赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

➕ 富山県小矢部市の古代史跡→谷内古墳群、若宮古墳(利波臣の時代)❗ ❗

2017-06-14 | 富山県小矢部市










「小矢部ふるさと歴史館」には、近年、国道8号線の工事に伴って発掘された「桜谷古墳」出土の日本で最古の古代の木組構造物や、前方後円墳で知られる「若宮古墳」、古代の鎧(短甲)や鉄刀、鉄剣、各種の装飾物が発掘された「谷内古墳群」が展示されている。
どれも一級の発掘物だが、特筆すべき発掘物として、古代5~7世紀頃の古代の「鎧」が、レプリカではなく現物が発掘されて陳列されている。各地では剣や人骨は発掘されるが、この頃の「鉄製の鎧」がほぼ完全な形で発掘されて小矢部市の「ふるさと歴史館」に陳列されている事は県内でも知る人は少ない。この史跡からは鉄製の大刀や、小刀、鉄製の剣、矢じりや、剣を飾ったと見られる管等も発掘されている。この葬られた人骨は、小矢部市では時代的に「利波臣」の一族と見られている。発掘場所は何れも「源平盛衰記」で有名な「埴生護国八幡宮」の周辺である。
「大伴家持」が越中国司の頃、「利波臣志留志」は東大寺庄園の開発に当たり、自らは「米3000石と庄園100町」を大仏造営の為に寄進している。「利波臣」は「利波評」を授けられて「利波臣」を名乗ったと言い伝えられ、小矢部市ではこの古墳の主は「利波臣」の先祖と推定されている。この「埴生護国八幡宮」の周辺に大伴家持の時代の鎧を納めた古墳があるのは、大伴氏が「大和朝廷」の蝦夷鎮圧を担当する軍人であった事から、倶利伽羅山の麓を守った軍人の集団がここに駐屯していた為だろうか?
これ等の古代の発掘物は全国でも屈指の貴重な発掘物であり、一度は訪れて見る価値が高い。

◎「利波臣」
「継体天皇の時に利波評を賜り、その曾孫が斉明天皇の時に利波評督となり、その子が利波臣姓を賜った」










「古事記」

※「日子刺肩別命」
・孝霊天皇と意富夜麻登久邇阿礼比売命の子
・高志之利波臣、豊国之国前臣、五百原君、角鹿海直(敦賀)の祖とされる。
【越中の「日子刺肩別命」 を祭神とする神社。】
荊波神社 富山県砺波市池原南山601
荊波神社 富山県南砺市岩木5024
臼谷八幡宮 富山県小矢部市臼谷6967

※小矢部市周辺には初代天皇の神武天皇の父を祀る神社が集中している ❗
【富山県で神武天皇の父の鵜葺草葺不合命 を祀る神社】
長岡神社 富山県小矢部市七社84
糸岡神社 富山県小矢部市五社3080
比賣神社 富山県砺波市柳瀬2238
臼谷八幡宮 富山県小矢部市臼谷6967

◎臼谷八幡宮(小矢部市臼谷6967)は、八幡宮の主宰神の「譽田別命」(※応神天皇)、「古事記」で「利波臣の祖」とされる「日子刺肩別命」 、神武天皇の父の「鵜葺草葺不合命 」の三神を祀り、徃古は「延喜式内社 荊原神社」と主張して来たと云う。




●「埴生護国八幡宮」

「埴生護国八幡宮」の祭神は「譽田別命 ホンダワケノミコト」とも呼ばれる「応神天皇」で、「八幡神」と呼ばれる。この神社は奈良時代の養老年間(元正天皇の時)に豊前国(大分県)の宇佐八幡宮を勧請したものと伝わる。天平年間、越中国司「大伴家持」はこの神社に国家安寧、五穀豊穣を祈ったと伝わり、寿永二年五月、「木曽義仲」は平家との戦の戦勝を祈願して願文を奉じている。その後も幾多の武将が戦の神の八幡神として戦勝を祈願している。



●富山県西部の「天皇の軍隊」の遺跡 ❗

富山県の西山一帯にはこの頃の横穴古墳や遺跡が多く、赤丸城ケ平の横穴古墳群からも貴人か軍の統率者が所持したと見られる剣の柄頭に銀製で象篏細工をした「頭椎 カブツチ の太刀」の柄頭が発掘されている。富山県内では呉羽にも出土したらしいが失われて記録もない。城ケ平の発掘物も時の「帝室博物館」(※現在の国立博物館)に持ち去られたまま、行方不明と云う。小矢部市の様に現地に現物が保管され続けている事がいかに貴重な事かを感じさせられる。「歴史遺産」が熱意の無い官僚や、発表するだけの学者の手にかかると、その時が過ぎれば恰も「ゴミ、芥 アクタ」の様に扱われている事がこの事例で分かる。




【古代の甲冑と剣のイメージ】




▽(参考)「銀で象篏された城ケ平古墳群(赤丸、馬場地内)出土の頭椎の剣の柄頭」
神武天皇の軍隊は、柄頭が環になった「頭椎の太刀」を使用したと云う。(※「日本書紀の暗号」林 青梧)









◆「小矢部ふるさと歴史館」の位置







●「古代の鎧」※小矢部市の「谷内古墳群」出土



「鎧」の胴部分⇒前後に分かれている。


鎧の部品が溶接されている。→所々に溶接した膨らみが見られる❗



「短甲」と呼ばれた上半身の古代鎧の復元模型(黒く漆が塗られている ❗ )


「古代鎧の頸甲・肩甲」と、下は復元模型(黒)※首・肩の鎧




「皮草摺 カワクサズリ」※腰と大腿部の防具→腐食して炭化


埋葬状況→長い穴に副葬品の刀、槍、飾り等のと共に埋葬された。



「鉄刀」と「鉄剣」→柄には玉石や菅玉、金具の装飾がつけられたものも発掘されている。
(☆歴史館の許可で撮影。)

[小矢部市内史跡位置]

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