信じていた。
そんな時代に、横浜のとある高校で、小さな紛争が起きていた。
古いけれど、歴史と思い出のつまった文化部部室の建物、通称カルチェラタン。
それを取り壊すべきか、保存すべきか。
そんな事件の中で、海と俊は出会う。
俊はその建物を守ろうと学生たちに訴える。
海はその建物の良さを知ってもらおうと大掃除を提案する。

徐々に惹かれ合うふたりに、ある試練が襲いかかる。
「嫌いになったのなら、はっきりそう言って」
「俺たちは兄妹ってことだ」
「どうすればいいの?」
自分たちは兄妹かもしれない。
それでも、ふたりは現実から逃げずにまっすぐに進む。
そして、戦争と戦後の混乱期の中で、
親たちがどう出会い、愛し、生きたかを知っていく。
そんな中で、ふたりが見出した未来とは−。


 正直言って、この映画には余り期待していなかった。監督は宮崎駿ではなく、息子の宮崎吾朗で、彼の初監督作品となったゲド戦記は原作者まで巻き込んだバッシングの対象となってしまっていたし(もっとも、私自身はゲド戦記を観ていないので、あくまで評判にしか過ぎないが。)、最近のジブリ作品は風の谷のナウシカや天空の城ラピュタなどとは傾向が変わってきており、今回の作品も昔のようなダイナミックなものではないことが分かっていたからである。とはいえ、子供の頃から宮崎駿や高畑勲の東映動画で育ってきた身としては、どうしても観ておかなくてはと思ってしまうのである。
 で、結果はいい方に裏切られた。原作が少女マンガなので、いかにもそれらしいストーリー展開ではあるのだが、それだけに奇をてらったり、画像で驚かしてみたりということはなく、ゆっくりと流れの中で緻密に描き込まれたオーソドックスな作品として仕上がっている。もちろん、結末に向けてのストーリー展開が笑っちゃうほどご都合主義的だったりするなどの難点がないわけではないが、それもまあ少女マンガらしいご愛敬として済ませるレベルではある。ただ、時代設定が1963年なので、我々世代でもギリギリの年代である。例えば、カルチェラタンと聞けば、神田カルチェラタン闘争を思い浮かべるというような、当時の社会に対する時代感覚を前提としているシーンも多いので、その辺が分からない人にとっては面白さは半減するかもしれない。 
 ともあれ、肩の凝らない大人のアニメを楽しみたい人にはお勧めの作品である。

【若い人のためのミニうんちく講座】
 神田カルチェラタン闘争とは、1968年から1969年にかけて、東京・神田駿河台の学生街で東大紛争支援のために当時神田・駿河台近辺に校舎を構えていた明治大学・中央大学・日本大学の全共闘が明大通り一帯をバリケード封鎖した学生運動の一つ。パリの学生運動の拠点であったカルチェ・ラタンになぞらえて神田カルチェラタン闘争と呼ばれた。
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unicef

2011-08-08 | column
 なぜだか時々ユニセフから寄付を依頼するダイレクトメールが届く。正確に言えば、ユニセフではなく、日本ユニセフ協会からのダイレクトメールではあるが、この辺のところはちょっとややこしい。国際連合児童基金(unicef:United Nations Children's Fund)はれっきとした国際連合の機関であり、本部はニューヨークに、日本国内には東京事務所が設置されており、主に開発途上国・戦争や内戦で被害を受けている国の子供に対する支援活動を行うほか、児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)の普及活動なども行っている。これに対して日本ユニセフ協会は日本国内における公益財団法人であり、ユニセフとは別組織ではあるが承認協定 (RecognitionAgreement)と協力協定(Cooperation Agreement)を締結し、各ユニセフ協会がその国においてユニセフを代表する唯一の団体として活動をしている。大雑把に整理すれば、国連機関とそれに対する寄付の窓口団体という関係だと言っていいかもしれない。やっていることは全然違うけれど、政党と政治資金管理団体みたいなかも。。

 ともあれ、活動内容を記載したパンフレットや売上の50%がユニセフの活動資金になるグッズのカタログなどがたまに送られてくる。高額納税者でもなければ、篤志家として有名なわけでもない私をどうしてユニセフが選んだのか謎ではあるが、私の住所と名前が印刷されたシールセットが入っているくらいだから、それほど無差別に配っているわけでもなさそうではある。そんなダイレクトメールを眺めながら、なんとなく3,000円ほど寄付してみることにした。急に慈善活動に目覚めたわけでもなく、心優しくなったわけでもない。ただ本当になんとなくである。まあ、強いて理由を探せば、東日本大震災以来、一般の寄付が被災地支援に集中して、他の様々な活動に対する寄付が減少して困っているという話を聞いたからということなのかもしれない。せいぜいがそんな程度の気分からである。
 寄付の仕方は極めて簡単で、ユニセフのホームページからクレジットカードやインターネットバンキングなどで直接募金することができるし、ユニセフのカードやギフトを購入することができる。また、寄付については所得税・相続税・法人税などの税制上の優遇措置の対象になるそうである。もっとも3,000円くらいで控除の申請なんか恥ずかしくてできないけれどね。
 ユニセフによれば、募金額3,000円で免疫力を高め、感染症を予防するビタミンAカプセル年間1500人分、5,000円でマラリアを防ぐ蚊帳を9張り、10,000円でポリオ経口ワクチン625回分になるそうである。それが一体どの程度子供たちの役に立つものなのか全然わからないけれど、たまには一回飲みに行く分を世界の子供たちに振り向けて行くのもいいかもしれない。

 気まぐれ日記の気まぐれ寄付のお誘いでした
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みんな最高だよ!

2011-07-18 | soccer
 もう何も言うことはないでしょう。今日は一切こむずかしいことは言いません。彼女達は絶対にあきらめない気持ちで、奇跡を起こしてくれました。とにかく優勝おめでとう!
 そして山郷のぞみ、矢野喬子、熊谷紗希、それに今はドイツで活躍している安藤梢。あなたたちはレッズレディースとすべてのレッズサポーターの誇りです。本当にありがとう!
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Welt Meisterschaft

2011-07-14 | soccer
 なでしこジャパンがスウェーデンを3−1で破って、ワールドカップ決勝へと駒を進めた。私の記憶が正しければ、FIFA主催の世界大会で日本代表が決勝に進出するのは、1999年にナイジェリアで行われたワールドユースチャンピオンシップに次いで2回目のことになる。ついでに言えば、この時はスペインに敗れ惜しくも準優勝だったが、小野伸二、高原直泰、小笠原満夫など、いわゆる黄金世代が活躍し、その後のワールドカップでの活躍へとつながっていった。なでしこジャパンには是非優勝して、日本サッカー界の悲願であるカップを持って帰ってもらいたいものである。

 それにつけても、準々決勝でドイツを破るまではほとんど見向きもされていなかった大会が、急にメディアを中心にもてはやされている状況を相変わらず苦々しく眺めている。女子サッカーが注目を浴びることは悪いことではない。ただ、是非とも彼女たちがどれだけ大変な思いをしてあそこで戦っているのかをきちんと伝えて、一過性のお祭り騒ぎではなく女子サッカーをずっと支える方向へと国民の関心を高めてもらいたいのである。私自身はレッズレディースを応援して年に数回なでしこリーグなどを見に行く程度だから、それほど偉そうなことを言えるものではない。ただ、彼女たちがスタジアムに足を運んでくれる人たちを本当に大切にしてくれていることは、試合後のインタビューやファン向けのイベントなどを通じてひしひしと伝わってくる。レッズレディースは観客動員といった面ではリーグの中でも抜群の存在感を示しているが、それにしたってレッズに比べれば一桁少ない人数だし、アウェイともなれば数える程でしかない。そんな状況だからなかなかスポンサーもつかないし、プロとして選手契約をしている選手などはごくごく一部である。それどころか様々なバイトや仕事をこなして生活を支えるだけでなく、クラブに参加費を払うことになっているチームもあるという。どこのクラブも経営が苦しく、先日は日本でもトップクラブであった日テレベレーザが経営方針を変更したために、今回なでしこのキャプテンを務めている澤穂希を始めとした代表クラスの選手が一挙に移籍したりもしている。更には福島第一原発事故の関係で東京電力マリーゼが活動を自粛するなど、その環境はますます厳しさを増すばかりである。
 そんな苦しい状況の中でも、彼女たちは純粋にサッカーが大好きで、だからこそ様々な苦労をしながらもサッカーを続けている。そして、このワールドカップ(ドイツ語ではヴェルト・マイスターシャフト)での自分たちの戦いが、これからの日本女子サッカーの地位を必ずや押し上げることになることを信じて全力を尽くしている。だからこそ、こんな小さなブログだけれど、彼女たちの想いをみんなに伝えたいと思う。

 まずは次の日本vsアメリカの決勝戦を応援することがもちろん大事なのだけれど、結果がどうあれ、彼女たちの帰国を温かく迎えてほしい。そして年に一回でもいいですから、なでしこリーグの試合を見にスタジアムに足を運び、彼女たちに直に声援を送り届けてほしい。それがドイツから日本に元気を届けてくれた彼女たちへのせめてもの恩返しになるのではないだろうか。

(追加)
 その後ちゃんと調べてみたら、FIFA主催大会では2001年コンフェデレーションズカップ(男子A代表)と2010年U-17女子ワールドカップを加えた4大会で決勝進出していたことが判明しました。やっぱり私の記憶は正しくなかったかあ
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期待値

2011-06-28 | column
 昔々、数学だか算数の授業を受けている時に、期待値という概念を習ったことがある。もちろん「期待値とは確率変数と確率を掛けた総和」のことであるなんて言う高尚な概念を記憶しているはずもなく、ただ宝くじを買った時に数学的に期待していい戻ってくる額はいくらになるかという計算だけが大脳辺縁系にかろうじ引っかかっているくらいのことである。例えば、1等100万円が1本、2等50万円が2本、3等10万円が10本という宝くじが10万枚発売されたすると、当選金総額は100万円×1+50万円×2+10万円×10=300万円となり、これを10万で割ると宝くじ一枚当たり30円が戻ってくるのを期待できるという理論である。もしこの宝くじが一枚300円で販売されていたとすると、10分の1の期待値しかないことになる。実際の宝くじはもう少し期待値が高いようだが、それにしても期待値が販売額を上回るなんてことは絶対にあり得ない。そう考えてみると宝くじなんか買うのは極めてバカバカしい話だし、宝くじに限らずすべてのギャンブルはやるだけ損をするに決まっているのである。・・・なんて話は別に期待値なんて概念を持ち出さなくても、誰でも分かっていることで、要するに、人間は実に理不尽な期待を持って将来を予測し、希望を持つ生き物だということなのである。もちろん、それが悪いことなのかというとそうでもない。将来の夢を見ない子供が勉強やスポーツに打ちこむはずもないし、結果が分かっている恋愛なんか楽しくもなんともない。そもそも未来なんて言うのは不確実なものだし、それを常に冷徹な数字でのみ判断なんかしていたら、人類の半分は自殺しなくてはいけないのではないかとすら思う。
 この種の楽観ともいうべきいい加減さは、マイナスの確率に対する反応についても同じである。現代社会に生きているのであれば、道を歩いていれば交通事故に遭うリスクをゼロにすることはできないし、食べ物の中に有害な化学物質が含まれていてガンにかかりやすくなるかもしれない。それどころか自分の遺伝子の中にはそもそもガンになりやすい形質が受け継がれているのかもしれないのである。そして、これらの確率は期待値よろしく全てが足し算で語られるべきものであって、そう考えてみれば「恐怖の総和」ともいう状態こそが人間が生きていくべき環境に他ならない。それこそノーリスク・ノーライフと言っていい。
 今回の放射能や原子力発電に関する一連のことについては、科学的な知見を有しているわけではないので、結論を述べる立場にはないけれど、ただ「不安だ」、「安心できない」と言いたてるだけで国全体が動いてしまうようなことだけは避けなければいけないと思う。終わってみたら本当は誰が始めたのかすらよく分からない戦争を経験した国である。今こそ子供たちの未来のために、冷静に議論を進めるべき時である。
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カットアウト

2011-06-19 | column
 このブログではもう何回も友人や先輩などとの別れを記録してきた。人生の折り返し点とも言える年齢を越えているのだから、慶事よりも弔事との付き合いが増えて来ることもそれはそれで仕方がないことなのだろう。ただ、親しい人との別れはいつもやるせなく寂しいことに違いはない。それが何の前触れもなく突然の別れの場合には尚更である。

 職場の元同僚が亡くなった。180cmを越える長身でスリムな体型に甘いマスク。仕事もきっちりとこなし、優しい性格で家族思い。別に亡くなったから持ちあげる訳ではない。そんな彼がいなくなったのを彼の上司から聞いた。たまたまその職場を訪れていた私に告げられた言葉は「いやあ、まいりましたよ。○○さんが亡くなっちゃったんですよ。」だった。言っている言葉はすぐに理解できた。ただ、言っている意味が分からなかった。なにしろ、前日も普通に仕事をしていたのを見ていたし、何も変わった様子はなかったのだから。「朝、家族が気が付いた時にはもう冷たくなっていたらしいです。」続いて出てきた言葉にはもう何の疑問の余地もなかった。認めたくはないけれど、納得はした。彼は急逝したのだ。私に事実を告げてくれた上司の肩越しに彼のデスクが見える。そこにはいつもと変わらずパソコンと少しの書類が積まれ、椅子の上には使いこんだ座布団が載っている。本当に何一つ変わらない風景がそこにはあった。ただ主がそこにいないこと以外は…。

 すぐに思い出した情景があった。15年ほど前のことである。11時過ぎに残業を終え、帰ろうとした時に、薄暗いオフィスの中でパソコンの前に同僚を見つけた。「まだ働いているのかよ。早く帰った方がいいぞ。俺は先に帰っちゃうからな。」「あはは、私ももうすぐ帰りますよ。お疲れさまでした。」そんな軽い会話で別れの挨拶をした。まさかそれが彼との最後の会話になるなんて思いもしなかった。その翌朝、私の部下が情報をくれた。「○○さん、亡くなったらしいですよ。」「え、お父さんかなにか?」「いえ、ご本人だそうです。」「だって俺、昨日の夜、話ししたぞ。」
 まったく同じだった。

 だから今回は事態を呑みこむまでに、さほど時間はかからなかった。そして、年を取るということは、こんな辛い出来事さえも経験として蓄積されてしまうことなのかと思った。それは悪いことではないのかもしれない。残りの人生ではこれまで以上にたくさんの別れを経験することになるのだろうし、いずれは私もあちら側に行かなければならないのだから。

 そんなことを考えながら、葬儀に参列していた。何回も何回も同じ考えが頭の中を回った。

 もう一回、彼とボウリングしたかったなあ。
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