赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

🎌越中五位庄赤丸村「延喜式内社五十三カ村総社浅井神社」の祭礼予定 !

2016-10-14 | 富山県高岡市


























「東大寺庄園越中石粟荘図」に掲載される「浅井神一段」
(奈良国立博物館のホームページからも閲覧できます。)


・「神式祭壇の造り方」→一般的には「塩」は左、米は「右」、正柱(中心)に「水」を飾る。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

平成28年の旧赤丸村史跡ウォーキング行事⇒[高岡市博物館]

2016-10-07 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸




予め「親しむ会」への加入と予約が必要です。今後も県内の庄園跡地巡りのバス旅行等も企画されています。詳しくは高岡市博物館に御問い合わせ下さい。












「高岡市立博物館に親しむ会」では以下の予定で「史跡ウォーキング」の行事が行われます。
又、9月17日~11月17日迄の間には「高岡市福岡町歴史民俗資料館」で「木舟城と石黒氏」の特別展が開催され、11月13日には「木舟城保存会」主催の「木舟城祭り」が現地で開催される予定です。「赤丸浅井城」と「木舟城」は何れも越中石黒氏の居城で、南北朝時代には後醍醐天皇庄園「越中吉岡庄」(赤丸村他の後の五位庄地域)の浅井城にその皇子の宗良親王が滞在されたと伝わります。
「赤丸浅井神社」は奈良時代創建の古い延喜式内社で、この皇室庄園「後院領吉岡庄」の総社とされ、古くはその別当寺の「川人山鞍馬寺」の三社権現はその祀られていた「毘沙門天」の霊験から「浅井城」の守護でした。その前で合流していた小矢部川と庄川の合流点は「吾子ケ淵」と呼ばれ、旧北陸道の難所として、ここには「義経記」に登場する『二位の渡し』(※後の「五位の渡し」)が有り、ここで「勧進帳」の場面が展開されました。「越中吉岡庄」の赤丸村には、往古、現在高岡市街にある「総持寺」「天景寺」「宗泉寺」「西大寺」等48の寺院が赤丸浅井神社周辺に集積していました。 又、『宇多刀工の氏神』の「槌の宮」も赤丸村から総持寺の門前に移転し、 高岡市の「極楽寺」も赤丸村舞谷の「極楽谷」に創建されたと伝わります。(※「極楽寺由緒」)
「越中吉岡庄」は古く白河天皇の時に上賀茂神社の庄園となり、その後藤原氏長者「藤原頼長」の庄園となっていましたが、「保元の乱」で平清盛、源義朝が御味方をした後白河上皇が勝利すると、一時期は「三十三間堂」で有名な「蓮華王院領」となり、その後は上皇の庄園「越中吉岡庄」として後醍醐天皇迄伝来しました。その後、足利義満は金閣寺で有名な「相国寺」に寄進され、以後も足利家菩提寺の「等持寺」「等持院」の庄園となり、一時期は足利義満家臣の蜷川新右衛門(※「一休さん」に登場する足利義満の側近。)の統治下に在ったと伝わります。(※「蜷川郷土史」富山市)
南北朝末期には「太平記」や「花栄三代記」等で有名な「桃井直常」の「五位庄の戦い」が展開され、戦国時代には「一向一揆」が五位庄に終結して赤丸浅井城には一揆の武将の「下間和泉」が入城したと「越中志微」は伝えています。その後、上杉謙信の七尾城攻めや石動山攻めで赤丸村の施設は全山焦土となり、又、前田利家と佐々成政の戦いでは佐々成政に味方した事から、前田家の治世には赤丸村の西側の村人が高岡市和田新村に移住させられたり、(※富山県立公文書館所蔵)多くの寺院も高岡市街に移動させられました。又、前田家は赤丸村に65~75%と言う高率の課税をして小矢部川の西側の住民に報復しました。その為、明治維新後は赤丸村の有力者は挙って北海道に移動し、歴史を伝承した家系も途切れました。昭和に入り、福岡町と合併した後には小学校、幼稚園、金融機関、警察、役場等の全てが廃止されて、今や、その昔の栄華は東京国立博物館、国会図書館等や石川県立図書館、金沢市立図書館等の地域外の施設や岐阜県史、平範記等に書籍、資料として残されるのみになりました。平成26年度にはそれまで研究が進んでいなかった「越中吉岡庄」についても、「国立歴史民俗博物館」は正式に「高岡市福岡町地域の後の五位庄周辺」として確定し、国の「庄園データーベース」に記載しました。
⇒元々赤丸村に在った高岡市の「総持寺」も加賀藩の圧力下でその由緒を隠した事から、その千手観音像が昭和12年に国宝に指定される迄その由緒が秘匿されましたが、その国宝指定の官報「国宝概説」で初めて総持寺が「元々、赤丸村に在った」と記載されました。

●尚、皇室庄園『越中吉岡庄』旧赤丸村の多くの史跡に関心のある方は以下の要領で散策出来ます。
【赤丸村史跡ウォーキング】⇒古の後白河上皇の後院領越中吉岡庄総社・延喜式内社・53ケ村総社『赤丸浅井神社』周辺の散策!!五位庄(旧吉岡庄)赤丸村の史跡位置です。

一帯には林道、作業道が整備されており、赤丸浅井神社横を通り「清水山」へ至るルートと、舞谷村集会所の横の道から「清水山」へ至るルートが有ります。赤丸城跡地へは舞谷村八幡宮横、舞谷村こぶし荘への道路中程から登山できますが、坂が厳しいので歩きやすい靴の準備が必要です。尚、舞谷村入口から山裾を流れる用水沿いに上流へ歩くと 「鍛冶屋町島跡地」、「天景寺跡」、「総持寺跡地」(※観音堂遺跡)、「親王塚」、「下加茂社跡地」等の案内板が用水沿いに立てられています。又、舞谷村入口から用水沿いに下ると「浅井城跡地」「赤丸浅井神社」「赤丸公園」が有ります。「清水山山頂」には京都清水寺の本尊千手観音を映した石仏を祀る「観音堂」が有り、「赤丸城」跡地には古城の井戸が有ります。赤丸公園には「大和武尊命」の銅像が有ります。「赤丸浅井神社」の「浅井神社」の額は加賀藩第十三代前田斉泰公の筆に拠るもので、浅井神社拝殿の正面には浅井神社前に在ったとされる『義経記』の「二位の渡し」ににちなんで「義経と弁慶」の大きな奉納額が架けられ、昭和初期に倒れた巨大な「勅使桜」の写真(額はその桜を使用)や、往古の「浅井神社三社」(※「浅井神社本社」「石堤浅井神社」「舞谷八幡宮」)や、「吾子ケ淵」(※「悪王ケ淵」)、数多くの古社跡地、清水山、愛宕神社、愛宕滝跡等が記載された絵図の写真(※石川県立図書館所蔵⇒『森田柿園文庫』)が架けられています。残念ながら富山県、高岡市の天然記念物の『大けやき』二本は平成26年に強風の為に倒木して現在はその『株跡』しか在りませんが、その写真は西五位村西明寺の『高岡市福岡町歴史民俗資料館』に掲げられています。
(御注意)
1,作業道、森林は全て個人所有地です。森林への立ち入りや山菜、樹木、花等の採集は出来ません。山菜は生産されていますので、勝手に持ち帰ると刑事処分を受けます。
2,森林は火災の恐れも有ります。焚き火、喫煙、ゴミ投棄は厳禁です。焚き火で火災を発生させると廃棄物処理法等により、罰金、懲役等の厳罰に処せられます。
3,史跡、神社等は信仰の対象にもなっていますから、敬虔な態度で失礼の無い態度で御参拝下さい。破壊、窃盗等の邪念を持って施設に進入した場合は当然、法律により厳罰となります。
4,看板や道路の設置は全て地元の人達の費用と努力で設置されており、それぞれの所有者の好意により施設を利用している事を念頭に、破損行為は絶対禁止です。道路入口は施錠されて車輌は進入できません。山林内は全てウォーキングのコースです。
5,持ち込んだゴミは必ず各人で持ち帰って下さい。コースにはゴミ箱等の施設は在りません。又、トイレは赤丸浅井神社入口に公営の施設が有りますが、他には在りません。
6.他の方も気持ち良く利用して頂く様に細心の注意で御利用下さい。又、野性動物が生息していますので熊鈴、ラジオ等を着用して音を出す等をして警戒して下さい。絶対に足元はサンダル等の軽装で山林に進入しないで下さい。コース内散策は全て自己責任です。熊、猪、鹿、カモシカ、ハクビシン等も西山山系に生息していますので、全て保護動物ですから勝手に殺傷出来ません。











「国指定重要文化財木造千手観音座像」(※「衆徳山総持寺」に安置され、元南朝の行在所「河内金剛寺」から伝わったとされている。)














コメント
この記事をはてなブックマークに追加