Daily Bread 日々の御言葉

聖書の御言葉をあなたに

「聖書各駅停車」
創世記からはじめて黙示録までをゆっくり走ります。

今日の御言葉 20141216 イザヤ6:1~8 「イザヤの召命」

2014-12-16 | Weblog
12月16日(火)
現在のテーマ「ユダとエルサレムについての幻」
今日のテーマ「イザヤの召命」
■聖書 イザヤ6:1~8 (8)
■聖句 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」。(8)
■解説
「ウジヤ王の死んだ年」はBC740年頃と推定されます。その年、イザヤは召命を受けます。それは聖なる神との出会いの体験(1-4)と深い認罪の経験(5)からスタートします。青年であったイザヤは不義と腐敗に満ちていた当時の社会を見て、義憤に燃えていたと思います。しかし、聖なる神との出会いは、自分が神の側に立って、民を教え叱責し預言する立場ではなく、自分こそが裁きを受けて滅ぼされる存在であったことを自覚させます。そのような意識の中で「災いだ。わたしは滅ぼされる」(5)とイザヤは叫んだのです。ここでの「滅ぼされる」は「滅んでいる」が原意です。絶望的な感情の表現ではなく、その中に既にいる状態を示しています。イザヤは自分が罪人であること、霊的には既に死んでいることを自覚したのです。そこで「すると」(6)となります。イザヤが自分の状態を認めた瞬間、聖なる神は人との間に横たわる深い淵を越えて能動的に働きかけてくださるのです。神は不思議な業でイザヤを聖別します。エレミヤもエゼキエルもそのような体験をしています。そして今日の聖句となります。イザヤは主の召命の御声を聞きます。神はイザヤに応答をお求めになります。イザヤは慎重に考えて、召し出しの内容を詳しく聞いてから答えたのではありません。何の疑問もはさまず、すぐに「わたしがここにおります(ヒネニー)。わたしを遣わしてください」と応えたのです。アブラハムも(創22:1)、モーセも(出3:4)、神の呼びかけに全く同じ返事、ヒネニーと応えています。神からの召命と人の応答によって献身の生涯が始まります。イザヤの時代にイザヤへの呼びかけがあったように、今の時代の私たちにも神の呼びかけが続いています。
■祈り
主よ、あなたの御声を聞いて、それに応じる多くの献身者を起こしてください。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿