赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

🔘🌸🏯「延喜式内赤丸浅井神社 社殿」に残る「皇室の紋」!! ⇒「養老年間 元正天皇」の時に「文武天皇の二宮」が創建された「延喜式内社赤丸浅井神社」

2017-06-20 | æ—§ç”ºå 富山県西礪波郡福岡町赤丸
◎「養老年間(※717年~724年)、元正天皇の時代に再建された延喜式内社赤丸浅井神社」

「文武天皇」は若くして亡くなられた為に、その母の「元明天皇」、姉の「元正天皇」はその皇子が成長する迄、親代わりに成り天皇に即位された。「延喜式内社赤丸浅井神社」は「聖武天皇」の弟の「文武天皇二宮 石川朝臣広成」が創建されたと伝わる。
(※「由緒」では母代わりの「元正天皇の二宮」とされる。)

・神社の各所には皇室の紋の「桐紋」、「十六菊紋」が遺されている。




歴代、天皇の皇子が門跡に為られた「門跡寺院 聖護院」の末寺の「別当寺 川人山鞍馬寺」と「赤丸浅井神社」は 、「白河上皇」の時に「上賀茂社」の庄園と成り、その後、藤原摂関家、後白河上皇~後醍醐天皇庄園、下鴨神社庄園と成った「越中吉岡庄」の中核施設で在り、室町時代に入ると「五位庄」と成り、足利義満が相国寺にこの庄園を寄進した時に「五位庄」は高岡市二上山の麓から福野町の野尻迄、幅も西山から庄川迄の広範囲な庄園に成った。この時に砺波郡は足利義満の側近の蜷川新右エ門親当が統治したと伝わる。(※「蜷川の郷土史」、「蜷川家文書」、「東寺百合文書」、「万山編年精要」、「蔭寮軒日録」)
「延喜式内社赤丸浅井神社」はこの広大な「五位庄」の郷社で在り、室町時代には「越中蜷川氏」が創建した富山市の最勝寺の住職の「亀阜豊寿 」が能登畠山氏の法要を「赤丸浅井神社」、「川人山鞍馬寺」で二度に亘り盛大に行っている。(※「富山県史」)





































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