赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

📙📘 加賀藩の記録 ⇒加賀藩の奉行が遺した地誌録に残る「川人山鞍馬寺」、「赤丸浅井神社」、「吉岡庄」、「五位庄」 。

2017-07-11 | å¯Œå±±çœŒå°çŸ¢éƒ¨å¸‚
●「宝永誌」(※砺波郡・射水郡編)

富山県の古記録「喚起泉達録」と「肯搆泉達録」


加賀藩の奉行の報告書で加賀、能登、越中(砺波・射水編、新川編)の各編の存在が分かった。しかし、富山県内には南砺市に砺波・射水編の写しが、富山県立図書館にも一部の写しが在ると言う。
「宝永誌」に拠ると、「越中吉岡庄」は宗良親王が「五位庄」と改名され、赤丸村の「川人山鞍馬寺七坊」・「赤丸浅井神社」が「三社権現」で在った事、赤丸村に「浅井城」が在り、「昔、元正天皇の皇子が在城され、その後、一向一揆の大将の下間和泉が在城した」と言う。
(※「肯搆泉達録」にも「赤丸浅井城に元正天皇の二宮が在城された」と記されている。)

ここに記載される「元正天皇二宮」とは、文武天皇の二宮で在り、母の石川刀自娘(イシカワノトジノイラツメ)が藤原不比等により廃妃されて、母と共に臣籍に降下させられた「石川朝臣広成」の事で、大伴家持と同じ舎人と成って恭仁京に赴任し、万葉集に歌を三首遺している。義兄は聖武天皇で、元正天皇は勅令を出して「天皇の子は全て親王とする」として広成の身分を保証して、後には「高円朝臣広世」と賜姓されている実在の人物だ。(※「続日本紀」)

『政治』 ã‚¸ãƒ£ãƒ³ãƒ«ã®ãƒ©ãƒ³ã‚­ãƒ³ã‚°
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