ラマナ・マハルシ

©Sri Ramanasramam, Published with Their Kind Permission

Talk 25 (2)

2017年04月21日 | 1935年5月15日
Enquiring further the questions arise, “Who is this ‘I’? Wherefrom does it come?” ‘I’ was not aware in sleep. Simultaneously with its rise sleep changes to dream or wakefulness. But I am not concerned with dream just now. Who am I now, in the wakeful state? If I originated from sleep, then the ‘I’ was covered up with ignorance. Such an ignorant ‘I’ cannot be what the scriptures say or the wise ones affirm. ‘I’ am beyond even ‘Sleep’; ‘I’ must be now and here and what I was all along in sleep and dreams also, without the qualities of such states. ‘I’ must therefore be the unqualified substratum underlying these three states (anandamaya kosa transcended). ‘I’ is, in brief, beyond the five sheaths. Next, the residuum left over after discarding all that is not-self is the Self, Sat-Chit-Ananda.

マハルシ:さらに問いを進めると、「この私は誰で、いったいどこから来ているのか?」という問題が生じる。「私」は、眠っている時には意識がなかった。目が覚めるのと同時に、睡眠は夢や覚醒へと変化する。しかし、私はたった今は夢に関係してはいない。目覚めている状態の今の私とは、一体誰なのか。もし私という意識が眠っている時に生じていたならば、「私」は無知で覆われていたことになる。そのような無知な「私」が、様々な経典が述べ、賢者たちが断言するとことの「私」であるはずはない。「私」は眠っている状態でさえ超えたものであり、「私」は今・ここにいるに違いなく、そして眠っている時も、夢を見ている時も、状態にも関わらず、ずっと存在していたところのものである。それゆえ、「私」とは、これらの三つの状態のさらに下に横たわる、制限されえぬ根本であるに違いない。要するに、「私」は五つの"鞘"を超えているのだ。真我でないものすべてを捨て去った後に残るもの、それが真我、すなわち完全かつ純粋で未分化な状態である。
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2 コメント

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Unknown (〜@y)
2017-04-25 04:16:59
書籍化する予定は無いのですか?
正確に翻訳されている本を読みたいです。
コメントありがとうございます。 (wanderingmonk19)
2017-04-25 15:33:38
正確な翻訳、というのは難しいです。なぜなら、マハルシの言葉(タミール語)→英語→日本語というように、すでに英訳の段階でズレがあるからです。訳者によってニュアンスや意味が変わってくるのは当然で、「正しい」訳というのはなかなか実現が難しいのが現実です。ナチュラルスピリット社から福間厳先生による『ラマナ・マハルシとの対話』が出版されていますので、こちらを読まれると良いでしょう。

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