赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

🔴🔘 「金沢古跡史」(※森田柿園著)が指摘する 「越中五位庄加茂城」と「加茂城下に創建された雲龍寺」の説明の誤り!!

2017-11-04 | å¯Œå±±çœŒé«˜å²¡å¸‚
「越中五位庄」の「加茂城」







「金沢古跡史」は加賀藩士「森田柿園」が著した加賀藩管内の「地史」の大作






●「五位庄加茂城」の由緒の検証 ⇒「森田柿園」が指摘していた高岡市教育委員会の説明の誤り!!

「越中加茂城」と「二宮円阿軍忠状」、加茂城に「赤松政則が在城した」とされる事実は在ったのか?

①詳細を調べるとこの二宮円阿という人物は足利一族の斯波高経の家老に見られる。

「斯波高経」; 尾張足利氏四代目 1362年細川頼和に代わり越中に息・義将を派遣。信濃国から越中乱入。南北朝時代の南朝の武将で守護大名。越前・若狭・越中守護。南朝の勇将新田義貞を福井県で破る。観応の擾乱では足利尊氏と直義双方にその都度、仕える。
「二宮円阿」;次郎左衛門入道貞光円阿。斯波家家老で信濃口から越中へ乱入し庄城、野尻城、和田城、鴨城、頭高城で戦う。1363年(正平十八年)に軍功を申請する申請書を提出した。
(※「軍忠状文書」参照)


②加茂城の説明に、加茂に創建され金沢に動いた赤松氏所縁の「雲龍寺」について説明が在る。
加賀藩士「森田柿園」は「金沢古跡史」で、「赤松氏が加茂城を居城とした事はあり得ない。」と明確に否定している。「赤松政則」は足利将軍家から「天皇の神璽を後南朝から奪還した報奨として加賀半国を与えられた」とする「加賀半国」とは「石川県石川郡、羽咋郡の二郡」を指しており、越中の五位庄を与えられたとする事はあり得ないとしている。
又、「金沢古跡史」では「雲龍寺を創建した」のは「赤松政矩」としており、「高畑に居城した」とされる点に付いては金沢市郊外の石川郡に同じく「高畑」と言う地域が在る。
「越中五位庄」は「足利義満」が室の追善供養として「相国寺」(※棟頭「鹿苑寺金閣」)の庄園として、「越中蜷川氏」が政所代として統治したとされる事から、足利将軍家に従っていた赤松氏の別の人物が「五位庄の加茂に雲龍寺」を築き、この寺が後に金沢に動いた事を示している。



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