赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

🔘 「富山県西礪波郡紀要」記載の「五十嵐篤好」、「田畑兵衛」

2017-09-02 | å¯Œå±±çœŒé«˜å²¡å¸‚




■「五十嵐篤好」は加賀藩時代に現在の高岡市東五位、国吉、石堤地区の「十村役」を歴代勤めた家系で、著名な国学者で在り、算学、測量術に通じ、現在の富山市で農地の開発を行った。住居は現在の高岡市立東五位小学校の敷地と云い、小学校の入口には「五十嵐篤良の墓」が在る。
「吾妻鏡」に「五十嵐氏」は越後の五十嵐神社の神官一族で、「承久の乱」の時に幕府側で戦功在り、「越中国吉名」を賜り、その後、幕府側と所有を巡って争論と成った事が記載される。






■「田畑兵衛」は佐々成政が能登末森城を攻めた時に、佐々成政に能登への間道を案内すると称して、道なき山道に佐々軍を迷わせて自らは逃亡したとされる。その為に、佐々軍の末森城への到着が遅れた為に、急を聞いて駆けつけた前田利家軍の参戦で落城を免れた。
その結果、知らせを受けた豊臣秀吉が参戦して、佐々成政は降伏し、赦されて、暫くは新川郡を知行されたが、遂には肥後に伝封された。
その戦功を前田利家に賞されて、十村役の上の無役十村役、山廻役と成り家臣待遇を受け、周辺一帯の山林を知行された。











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