どうしてなのかよく分からないけれど、東日本大震災からこっち「絆」という言葉がよく使われている。たぶんみんなで被災地とつながっていこうとか、震災を機に人と人とのつながりを再認識しようというような意味で使われているのだと思うが、私自身としてはJリーグ2010シーズン最終節でJ2降格の危機にあった神戸サポが掲げていた文字のイメージが強過ぎて今一つなじめないでいる。もちろん、そうした言葉を使う趣旨自体に反発するわけではないのだが、一度染み付いてしまったイメージを染め直すのは、それほど簡単なことではないのである。とはいえ、今回の災害を機に改めて「絆」について思い至ることが私にもいくつかあった。
2011年3月11日14時46分、東京都内の職場でこれまで経験したことのない地震を経験した私は、それからしばらくあれこれと対策に追われることになった(当日の様子は3月28日のブログ
「祈り」をご参照ください。)。今から思えば、災害関係以外のことをほとんど考えることのない数日間だったが、そんな時かつて一緒に仕事をしたことのある仲間から一通のメールが届いた。「東京も大変な揺れだったのではないですか。いろいろと大変だとは思いますが体に気を付けて頑張ってください。」そんな趣旨の短いメールだった。そのメールを見た瞬間、私は深く溜め息をついた。
もちろん、いつも人への気配りを欠かさない彼らしい優しさだなあと思い、こんな私のことを心配してくれる友人がいたのだと思うと、しみじみとうれしかったし、ありがたかった。一方で、自分が同じような状況でそんな言葉を人にかけてあげることができるのだろうかと思うと、いささか自信がなかった。自分が思いやりに欠ける愛情の薄い人間ではないのかという感情が私を苛んだ。同時に、別の面からも自分の存在の小ささを思い知る。彼は神戸に本社がある会社に勤めており、まさに神戸市内で阪神淡路大震災を体験している。その時の経験が彼をしてメールを出させたのだろう。やはり実際に修羅場をくぐっている人は発想力も行動力も違うのだなあということに対する気付きは、自分がバタバタとやっていることがどれだけ被災地のためになっているのだろうかと疑問を抱かせたのであった。
それは疲れた頭が考え過ぎただけのことだったのかもしれないけれど、そんな複雑な思いと感情が入り混じり、溜め息をついたのだった。
素直にうれしいこともあった。もう何年も前に日本での留学を終え、ソウルで結婚し、音信が途絶えていた女性から連絡があったのである。原子力発電所の事故で危なくなったら、家族を連れてソウルに逃げてきてくれというメッセージである。友人になると家族か親戚のように接するようになる朝鮮族らしい情の濃さであろう。その後、何回かメッセージのやりとりをしたが、お母さんになった彼女は長男と楽しそうに笑顔で写っている写真を送ってくれた。ご主人の仕事の関係もあり、たまには日本に来ることもあるようである。避難することはないとは思うが、いつかソウルか東京でまた会える日があると思うと、今から楽しみで仕方がない。
多くの犠牲者のことを考えれば、そんなことで喜んだり考え込んだりするのもどうなのかなと思ったりもする。それでもこの未曾有の災害から何か一つでもこの社会や人間関係のあり方を見つめ直すことができれば、それはそれでいいことなのではないだろうかとも思うのである。
今や陸前高田市復興のシンボルとなっている「奇跡の一本松」(冒頭写真)。かつては美しい松原があり、近くにはたくさんの仲間がいた。一人だけ残った今、残された松は何に絆を求めているのだろうか。