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今日の御言葉 20170712 エゼキエル18:1~32「個人の責任の原則」

2017-07-12 | Weblog
7月12日(水)
現在のテーマ「エルサレムへの裁きの預言」
今日のテーマ「個人の責任の原則」
■聖書 エゼキエル18:1~32 (32)
■聖句 「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。
■解説
18章は「先祖が酢いぶどうを食べれば/子孫の歯が浮く」(2)という、ことわざから展開されます。同じ表現がエレミヤ31:29にもあることから、当時広く知られてたことが分かります。それは、出エ20:5などをよりどころに生まれたもので「今自分たちが受けている苦難(捕囚)の原因と責任は自分たちより前の世代にある」というものです。このように考えることで、現状に対する責任を転嫁し、悔い改めて主の恵みを仰ぐことができなくなると同時に、「どうしようもないこと」と言った運命論的な悲観主義を生み出します。それが「不公平である」といった主への不満となって現れていました(25)。5-20節までは個人の行いによって正しい裁きが下されることが父・子・孫の姿によって描かれることで、前の世代の罪が次の世代に影響を及ぼすようなことはない、各人がそれぞれの行いによって裁かれのだということが強調されています。この事は、契約とエルサレムを拠り所とするイスラエルの共同体的視点から、個人の責任への転換を意味しています。21-32節は、ここまで述べてきたことを更に発展させたもので、「悪人であっても悔い改めるなら生きる。死ぬことはない」(21参)といった極めて新約的な光が差し込んでいます。同時に「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか」(23)との主の御心が吐露されています。この主の思いは、今日の聖句となって現れ、結論となっています。ここで述べられたことは新約の1テモテ2:4、2ペトロ3:9に受け継がれています。
■祈り
主よ、あなたは、一人も滅びることを望んではおられません。各自が真実の悔い改めに至ることを、そして正しい道を生きることを望んでおられます。

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