石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

ニュースピックアップ:世界のメディアから(7月13日)

2016-07-13 | 今日のニュース

・原油価格反発:Brent 4.4%up $48.28, WTI 4.2%up $46.62

・来年の石油需要は現生産量を上回る:OPEC月例報告

・サウジ・エネルギー相、アラムコのIPOは慎重に検討

・サウジ・エネルギー相:石油投資維持には最低でも油価50ドルが必要

 

 

 

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見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(28)

2016-07-13 | 中東諸国の動向
第3章:アラーの恵みー石油ブームの到来
 
6.第四次中東戦争と第一次オイルショック(2) 石油を武器に!
 10月6日の開戦を控えた8月23日、エジプトのサダト大統領は極秘裏にサウジアラビアのリヤドを訪問、ファイサル国王にイスラエル攻撃に参加するよう要請した。このとき単なる派兵だけではない、戦局を左右する重要な戦略が編み出された。それが石油戦略であった。当時既に石油は「産業の米」として世界経済に欠かせないエネルギー資源となっていた。世界の石油は未だセブン・シスターズを筆頭とする欧米の石油企業に牛耳られていたが、OPEC(石油輸出国機構)を結成した産油国は侮りがたい力を発揮し始めていた。
 
 イスラームの守護者を自認するサウジアラビアにとって、パレスチナ難民を再び祖国に帰還させ、さらにマッカ、マディナに次ぐ第三の聖地であるエルサレムをイスラエルから取り戻すことはサウド家に課せられた使命である。それは第二次大戦直後の1945年、ファイサルの父アブドルアジズ初代国王が米国大統領ルーズベルトに語った言葉を守ることでもあった。スエズ運河のビター湖上で会談したルーズベルトはアブドルアジズにユダヤ人とアラブ人の紛争の仲介を求めた。この時アブドルアジズはユダヤ人のパレスチナへの移住を止める以外に解決の方法はないとはっきり断言したのである。しかしその後の三度にわたる中東戦争の結果、パレスチナ難民の帰還という希望は遠のく一方であった。
 
 ファイサルはサウジアラビアが手にした石油という武器で永年の悲願を実現するチャンスがめぐってきたと確信した。ファイサルは腹心のヤマニ石油大臣を他の産油国に派遣して同調を求めた。クウェイト、UAEなど湾岸諸国は言うに及ばず、リビア、アルジェリアなどの北アフリカ諸国およびイラク、さらにはイランも石油戦略に参加することを約束した。第四次中東戦争が勃発し石油戦略が発動されると、この武器が想像をはるかに超える威力を発揮することが証明されるのである。
 
 1973年10月6日、第四次中東戦争はエジプトとシリアの奇襲攻撃で始まり、第三次中東戦争の結果スエズ運河を挟んで対峙する形になっていたエジプト軍は運河を渡河、シナイ半島に駐留するイスラエル軍を猛攻した。一方、ゴラン高原ではシリア軍がイスラエル軍の防衛線を突破、イスラエル軍はシナイ半島とゴラン高原の両面作戦で苦戦を強いられ、この時点では戦況はサダトの思惑通りであった。イスラエルは究極の作戦として核兵器の使用も検討したといわれる。
 
 イスラエルは今も核兵器の有無について肯定も否定もしないが、同国が核兵器を隠し持っていることは世界周知の事実である。そしてイスラエルは自国の生存が危機に瀕した場合、核兵器の使用を躊躇しないであろうことを世界中の誰も疑問視していない。イスラエルは勝つためであれば手段を選ばない。米国の強い支援を受けているイスラエルの場合は特にそうであろう。「米国も使ったではないか」或いは「核兵器の使用で戦争を早期に集結させることができた」と言う言い逃れが使えるのである。一般論として言えば敗戦国と異なり、戦勝国が戦争中に行った非人道的な作戦は後々問題にされることが少ない。イスラエルはそのことを知悉している。
 
 しかし幸いにも究極兵器の出番はなかった。イスラエル軍がすぐに体勢を立て直し反撃に出た結果、3日目の10月8日には戦闘は膠着状態に陥った。サダトの危惧した事態が思ったよりも早く到来したのである。サダトは開戦前から短期決戦で自陣営が有利なうちに第三国の仲介により停戦に持ち込むことを狙っていたが、彼の思惑が狂い始めた。
 
 戦況の推移を注視していたファイサル・サウジアラビア国王の下知を受けてヤマニ石油相が動いた。10月8日、OPECは欧米石油会社にテヘラン協定の改訂を申し入れ、それが拒否されると16日にはGCC6か国はテヘラン協定を破棄し、原油価格を一方的に70%引き上げると宣言した(クウェイト宣言)。産油国が価格の決定権を欧米の石油企業から奪い取った瞬間である。これ以降価格の支配権は産油国の手に移り、OPECが世界のエネルギーの覇者となる。
 
 産油国の猛威はさらに続く。17日にはOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が米国およびイスラエルの支持国に対して石油の供給を毎月5%ずつ段階的に削減すると世界に通告した。石油戦略の発動である。世界中の国々はアラブ産油国の予想もしなかった行動に右往左往した。中でも石油をすべて輸入に頼り、しかもその大半をアラブ産油国に依存する日本の衝撃は大きかった。
 
 その間、戦争はイスラエル優位に傾きつつあった。サダトの懸念が現実になり、彼は「時の氏神」が出てくることを期待しないわけにはいかなかった。22日に国連で停戦決議が採択され、25日に停戦監視の国連軍が編成されるに及んで第四次中東戦争はようやく終結した。
 
 産油国の石油戦略はその後もしばらく続いた。いわゆる「オイル・ショック」である。日本ではスーパーマーケットの棚からトイレットペーパーが消える騒ぎが発生した。
 
(続く)
 
本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。
 荒葉一也
 E-mail; areha_kazuya@jcom.home.ne.jp
 Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642
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