赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

🌄 三種の神器の一つの「勾玉 マガタマ」と越中赤丸村の「熊野信仰 」❗ ❗

2017-06-14 | æ—§ç”ºå 富山県西礪波郡福岡町赤丸






赤丸城ケ平古墳発掘の「勾玉」。「蛇紋岩」と「翡翠」は新潟県糸魚川市に流れ出る「姫川渓谷」から産出する。「碧玉」は小矢部川から産出し、青石、赤石等の様々な色がある。現在も福光町では「玉杯」が生産されている。



新潟県糸魚川市に流れ出る姫川渓谷は古来から「翡翠」の産地で、この翡翠から多くの「勾玉」が生産されていた。勾玉は皇室では天皇の権威を示す「三種の神器」の一つとされる。赤丸村の「城ケ平古墳」からも「翡翠」の「勾玉」が発掘されている






高岡市の二番町の「曳山」は「越中宮極楽寺由緒」に拠ると、南北朝の時に後醍醐天皇の皇子「宗良親王」の「御座車」で在ったと云う。宗良親王は「熊野社」を信仰された為、「越中宮極楽寺」にも熊野権現が祀られた。越中宮極楽寺は高岡市牧野に創建され、後に守山を経て現在の高岡市博労町に移ったとされるが、牧野での創建についてはその由緒でも「二百数十年間五位庄に在ったと伝わる」と記載される。赤丸村にはこの「極楽寺」が創建されたと伝わる「極楽谷」が城ケ平古墳の奧に遺されている。
➡「二番町の曳山」には熊野信仰のシンボルの「烏」が二羽停まった朱塗りの鳥居が飾られている。


●白河上皇の時に「上賀茂神社」の社領として天皇が寄進したと云う「越中吉岡庄(赤丸村)」には、かつて、千手観音像を祀る「総持寺」が在った。この寺の守護神の「熊野社」は赤丸浅井神社の奧院と清水山観音堂との中間の尾根に鎮座していたが、総持寺が高岡市内に動いた室町時代以降は、総持寺の住職が定期的に拝礼に出向き、赤丸浅井神社の別当「川人山鞍馬寺」も管理を手伝っていたと伝わるが、今はその伝統も絶えて、社屋は取り壊され、祭神は赤丸浅井神社に合祀された。跡地には檜の木が植林されて、面影もないが、高岡市の法務局には「社地」として図面に残る。


●和歌山県野那智熊野三山については、歴代の天皇が信仰して、「越中吉岡庄」を「後院領」としていた後白河上皇は最多34回も行幸され、住まいとされた法住寺殿の鎮守として日吉社・熊野社を勧請して、三十三間道には1001体の千手観音像を祀られた。

熊野三山の祭神は、熊野本宮(本宮)には「熊野坐神 クマノニイマスカミ」、熊野速玉大社(新宮)には「速玉神 ハヤタマノカミ」、熊野那智大社(那智山)には「熊野牟須美神 クマノムスビノカミ」が祀られている。「日本書紀」には国生み神話の最終回段階で、亡くなったイザナミを黄泉国に訪問してその変わり果てた姿を見て逃げ帰ったイザナギが禊をして吐き出した唾液から「速玉神」が生まれたとされる。又、スサノオが高天原に駆け上がった時にスサノオに疑いを持つアマテラスと、天の安の河原で「誓盟 ウケイ」が結ばれた。「古事記」では、その時に、スサノオがアマテラスの右腕を飾っていた「玉」を噛みに噛んで吐き出した息吹きの中から生まれた神が「熊野久須毘命 クマノクスビノミコト」で有り、「日本書紀」では「熊野櫲樟日命 クマノクスビノミコト」となっている。元々、熊野信仰は古代豪族葛城氏と密接で、熊野修験道となった。元々はこの神話を背景としたが、後にはこれ等の修験者が勢力を持った為に天皇は統治の背景として利用して、熊野信仰は天皇の信仰となった。歴代天皇は全国の山伏を統括する熊野山に参詣して霊力を獲ようとした。
赤丸村浅井神社、浅井城を中心とした「越中吉岡庄」は白河上皇の時にこの葛城氏と所縁の強い「京都上賀茂神社」の庄園となった。「平範記」に拠ると、その後は藤原摂関家藤原頼長の庄園となり、「保元の乱」で藤原頼長に勝利した後白河天皇の時に皇室の上皇の庄園「後院領」となり、歴代の上皇、天皇に受け継がれて後醍醐天皇迄、皇室庄園として続いたと云う。
後白河上皇の皇子が「本山派修験道」の「聖護院門跡」となられ、赤丸浅井神社も聖護院山伏が「川人山鞍馬寺」の「別当」として勢力を誇って、周辺53ケ村から各戸より米一升を集める権利を持ったと云う。この権利は後白河上皇の勅願寺の石動山天平寺と赤丸浅井神社に認められていたと云う。この山伏は朝廷の権威を背景に強制的に米を集めたので「カーンマンボロ」と呼ばれて恐れられた。赤丸村には後白河上皇以来の熊野信仰が息づいていた。

熊野信仰はその祭神を「玉」に纏わる神々としている。「勾玉」の形は、地球創世期の未だ土が固まっていない状況を現したものとも、神話に見られる、神が粉々に噛み砕いた「玉」や噛み砕いた玉を吐き出したツバをシンボルとしたものにも見える。皇室の重要な神で、天地創造の時に諸神を地上に遣わされた指令神の「高皇産霊神 タカミウブスナノカミ」は「岩」を拠り所として地上に降り立つとされる。「延喜式内社赤丸浅井神社」の祭神はこの「高皇産霊神」で有り、「天照大神」も併祭している。天皇の権威のシンボルの一つの「勾玉」は、正に地球を構成する「岩」そのものをシンボルとしたものと言えるだろう ❗ ❗

「高皇産霊神」は皇室の神であると共に、越中国司をした「大伴家持」の家系の祖先神とされる。越中は大和朝廷が原住民の「蝦夷」討伐の拠点とした地域で有り、その軍隊を統括したのは大伴氏とその一族の佐伯氏、軍事氏族の物部氏、久米氏で在った。佐伯氏は降伏した蝦夷を朝廷から与えられて「佐伯部」として軍隊に使役したと云う。物部氏については氷見市と高岡市の間に在る「物部神社」由緒に越中遠征の記録が見られる。様々な越中の神社由緒には、大和朝廷の北陸遠征の痕跡が記されている。
(※越中を占領した前田利家はこの祭神を前田氏の祖先神として金沢の尾山神社に祀っている。)
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