赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

勧進帳の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史―「越中吉岡庄」「五位庄」

🔴🔨 「越中吉岡庄」(※高岡市福岡町赤丸村領三日市)に繁栄した『宇多刀工』のルーツ⇒「奈良県宇陀郡史料」に見られる「宇陀郡」と加賀、越中の繋がり!!

2017-09-11 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸








●『宇多刀工』は「奈良県宇陀郡史料」に拠れば、大和国宇陀郡宇賀志村に栄えた伝説の刀工「天国 アマノクニ」の流れを汲むとされ、宇賀志村「稲津神社」には「鍛冶屋井」と称する井戸が在り、「天国」はこの井戸を用いたとされる。「天国」を祖とする刀工は全国に拡がり「日本刀」の祖とされている。
崇神天皇の時に神孫「国振立命」はこの霊水で神剣を作り、「文武天皇」の時に『天国』が「アメノムラクモノツルギ」の写しを作りこれが天皇護身の刀で在ると云う。『天国』は平家の重宝「小鳥丸」を作刀した事でも知られる名工。
『宇多刀工』の「宇多国光」は当初、加賀に入りその後、「越中吉岡庄」に移り住んだとされる。その場所は後醍醐天皇皇子宗良親王が入城された越中石黒氏の居城「赤丸浅井城」の至近距離の「鍛冶屋町島」と伝えられる。この地域は「延喜式内社赤丸浅井神社」の末社の「下加茂社」の神域で在り、「鴨氏」は「ヤタガラス」に変身して大和国宇陀郡に「神武天皇」を案内したとされる一族で、京都上賀茂、下鴨神社と密接な一族であった。南北朝の末期の長慶天皇の時に「越中吉岡庄」は「賀茂御祖神社」(※下鴨神社)の庄園として寄進され、その後、南北朝の合一を為した足利義満に依って義満が創建した「相国寺」(※「搭頭寺院 鹿苑寺金閣」)に寄進されている。宇多刀工は南北朝から室町時代に多くの作刀をして、範囲も越中に限らず、加賀、飛騨にも広く弟子が拡がったとされ、越中松倉郷の郷(江)義弘や富山呉服郷の佐伯則重にも大和伝の影響を残したとも云われる。







■宇陀郡は崇神天皇、神武天皇以来の天皇家と密接な地域で、特に南北朝時代には伊勢国司北畠家の「北畠親房」の家臣の知行国で在り、「沢」、「秋山」、「芳野」の三氏が「宇多三人衆」と呼ばれ、北畠親房と共に南朝の為に戦ったと言う。
⇒(北畠親房の墓所も宇陀郡に在る。)
その後、戦国時代に入ると、織田信長が侵攻して子の織田信雄の所領と成り、次いで孫の織田高良の所領と成ったが、高良の若気の至りで出奔して加賀に走り「佐山右近」と改名して前田利長に仕え「三千石」を知行された。「高良」は大阪の陣の後に前田家家臣富田越後の娘を妻とし、父の織田信雄の跡を受けて宇陀郡に帰ったと云う。この時に従った家臣団を宇陀郡では「加賀衆」と呼んだとされる。

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