石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

「OPECは何処へ向かう」(連載第2回)

2007-12-05 | OPECの動向

(注)HP「中東と石油」の「OPECの部」で全文をご覧いただけます。

その2.過去最多の13カ国になったOPEC加盟国数

 今年1月からアンゴラがOPECの正式加盟国となり、また11月にリヤドで開催された第3回OPEC首脳会議で1993年に脱退したエクアドルの再加盟が了承された(正式承認は12月の臨時総会)。これによりOPEC加盟国は13カ国と過去最多となったのである。(上図参照)

  OPECはサウジアラビア、イラン、イラク、クウェイト及びベネズエラの5カ国によって1960年9月に結成された。当時原油の価格決定権はエクソン(現エクソン・モービル)、ロイヤル・ダッチ・シェルなど「セブン・シスターズ」あるいは「メジャーズ」と呼ばれる国際石油会社が握っており、産油国自身は消費国との価格交渉に全く関与できなかった。また価格もバレル当り約2ドルに抑えられ産油国の石油収入はごくわずかでしかなかった。例えば当時も今も世界最大の産油国であるサウジアラビアは、1962年に160万B/Dの原油を生産していたが、同年の石油輸出額は45億ドルに過ぎなかった(SAMA及びARAMCOデータによる)。

  1959年にメジャーズが中東原油の価格を値下げしたため、ついに中東産油4カ国にベネズエラを加えた5カ国が立ち上がりOPECを結成したのである。そして翌61年にカタル、62年にインドネシア及びリビア、さらに63年にエクアドルが加わり加盟国数は9カ国となった。この間、OPEC総会では利権料の経費化、課税基準を公示価格とする決議などを通じ産油国の取り分を高める実績を積み重ねた。

  1962年に国連で「天然資源に対する恒久主権の権利」の宣言が採択されたことにより、資源を自国の管理下に置こうとする動きが産油国の間に広まった。OPEC諸国では、「事業参加(participation)型」と呼ばれるサウジアラビアなど穏健派と「完全国有化」を目指すリビアのような急進派、あるいはインドネシアのように「PS契約(production sharing contract、生産物分与契約)方式」などいろいろな手段が講じられたが、いずれにしても産油国の取り分を高める方向は同じであった。

  このような動きの中でUAE、アルジェリア、ナイジェリアがそれぞれ1967年、69年及び71年にOPECに加盟、加盟国数は12ヶ国となった。そして1973年の第一次オイルショック、1979年の第二次オイルショックを経て1980年代はOPECの市場支配力が確立した時代であった。OPEC12カ国体制は1993年にエクアドルが脱退するまで続いた。

  1990年代後半には石油価格が暴落し、98年には10ドル台にまで落ち込みOPECを含む世界の産油国の石油収入は激減した。このためOPECは21世紀初頭に生産枠を大幅に削減し価格維持を図った。そして世界的な景気回復により石油の需要が急増したこともあり、価格は2003年以降の4年間に4倍近く値上がりし、現在は90ドル前後に達している(前章「どこまで上がる原油価格」参照)。

  現在、ピーク・オイル論に代表されるような石油資源の枯渇が囁かれるようになり、サウジアラビアなど余剰生産余力のあるOPECに対する熱い期待感が生まれつつある。このような背景のもと、今年に入ってアンゴラが新規加盟し、またエクアドルが再加盟したことによりOPECの加盟国数は過去最多の13カ国になったのである。

 (第2回完)

 (これまでの内容)

その1.どこまで上がる原油価格

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前田 高行 〒183-0027 東京都府中市本町2-31-13-601

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1 コメント

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めっちゃかわいい!! (ともてぃ)
2007-12-06 08:59:58
ここのゆうかって子まぢでかわいい!!オレ死ぬまでこんな子とできると思ってなかった
こんな事もあるんだなhttp://inomate.net/dlm/230
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