日々思うこと

- M家の情報発信 -

短歌59,60

2008-05-20 14:35:12 | Weblog
《短歌59≫

「ホームティーチング ネクタイ締めて 証する 福音語る 模範となれり」

 今日は御霊の賜物ということでした。御霊の賜物で自分には何があるか挙げてほしいということでした。どなたの発言もなかったので、私が最初に発言しました。「一昨日ホームティーチングしました。同僚から良いものを得ているので短歌のようなものを作ってみたいと思っていました。短歌を作るのは時間がかかってなかなかできないです。今朝、電車の中で袋井駅の辺りを通過したとき、何か詠めないかと短歌づくりに取り組みました。そうしたところいとも簡単に一つの歌が浮かびました。 これが同僚を歌った短歌です。


≪短歌60≫

『草かれば  見渡す限り  美しく  月に一度の  自治会奉仕』
『草刈りに  出てきた子ども  頼もしい  草の臭いを 忘ることなし』
『自治会の  草刈りをする 子どもたち 草の臭いを  忘ることなし』

5月18日(日)8:00~10:00に自治会主催の公園の草刈がありました。今年は役員でもあるので参加しました。途中から男女の小学生がそれぞれ1名=計2名が参加して、芝刈り機で刈った草を集めていました。誠にさわやかでありほほえましい光景だったのが印象に残りました。彼らは長い人生の中でいつかこの光景を思い出し、プラスになるだろうと想像しました。

ラスベガス旅行

2008-05-20 08:54:28 | Weblog

  ラスベガスツアーありがとうございました。何から何までお世話を頂き感謝いたします。kさん、p鈴木さん、rさん、kbさん本当に良く面倒を見て頂きました。何も心配する必要がないほど快適な旅でした。kさんには16日娘の希望で市内の大学を訪れた際のタクシーの件で、p鈴木さんは行きのラスベガス空港で娘を親身になって探して下さったこと、rさんはバスでの市内案内がとても詳しいものでした。ラスベガスの歴史について年代と月日がすらすらと出てきました。如何にラスベガスが気に入っているかその様子が伝わってくるように思いました。

                 成田を飛び立つ前のJAL 機

 

 最初の日の会社見学ではセキュリティーの厳格さに安心感を抱きました。見学を終えて「マキノ」で昼食したときの日本食バイキングは最高でした。胃袋が2つか3つあればと思うほど食べ物がおいしくてたまりませんでした。良いところを紹介して頂きました。その後、ショッピングセンターで数点の品を楽しく買うことができました。 最後のお別れ食事会では社員の山さん(日本女性)がお隣の席でした。彼女にこのように聞かれました。(声を掛けて下さりありがとうございました。)「ラスベガスはどうでしたか?」即「万博を大きくした会場のようです。」と答えました。ニューヨークの橋があり、自由の女神があり、エジプトがあり、宝島があり、エッフェル塔や凱旋門があるなど全て見て歩きたいような気になりました。

  またこの旅行を楽しくかつ有意義にして下さったのは同行した仲間の皆さんでした。16日朝、帰途に向かうラスベガス空港で娘に別れを告げて持ち物検査を無事通過して待合いロビーに向かうとき、Yさんは持ち物検査を終えてトイレに入って別の出口から出たところ、そこは持ち物検査の室外だったそうです。中に入ろうとすると検査官に注意され、中に入ることができず再び持ち物検査をすることになったそうです。そのYさんが娘が我々一行の後ろ姿をじーっと見送っている様子が見えたそうです。Yさんは「娘さんがズーットお父さんから目を離さず見送っていたよ!」「親子の絆というのは強いんだね!」とおっしゃっていました。Yさんが私に代わって娘の様子を見る役割を果たしてくれたのかなと今思っています。

  こんなことがありました。私は12日の午後成田空港の集合時間の約1時間半前に着きました。Sカウンター脇の椅子には数人の旅行客が座っていましたが、座ったかと思うと直ぐ立ち上がってまたどこかへ行く旅行客が殆どでした。程よい時間を待ちましたが一向に人数が増えなかったので心配になり、この方は比較的長く席に着

                  ホテル群の一つ「パリス」

 いているので、もしかしたらMツアーの方ではないかと思い、勇気を出して声をかけることにしました。「すみません。Mツアーの方ですか?」とお尋ねすると「そうです。」と返事がありました。それを聞いて安心しました。後に分かったことですがYさんだったのです。また彼とは旅行中の幾つかのオプションツアーでも偶然一緒になり、よく声を掛け旅を楽しませて下さりありがたく思っています。彼は私たちにとって特別な方でした。  ラスベガスでの2日目のことです。13日21時のイルミネーションツアーに参加しました。20時30分ごろアーケードのところに着きました。トイレに行きたいのでバスガイドさんにトイレはどこですか?と聞くと向こうに50mくらい行ったところの左です。ところが探しても見つかりません。近くに警察がいたので娘が聞いてくれて直ぐ左側にありました。準備も整いいよいよショーが始まると待っていたところ、近くからサックスの音とともに歌声が聞こえてきました。両脇にスピーカーを置いて伴奏を流し、サックスを演奏する年配の男性がいました。サックスはテナーサックス、アルトサックス、ソプラノサックスの3本を置き、それを使い分けながら歌を交えて見事な演奏をするのです。周りには人が集まってきて手拍子を取ったり、口ずさんだり、リズムに合わせ体を動かしながら聞いている人や何かを話しかける人もいました。「素晴らしい!もっと演奏してくれ!その通りだ!」などと言っているように聞こえました。演奏している曲はリズムとメロディーが私に合っていて思わず引き込まれてしまいました。

  演奏している男性はサックスが生涯の友人のように、自分の体の一部のように自由に操っているのではないかと思うほどでした。周りの聴衆をここまで引き付けるものは何なのだろうか。それはサックスによって心が癒され、人を幸せにしているのではないだろうか、と思わずにはいられませんでした。世の中にはいろいろな職業がありますが、彼はサックスをその一つの職業として自分のものにしているのではないかと感じたのです。聴衆と共に心を調和させていることがそれを証明しているようでした。そしてどのような職業でもよい、打ち込めるものを持つべきだと教えているようにも思えました。彼は長い人類の歴史の中に刻み込まれるような立派な仕事をしているのではないかと感じたのです。素晴らしい演奏家と出会ったことを感謝しています。

                  巧みなサックス演奏者  

   翌14日はグランドキャニオンを見学しました。スケールの大きさに胸が一杯になりました。その地層は十数種類の地層からなっているとキャニオンの通訳ガイドの方に聞きました。キャニオンの歴史は18億4千万年にもなるそうです。(小冊子LASVEGAS GUIDEMAP P.83より)その壮大な美しさは莫大な長い時間を経て小さな砂粒が堆積し浸食されてあの美しい層を織りなしているのです。その様子は私たち人間にもいえます。自分の責務を成し遂げる人たちの幾人もが時間を経て積み重ねられ、膨大な人類の歴史をつくっていくのに似ていると感じたのです。あの輝かしいサックス奏者はラスベガスには欠かせない希少な一人に数えられているように思えたのです。演奏を終えると直ぐにイルミネーションショーが雷鳴と共に始まりました。

  私たちとYさんとKさんがグランドキャニオンのツアーで一緒になりました。サウスリムというところで見学の疲れを癒すためそれぞれアイスクリームを買って休憩することにしました。英語で注文しなければなりません。チョコレートのアイスを注文したのが言葉の食い違いからいつの間にかバニラのダブルになってしまいました。娘はチョコレートがバニラになったの?とけげんそうな顔でした。実は英語が通じなかったからそうなったのです!

  一方Yさんは日本語でアイスクリームを店員に一生懸命頼んで目的のアイスクリームを買って食べていました。店員さんは仕切りにニタニタおかしなお客さんだなという身振りでした。それを見て娘はYさんって度胸がいいね!と言っていました。Yさんを見ていて日本語が通じないところでも堂々と日本語で話せばよいのだと思いました。彼を尊敬しました。何故ならパスポートを取る時にも、ビザを取る時にも、日本から出国するときにも、アメリカに入国するときにも「あなたは英語が話せますか。」と一度も聞いたことはありません。アメリカは日本人の入国を許可したのだから、外国人が言葉で困らないようにしなければならないと思いますよ。キャニオンのアイスクリーム売場の店員は外国の観光客を受け入れたのだから、買う人の国の言葉でも売れるようにしていなくてはならないはずですね。(ジョークですよ!)いろいろ考えさせられる旅行でした。


短歌54,55,56,57,58

2008-05-05 07:12:34 | Weblog
「堆肥から  新たな土を  作ろうと  牛との出会い  昔を偲ぶ」

牛フンの堆肥を譲ってくれるところがあるということで近くの農場を訪ねに行った。そこにはホルスタイン牛など100頭を飼っていた。牛乳も採っていた。おとなしい牛の顔に触ってみた。幼い頃家で牛を飼っていたので昔のことが思い出された。子牛が脱脂乳を飲んで育てるのが通例だった。脱脂乳に小さな自分の手を口に入れて誘導し子牛に飲ませた。


「土づくり  育てる知恵を  分かち合う  みんなイキイキ  市民農園」

 同じ畑を借りている一人の方はよく手入れをする。声をかけたら牛フンの堆肥を使えばよいということを聞いた。私たちも何かよい情報があれば提供したい。 


「行き帰り  小中生と  出会うとき  笑顔を交わし  元気いただく」

 4月24日、新しい畑「市民農園」を家の近くの雄踏町に借りることができた。自転車で15分で着く。その道中、入野小・中学校の通学生と出会う。彼らの顔を見ると元気をもらう。挨拶すると会釈する。


「畑にて  出会った家族  微笑みて  世にも美し  家族の絆」

 市民農園で時々、小さな子どもを連れて畑いじりをする姿を見かける。それがとてもほほえましい。明るい家庭を思わせてくれる。気持ちが和む瞬間である。


「ヨシキリの  さえずる声に  見送られ  浜松祭り  今年も終わる」

 桜の花が散り、ツツジの花が咲く、散り始めたころにヨシキリという小鳥がかん高い声でさえずり、空に響き渡る。そのようなときに浜松祭りは終わる。
 浜松祭りは5月の連休を中心に行われる。日本で5本の指に入るほどの大きな春祭りである。
 今年は町内自治会の部長を仰せつかった。屋台を安全に引き回すために世話役や交通係を割り当てるとき、皆いやな顔をせず引き受けて下さった。そのような町民がいらっしゃるのでお祭りが成功する。お祭りは小さなことを確実に行う人々によって成功する。そして地域の絆を強める役割を果たす。
 浜松祭りの準備は3月頃からラッパや笛太鼓の練習から始まる。5月の連休が終わると同時に終えていく。遠くからヨシキリが空をツンザクかん高い声でさえずる。ヨシキリに見送られるように、いろいろな教訓を残して終えていく。それぞれの役割を引き受けて下さった方は去ることながら、日夜を問わず準備やお世話に労をいとわず働いて下さった方々に感謝したい。小鳥や草花、過ぎゆく季節の恵みに感謝したい。来年はどのようなお祭りになるのだろうか。