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アニメ及び周辺文化に関する雑感

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【Kanon】鯛焼きと羽根リュックをめぐる冒険 #10

2008年06月05日 | アニメ
 元号が平成に変わる頃、健康に悪影響を与えるメタボを取り締まるためスイーツ良化法が制定された。
 鯛焼き屋はスイーツ良化隊の激しい検閲から嗜好の自由を守るため武装化。両者の戦闘は激化の一途をたどった。
 そして平成XX年、その戦いに食い逃げ犯として飛び込んだアホな少女がいた。

「うぐぅ、祐一くん、酷いよ……」

(表現の自由を守るために児ポ法と戦うアニメの第5話より)


 第10話「丘の上の鎮魂歌~requiem~」

【ストーリー雑感】

 夕方になって出掛ける祐一。寂しそうに見送る真琴はすでに言葉も話せず「あう~」と鳴くだけ。相手になってる秋子さんも大変だね。で、祐一はどこに出掛けたのかと思ったら、校門の前で美汐を待ってるって……学校サボっててよくそんなとこで待ってられるものだね。
 で、美汐に頼んで真琴に会ってもらう祐一。今更って気がしないでもないんだけど、経験者に委ねたら多少は回復すると期待でもしたのかな。確かに自分の(と思い込んでる)と祐一の名前は思い出したみたいだけど……。それでもそれは一時的で、次に熱を出したらお終いだと語る美汐。残酷だね。
 真琴を連れて一家揃って外食に出掛ける水瀬家。ま、これが最後の思い出ってとこなんだろうね。そしてプリクラ。原作の『CLANNAD』で芽衣ちゃんとプリクラを撮るシーンがあったのはさすがに時代遅れって気がしたけど、『Kanon』の場合は原作の時点だとそういうことは無いんだろうね。でも、この京アニ版の時点では「いつの時代じゃい!」って感じなのは確かだけど……。しかし、4人揃って映るのはさすがに相当な無理がありそうだね。
 帰って庭で花火してる時の真琴の表情が良いんだけど、これが笑顔の見納めってか。で、その晩、ついに運命の発熱が……
 翌日、再び言葉を失った真琴に好きなマンガを読み聞かせてやる祐一。で、マンガの通りに結婚しようとか言い出したかと思ったら、真琴を連れ出して外へ。見送る秋子さんが泣き崩れてるんだけど、この時点でそれは気が早過ぎるような気がするぞ。そして門の外には美汐が。
 こいつ、学校サボってるのはいいけど、いったいそこで何時間待ち続けるつもりだったんだ? ま、結局、美汐は祐一たちを見届けると途中から学校に行ってるけど……名雪に何を伝言頼んだんだと思ったら、出て来て真琴と付き合えってか。
 真琴を連れて物見の丘へ登る祐一。草原で豚まんを食わせてるけど、すでに自分の手でつかむことすらできないのか。
 夕方になって結婚式を始める祐一。ウェディングドレス一式は無理だからってヴェールだけを被せてるんだけど……本物のウェディングドレスのヴェールなのか、似たようなので間に合わせたのかよくわからんね。
「これで真琴の願いは成就したと信じた」
 いや、勝手にそう思われても……というか、何かいきなし語り口がキョンになってるのは気のせいか?
 結局、強風に飛ばされていったヴェール。途端に泣きじゃくり始めてる真琴。で、鈴で誤魔化してるのはいいけど、そりゃいい加減飽きるぞ。そして真琴が眠ったとたん、鈴だけを残して消滅……世の中には質量保存の法則というのが働いてるから、いくら真琴が軽くても女の子1人分の質量が消失したら、それと引き換えに莫大なエネルギーが発生することになるんだけど……

 校舎の屋上にいる祐一にところにやってきて語り掛ける美汐。この町の半分くらいは真琴と同じような存在なのか知れないって物騒なこと言ってるんだけど、そこで画面に映ってくるのがモブキャラじゃなく祐一の周囲の人間ばかりだってのが意味深だね。ま、祐一視点に立って考えたら、見も知らない他人を思い浮かべるよりは身近な人間を思い浮かべるのが自然ってことだろうけど……
 物見の丘のキツネたちがみんな真琴たちのような力を持ってたら奇跡が起こせるかもしれないという美汐。空からお菓子が降って来たらとか少女趣味というかメルヘンチックなことを言うんだけど、それに対して「地面に落ちたお菓子なんて汚いだけだろ」とか身も蓋も無いこと言ってる祐一。そんなこといえばお菓子の家なんてただのゴミだろ。(そもそも地面の上にじかに建ってるし、ヘンゼルとグレーテルにしたって土足で踏み入ってるからね)
 奇跡が起こせるとしたら何を願うって……真琴の復活ってのは月並みだね。復活したところでまた同じ別れが繰り返されることになってもって気がするけどねぇ。ま、奇跡は別の形で起きるんだけど……


【サブタイトル解題】

 鎮魂歌とか鎮魂曲というと一般的には沈静で儀式的な葬送の音楽をイメージすると思われますが、レクイエムの本来は死者のためのミサの音楽全体を指し示すものであり、そこには死者が最後の審判を得て楽園に復活する経緯のすべてが盛り込まれてきます。
 例えばヴェルディの『レクイエム』では怒涛のように畳み掛ける激しい「怒りの日」の部分が有名ですが、レクイエムの中にはこういう音楽も含まれてきます。これは「鎮魂」というイメージには程遠いものですが、そもそも西洋の死の概念に肉体と魂の分離は存在していないのでレクイエムに「鎮魂」という意味はありません。楽園に復活するのは生前の肉体も含めた死者なのです。(だから西洋では罪人とか悪質な伝染病患者以外は火葬にしたりはしません。肉体を焼いてしまうと復活できないからです)
 もっとも、ここで用いられているのは日本で一般的な鎮魂歌のイメージでしょう。物見の丘で消え去っていった真琴の冥福を祈る歌です。


【使用BGM】

01.「Last Regrets」
  OP
02.「凍土高原」
  真琴と会う美汐
03.「風を待った日」
  祐一の名を思い出す真琴
04.「残光」(ピアノアレンジ)
  水瀬家の団欒
05.「冬の花火」
  庭で花火~真琴の発熱
06.「残光」(アレンジ版)
  マンガを読み聞かせる祐一
07.「生まれたての風」(アレンジ版末尾)
  物見の丘へ
08.「残光」
  結婚式
09.「冬の花火」(アレンジ版)
  鈴とじゃれる真琴
10.「Little Fragments」(アレンジ版)
  真琴の回想
11.「生まれたての風」
  春になれば……
12.「風の辿り着く場所」
  ED
13.「Last Regrets」(イントロ)
  予告

 アバンタイトルに音楽が入ってないのは初めてかな。今回もキャラクターテーマの類は皆無。真琴がこれだけ弱ってりゃ「the fox and the grapes」なんて使えたものではありませんが。
 目立ったところでは「残光」が3バージョン揃い踏み。これと「冬の花火」の2バージョンでイメージが作られてる感じです。沈みがちな音楽が続いた後で、最後の「生まれたての風」が希望を持たせてます。


【キツネの少女の物語】

 キツネはタヌキと並んで日本では化ける動物としてポピュラーな存在です。そこで、その「化けた」キツネという素材で1人の少女の物語を紡ぎ上げたのが、この真琴シナリオでしょう。
 もちろん、ただの昔話のキツネの変身譚ではありません。キツネはなぜ「化ける」のか、「化けた」キツネはどうなるのかということを、人間とキツネとの触れ合いとして描いているわけです。
 もちろん、これを祐一が見た幻想譚として、夢として片付けることも出来ます。しかし、それを普遍化ならしめてるのが天野美汐という、かつて同じ体験を経た少女の存在です。ま、真琴シナリオにしか登場しないこの少女自身も幻想の存在として片付けることも出来ますが、やはりそこはこの物語をどう捉えるかという受け手側の解釈問題でしょう。

 ところで、化けるキツネといえば最近の作品でも『かのこん』のちずるだとか、『我が家のお稲荷さま。』のクーとかいますが、これらはキツネと言っても妖狐だとか天狐だとか最初から妖怪に変化した存在なので、普通のキツネが化けてるのとは違っています。そういう意味では普通のキツネやタヌキが化けるというのは昔話の中だけの話で、現在の物語として形に表れることはほとんど無いように思われます。
 ま、ジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』とかいう作品もありましたが、あれはどちらかというと現在のタヌキが化けるという作品というよりも、昔話の化けるタヌキが現在にいたらという感じの作品であり、昔話の素材を使った一種の風刺作品なので、積極的にタヌキが化ける物語世界を描いた作品とは言えないような気がします。
 そんなわけで、現在において「化ける」キツネというものを物語の素材として使った作品としては、かなり活気的なものではないでしょうか。

 さて、ちずるにしろクーにしろ、ふだんは隠しているにしても耳なり尻尾なりのパーツがキツネであることを強調するシーンがあります。昨今ではネコミミとかのブームがあって、動物耳が一種の萌えキャラの要素として扱われてたりしますが、真琴自身に関してはその素振り以外の外見的な面でキツネであることを想起させるような要素は存在しません。キツネとしての真琴は祐一の回想に出てくるだけの存在であって、物語上の真琴は終始、普通の人間の少女の姿しか見せません。また、真琴シナリオの最後で弱った真琴は鈴の音を残して消え去ってしまうだけで、キツネの姿に戻ってしまうわけでもありません。
 ま、原作の時点でネコミミのブームがあったりしたわけじゃないから、キャラクター要素としてキツネの外観を取り入れるより、完全な人間体としてドラマのリアリティを狙ったということでしょうが、それがかえって「化ける」キツネというものの存在の曖昧さを生み出してしまっているようです。

 実際問題として、真琴の場合は(保育園に働きに行ったりはしましたが)基本的には水瀬家の人間以外との接触は描かれていないわけだから、動物耳を持っていたってあまり物語的に支障があるようには思えません。
 では、他の作品でネコミミとかのキャラが多くなってるのは、逆に言えば作り手、あるいはそのキャラ自体の甘えの象徴みたいなものではないでしょうか。自分はこういう存在だとあらかじめ予防線を張っておくことである種の責任回避をしていると……
 それに対して、真琴には最初から逃げ道は存在していません。なぜなら自らの生命と記憶を引換に人間の姿を手に入れたのですから。これはある意味、キツネが化けるという話よりも人魚姫の物語に近いものかもしれません。
 遠い過去の日の祐一との思い出。捨てられた悲しみ。それらが相俟って祐一と再会したいという切実で切ない願いが、あるキツネの身に起こした夢か現実かわからない束の間の奇跡。それが「沢渡真琴」の物語だったのです。
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