耄碌人の残日録

(ウォーンの残日録)改め、10年ぶりに再開。人生いよいよしまいかけ、耄碌人のデンジャラスな繰り言を聞いてくれぃ。

「希望は戦争」か。 秋葉原事件を思う。

2008-06-10 15:28:18 | Weblog
秋葉原で凄惨な事件が起こった。
彼の地は、私もかつては、出張のついでに電子部品などを買いに必ず訪れた街であり、特に事件現場はよく知っている場所である。日曜などは歩行者天国なるほどに人の出も多い。
秋葉原はワイドショーでは、「オタク」の街といわれているが、確かに最近、メイドカフェやフィギア系販売、同人誌などかつてなかったものが売られるようになってきたのではあるが、それでもまだやはり電気の街である。外国人なども非常に多い。

凄惨な現場である。7人も亡くなられた方がいるという。若い人もいる。誠に哀悼の念を禁じ得ない。
合掌。

犯人の非道さ、残虐さは許されもしないことであるが、ただ犯人を責めるだけでよいのか?
その犯行の裏側に透けて見える「社会のあり方」も問われるのではないか?

10日付けの京都新聞で「ルポライター鎌田慧」氏がコメントしていた。
社会派のルポライターであるだけに、今回の事件についても表層だけを見ていない。
その一部を紹介する。
「・・・・加藤容疑者はわたしと同じ青森出身で、地元の名門高校を出たが派遣労働という底辺で働いてきた。・・・しかし時代はもっと悪化し、夢も希望も見いださせない若者の下層化が、深刻な問題になっている。加藤容疑者は自動車工場に派遣されていたという。・・・派遣は季節工よりも労働条件が劣悪だ。必要な時にしか雇われない。そして食うのが精いっばいの不安定な生活を強いられる。収入が減ると家賃も払えない。追いたてられるような切迫感、どうにもならない焦燥感があったのではないか。
自動車製造は塗装工程などではロボツト化が進んだが、加藤容疑者が担当していたという検査工程は集中力を要する仕事で、精神的に疲れていた可能性も考えられる。自動車工場における「人間疎外」の実態は、わたしがいた当時とあまり変わらない。派遣労働者へのケアはさらに少なく、工場の同僚と酒を飲む憂さ晴らしさえできない。
犯行現場の秋葉原はIT産業の中心地で、加藤容疑者には羨望(せんぼう〕と反感があったと思う。秋葉原の事件は、労働者を憂き目に遭わせてきた「つけ」ではないか。永山(19歳連続射殺事件ー死刑執行※引用者補足)事件の時代は事件を社会問題と扱った。最近は事件をすべて個人の心の間題に帰結させる傾向があるが、社会構造を変えないと犯罪は起き続ける。
事件は労働者問題、格差問題を再考するよう、現代社会に突きつけりれた警告と考えたい。」・・・論評は以上である。

まさにそのとおりなのだろう。
同時に私は、「希望は戦争」という論文を発表した赤木君のことを思う。
加藤容疑者はまだ25歳という。その若さにもかかわらず、絶望感を抱かせる社会とは何なのであろう。
彼らにとって「平和な暮らし」など目の前にはありはしない。あるのは絶望である。平和で平凡な暮らしを享受している我々「市民」ー(正規職員)が憎い。そんな社会など壊れてしまえ!ということか。

こういう人たちに私たちはどう寄り添い、連帯できるか、そのことをホントウに考えなければならない時期に来ているのだと強く思う。

kameちゃん。ありがとう。ウォシュレットや哺乳瓶は、やはりそういう人たちの苦労があってのことなんやな。モノを作る仕事もとても気高いな。
プロジェクトXのお父さんたちはこういう風に日夜頑張っているんや。
しかし、君!もう少し早く寝なさい。

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