赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

※※※ 「金沢古蹟志」の作者『森田柿園』と 加賀藩士「九里氏」⇒森田文庫に残る『赤丸浅井神社古墟図』!!

2017-06-14 | 歴史
加賀藩に九里氏(くのりし、くりし)と言う生え抜きの家臣がいたと森田柿園は特にその著作の「金沢古蹟志」に書残している。この氏族は北陸および近畿の氏族で、表記には九ノ里(九野里)、九法、久乗(久乘)などの変種があると云う。









石川県図書館協会発行の「金沢古蹟志」(※森田柿園著)に見る「九里氏」。

享保九年の加賀藩士帳に「千五百石九里甚左衛門」と在り、この一族は明治維新の廃藩迄、金沢市新竪町広見に居住したが、家屋を売却して何処かへ移転したと云う。
この先祖の九里夕庵は前田綱紀の近臣で、二千石を賜っていたと云う。
幕末の九里正長は「越登賀三州誌」等を著した「富田景州」の同僚だったと云う。九里氏の祖先の「九里甚左衛門」は当初、織田信長に仕え、前田利家が越前府中(福井県武生市)の城主の時に前田利家に仕官した加賀藩の古老で在ったと云う。
この一族は、歴代、小姓頭、馬廻り役、定番頭、金沢町奉行、算用場奉行等の要職を歴任したと云う。加賀藩の学者の「富田景州」や「森田柿園」は特にこの氏族を「加賀藩成立以来の古老、知識人」として特に紹介している。

この「金沢古蹟志」、や「越中志徴」「加賀志徴」「能登志徴」を著した「森田柿園」は、加賀藩の記録を遺した学者だが、膨大なその著作や貯蔵資料は石川県立図書館の「森田柿園文庫」に保管されている。
この文庫には、「延喜式内社赤丸浅井神社」の古絵図も保管されている。
森田柿園は元々、市街地中心部の「柿の木畑」に住まいしていたが、この土地は金沢市役所近く、旧の「宇都宮書店」の近くに在ったが、その後、この土地は富山市の飲食業者の手に渡り、現在は駐車場になっている。









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