久々にゼロキロポストハンターネタであります。
9月17日に高尾山-陣場山トレイルランイング大会をやりまして、幾度か通っている廃墟となった茶店のある小仏峠なんですが、おやや、なんとこんな山道にも都道の「地点標」があるじゃないですか。しかも「終点」。6.43kmと表示されています。下に188号と見えますね。
家に帰って調べてみると、都道188号は欠番みたいですなあ。
もう都道としては管理してないってことでしょうか。
で、近所にもう一つ地点標があったので、もしかしたらそっちがイキで東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線なのかもしれませんね。とにかく旧甲州街道の一部なようであります。
都道っていうと勝手にアスファルトで舗装されてるもんだと勝手に思い込んでいましたが、こういう山道みたいな場所や、調べてみると車が走れなそうな階段みたいな都道も存在するんですね。面白いですなあ。
特にこの場所は、東京都と神奈川県の県境になってるから都道の終点なんでしょうね。右後ろにある小さな四角柱は境界標でしたが、文部省って書いてあるように見えるんですが、なんで文部省管轄なんでしょうねえ。不思議。
(史跡名勝天然記念物等の管轄が旧文部省で、もしかしたら高尾山自体が名勝ってことで、こっから高尾山ね!みたいな意味の境界石なのかなあ。ちなみに明治100年記念事業として高尾山周辺は1967年に国定公園になってるんですよね。だからその時にこっから先は国定公園だよって意味で設置したんでしょうかねえ。で、国立公園は現在は環境省管轄ですが、環境庁ができたのは1971年だから、昔は文部省管轄だったんでないかな?ちなみに国定公園は現在は都道府県管轄なのね。いやあ省庁再編後はさらにヤヤッコシイですなあ)
また、その後ろにある大きな石柱には高尾山道と彫られているように見えるのですが、不思議なことに最後の道の字が下の石に食い込んでいますよね。これって要するに古い石柱が折れたかなんかしてて補強したってことですかねえ。
一応調べてみると、1795年(寛政7)建立なようですね。
ううむ、江戸時代ですか。なかなか古いですなあ。これだけ読みやすい字で残ってるってのは山の中にあるからでしょうかねえ。都内のお寺等にある古い石灯籠やら石碑は、風化なんだか酸性雨なんだかで相当読みづらくなってますからねえ。
それにしてもこの辺り、江戸時代は山賊もでたそうで、昔はただ走るためだけに往復するような、無駄なカロリーを使い二酸化炭素をいっぱい排出する変な人々はいなかったことでしょうねえ。
ま、なんとも古い空間と新しい空間が交差してるような小仏峠でありまして、電脳コイルだったらキラバグが手に入りそうな場所でありますよね。イリーガルが出現してあっちの世界に連れて行かれないようにしないとね。
さて、昨日帰宅ランできなかったので、今日は帰宅ランであります。
雨の心配は今のところなさそうですが、涼しくなると良いですなあ。
代々木ランニングクラブ
Emilineさん、CO2排出規制で月間200km以上走っちゃだめとかなったりして。
マカニさん、不思議なもので、存在を認識すると目に入ってくるんですよね。
ショーブンさん、私も井の庄に行きやすくなりますもんね。