マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン45年。

カストロの死

2016-12-06 14:00:00 | スペイン日記

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 日本ではニュースではなかった、キューバの独裁者・フィデル・カストロ(Fidel Castro)の死ですが、ここスペインでは新聞、テレビのトップニュースでした。ヒスパニック国の盟主・スペインから独立した中南米の国々はアメリカ帝国資本主義の餌食となりました。カリブ海の小さい島・キューバもそうでした(横長なので東から西まで1000キロメートル)。


 サメに食われなければフロリダ半島まで泳いで行ける距離なので、アメリカ人の恰好のリゾートです。良質のサトウキビと香り豊かなタバコの葉が生い茂るキューバ島はエメラルドグリーンのカリブ海に浮かぶ“青春の島”にアメリカ人には映ったようです。そりゃ、臭い牛のケツばっかり追ってる荒野のカウボーイには夢の土地でしょう。


 キューバの独裁者・バティスタ(Batista)をそそのかしてアメリカはキューバの経済を支配しました。それを覆したのがカストロと“チェ”ゲバラ(“CheGuevara)の1959年のキューバ革命でした。革命政府はアメリカ企業もアメリカが整えたインフラも全てを国有化し、共産主義国家にしました。反撃に出たアメリカはキューバ経済制裁をしましたが、それから50年以上もカストロ独裁政治(Castrismo)は続いています。90歳でフィデル・カストロは死にましたが、10年前から弟のラウル・カストロ(Raul Castro)が国家評議会議長を引き継ぎ20182月までカストロ独裁政治を続けます。


 ところで話は60年ほど前に戻ります。1960年代のスペインはまだフランコの独裁政権でした。フランコの出身地はスペイン北西(ポルトガルの上)のガリシア州(Galicia)です。カストロの父親もそのガリシア出身で、17歳でキューバへ移民をしました。どうも、このガリシア州は独裁者を生む土地柄のようですが、それは祖先・ケルト民族の血でしょうか?


 独裁者ではありませんが現首相・ラホイもガリシア人で、その党・国民党(PP)もガリシア生まれです。アメリカのキューバ経済制裁に従わなかったのがフランコでした。キューバへ送ったスペインの貨物船はカリブ海で米海軍から砲撃を受けましたが彼はへこたれませんでした。フランコは反共産主義者でしたが独裁者同志には相通じるところがあるのでしょうか、カストロはフランコが死んだ時に3日間の喪に服しました。キューバと通商をしながらもフランコ政府はアメリカとも友好を続け米軍基地はスペインに在留しました。また、反カストロ派のキューバ亡命者も大量に受け入れました。


 この二重人格者にも思えるようなスペインの態度は旧盟主としての責任よりもカトリックの人道主義でした。ところが、スペインが欧州連合(EU)に加盟してからは以前のようなキューバ関係はできなくなりました。欧州連合の立場はアメリカのキューバ経済制裁に追従なのでカストロの反感を買いました。でも、カストロはスペインを訪れ父親の故郷・ガリシアも行き、スペイン国王とも歴代の首相とも友好を保ちハバナ葉巻を贈り続けました。


 マドリードのキューバ大使館のある通りの名前は“ラ・ハバナ通り”です(Paseo de La Habana)。移民の子とは言え、カストロは裕福な家庭で育ちました。父親はキューバで一旗揚げ、大農場を経営しました。あとで一緒に革命を起こす、アルゼンチン人の“チェ”も裕福な家庭の子でした。のちに全中南米に波及する人民革命の走りとなったキューバ革命を起こした二人ですが、金持ちのボンボンだったのです。


 カストロはハッタリ男でした。少数の革命軍をあたかも大軍隊かのように見せるためにマスコミとテレビを利用しました。それをまともに信じた民衆は革命軍に加わりました。まだスマホもない50年代末のことです。途方もない数に膨れ上がり、加わらない民衆を容赦なく殺すカストロの残忍さに怯えあがった当時の独裁者・バティスタはメキシコへ亡命をしました。この時に一万5千のキューバ人家族が首都・ラ・ハバナの港からアメリカのフロリダへ逃げ出しました。


 こうしてキューバ革命は成功をしましたがマイアミには亡命者たちの街“リトル・ハバナ”が生まれ、“二つのキューバ”の時代が始まりました。ラ・ハバナ大学では弁護士になるために法律を学んだカストロですが、政治には素人です。彼が選んだ国策は、マルクス・レーニン主義でした。カストロはラッキー男でした。60年代のアメリカの力は「イケイケ」だったので、カリブ海を封鎖してキューバを経済閉鎖すれば数年で根を上げると思いました。スペインからの援助があると言っても必要最低限の程度だったので、日用品も石油も不足し始めました。


 そんな時に現れたのがアメリカとの冷戦中だったソビエト連邦です。フロリダ半島まで泳いでも行ける距離のキューバに核ミサイルを置けば、アメリカ帝国は“びびり”ます。アメリカの大陸弾道弾(古いですが、胴体の太い核ミサイルです)がモスクワに着く前にワシントンには核爆弾が落ちます。ソビエトの核ミサイル設置の見返りが石油の無償補給でした。これでカストロは石油の心配は無くなりました。それどころか、この“タダ油”を中南米の国々へも回して人民革命の火種を広げて行きました。


 ソビエト核ミサイル問題は当時のケネディ大統領が収めますが、優柔不断の彼は米海軍のキューバ上陸作戦に失敗をします。それによってソ連軍がキューバに常駐を始めますが、どうもロシア人とキューバ人はお互いに馴染まなかったようです。例ですが、キューバにはアメリカ時代の丸い大型の40年代50年代のアメ車が残っています。キューバ人はそれをスペイン語で“アルメンドロネス(Almendrones/アーモンド)”と呼んで大事に手入れをしました。今も現役のタクシーとしてラ・ハバナの街を流しています。ソビエト時代の車はイタリア・フィアット社製の箱型小型車を“共産主義風”にアレンジした味も素っ気もない代物でした。キューバ人の好みに合わなかったのか修理もされませんでした。


 しかし、そのソビエト連邦が崩壊してしまうと、ロシアは石油の供給をやめます。再び貧しくなったカストロ・キューバですが、そこに救いの手を伸ばしたのがベネズエラのチャベス大統領(Chavez)です。チャベスはカストロを“わが司令官”と呼ぶほどの信奉者です。中南米トップと言われるキューバ医療と医者をベネズエラへ送る見返りが、石油の無料提供でした。再び、“アーモンド車”は走り始めました。この経緯でチャベスはガンの末期治療をキューバで受けたのです。


 ところが、世界的な原油価格暴落が起こりベネズエラ経済は崩壊し、ハイパーインフレになりました(ブログ・コンドームよ、お前もか・・・)。ベネズエラ国民の方が食糧危機となり、チャベスは死に、キューバは再び貧困になりました。でもカストロはラッキー男です、今度はオバマ大統領が現れました。アメリカとは絶交状態でしたが2015年末にオバマ大統領が経済制裁の緩和へと向けた友好外交を打ち出しました。次期大統領候補だったヒラリークリントンもその路線で進む予定でした。ここで番狂わせが起き、次期アメリカ大統領にトランプがなりました。カストロは死んでキューバの“ツキ”も消えました。


 カストロはモテ男でした。話は戻りますが、キューバ上陸に失敗したアメリカ政府はC.I.A.にカストロ暗殺を命令します。ギネスブックによると600回以上の暗殺計画が実行されたようですが強運のカストロは生き延びました。その中には“マタハリ(女刺客)”もいましたが彼女がカストロに惚れてしまい、失敗に終わりました。それくらいカストロはモテ男だったので、正妻の他にも愛人が居ました。カストロ自身は自分の子供は11人と思っていたのに12人目が現れたときは“本当か?”と驚きました。


 その唯一の正妻との間には息子一人だけですが、そんなカストロに愛層をつかした妻もさすが“革命家の妻”でした。彼女がカストロと離婚をして再婚をした相手は反カストロ派、政敵の弁護士でした。彼女の名はミルタ(Mirta)彼はミリオ(Milio)でロメオとジュリエットのような話ですが、マドリードへ逃げました。ミルタはまだマドリードに住んでいて、今年88歳です。


 おっと、話はカストロでした。逸話には事欠かないカストロですが、どうも革命家に求められるのは政治的野心だけではなく逸話を生み出す人間的魅力も不可欠のようです。数多くの暗殺計画にさらされていたので私生活は国家機密だったカストロの生涯ですが、これからは沢山の“あばき本”が出てきそうです。


 マドリードの中心地、僕が行く“飲み屋街”の近くにアテネオと呼ばれる文化人サークルの会館があります。前は僕も会員だったので、そこのバルでも飲んでいました。キューバ人の文化亡命者も集まっていました。彼らは反カストロ派なので“話し半分”のところがありますが彼らから聞いた話です。カストロ兄弟の反対派の虐殺は酷かったそうです。弟のラウルがあまりにも人を殺すので兄のフィデルが、そんなに殺したらキューバを復興する国民が足りなくなる、と叱ったそうです。


 そのフィデルが晩年になって手本としようとしたのがヴェトナム式民主化でした。弟のラウルがどこまでその路線を進めるのか、が明日へのキューバのカギです。医療と教育が無料のキューバですが、今の給料は月に25ユーロ(約3千円)です。う~ん、甘い香りのハバナ葉巻がタダでも毎日ワインはちょっと無理ですね。

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