赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

赤丸浅井神社から倶利伽羅の手向け神社までの特別展が開催されました!!

2013-10-07 | 観光地

浅井神社、赤丸城、加茂城、西明寺入道塚、経筒、倶利伽羅手向け神社等北陸古道沿いの歴史、発掘物、地元の名家に伝わる古文書等を特別展示。古墳から発掘された人骨、かわらけ、刀剣、赤丸城の井戸の滑車の現物が展示されている。五位庄が未だ皇室直轄領の「吉岡庄」と呼ばれた時代には源頼朝や桃井直常等の武将が痕跡を残しています。「義経記」で義経主従が落ち延びた時、この五位庄を経由し、「二位の渡し」から小矢部川の舟に乗り「如意の舟渡し」を過ぎて、伏木河口の六渡寺の渡し場に着いたと云う。「二位の渡し」で平の権守に身元を怪しまれた弁慶は山伏に変装した義経を扇子で打擲して難を逃れたのは有名。これは小松の安宅の関では無く、赤丸の「二位の渡し」の出来事。赤丸浅井神社は「元正天皇二宮御創建の宮」(実際には文武天皇の二位の宮石川朝臣広成と思われる。)で有り、浅井神社の麓には小矢部川と庄川が合流して「阿古ケ淵」という大きな合流点が広がって、義経主従はここから船便で川下りをしたと思われる。今も小矢部川に沿って旧北陸道の山側街道の痕跡が残る。

高岡市福岡民俗資料館(高岡市福岡町西五位西明寺地内)
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