goo

リンダの家

今回で、このシリーズも最終回を迎える。最後に、私の愛すべき友人、情熱的な活動家、そして、風変わりなアーティスト、リンダのことを書きたいと思う。

リンダは現在、グランド・ジャンクションでアート・スペースという組織を主催して、数多のイベントを企画しては、地域のアートの振興に情熱を注いでいる。そういった社会的活動に多忙を極める彼女だが、いったん人里離れた家に帰ると、そこにはリンダの密かなるプロジェクトが待っている。

私がリンダと知り合ったのは、3年前の秋だった。出会って間もない頃から彼女はよく言っていた。「私のアートは、かれこれ20年近く作り続けている私の家よ。他のどんな家とも違っているの...」聞けば聞くほど、その家がガウディーのサクラダファミリアみたいに思えてくる。「へえ、今度、遊びに行きたいなぁ。」と私。「だめだめ、秘密。その家は誰にも見せないの。」と、なんだか思わせぶりだった。

この夏、私がグランド・ジャンクションを去ることになったとき、そのことを知らせたわけでもなかったが、リンダは、ふと思いついたように例の家に招待すると言い出した。

コロラド・モニュメントを通ってたどり着いたその家は、潅木の広がる乾いた大地を背景に不思議な姿で建っていた。シロアリの巣を思わせる有機的な形をしていて、白い風車が回っている。サクラダファミリアと大きく違うところは、彼女がほとんど一人でそれを作っていること、そして何よりも、資源循環を利用したほぼ完璧に近い自給自足が、その家とまわりの庭で営まれているということだ。

その家は、効率よく日光を取り込むために取り付けられた特注の大きな窓と屋根を支える梁の他は、ほとんど廃物をうまく利用してできている。すべての壁は、古タイヤや空き缶などを積み上げ、スタッコとセメントで固めてできているし、空き瓶を利用してステンドグラスのようにあつらえた小窓もなかなかかわいい。屋根は雨水がすべて、貯水タンクに集められるように設計してあり、飲み水として使えるよう、ろ過するための装置も整っている。大きなソーラーパネルもこの屋根の一画から突き出している。

庭に建てられた温室で、野菜やハーブが作られているほか、家の中にも大きな花壇がはり巡らされていて、観葉植物のほかにプチトマトやハーブなど、うっそうと茂っている。家で出た生ごみはすべて肥料となり、それ以外のごみは家作りの建材となる。庭の木々を剪定した枝は、キャンプファイアーや暖炉に活用される。

世界中の人々が、そんなふうに無駄のない自然にやさしい暮らし方ができればどんなに素敵だろう。そうすれば次世代を担う子供たちにとっても、住みやすい世界が残せるだろう。ユートピアとはそういった世界のことをいうのかもしれない。

やっぱりアメリカは広い。いろんなアイデアや理想を持った人々があちらこちらにいて、それを実践していく底力もある。まだまだこの国はおもしろい。これからも素敵な出会いがあることを願って。

(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第10話 最終回 YIFA MATE 2009年9月号 )
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アメリカ人の信じるもの

 アメリカの小中高では進化論を教えない学校が多いという。なぜなら、キリスト教にある「神が人間を創造した」という考えに矛盾するからだそうだ。少なくとも、私たちが住むコロラドの田舎町、グランドジャンクションでは、進化論を大学などで学んで知っていはいても、信じたくない、受け入れられない、という人々が予想以上にいるようだ。
 そういった人々の信条は、仏教や神道、あるいはキリスト教でも、その教えの中に通じるものがあれば、あるいは状況に応じて、また便宜上の理由で、ある程度受け入れることができる日本人の柔軟で朗らかともいえる宗教観とは、大きな隔たりがあると言わなければならない。
 一神教であるキリスト教の信者にとって、同時に他の宗教も信じることは、多数の夫や妻を持つのと同様、不道徳なことであるらしい。(キリスト教のなかでもモルモン教では一夫多妻を認めているので、この例えは適当ではないけれど。)そういった背徳者は地獄に落ちるのだと言ってはばからない人々が、少なからず存在する。同じ一神教であるイスラム教の国々と激しく対立するのは無理もない話しかもしれない。
 一方、キリスト教の信者にとって、いつでも宗教が、あるいは属する教会が、自分たちを守ってくれるという安心感があるという。たとえば知人の大学生が、両親ともに同じ時期に亡くして心配していたことがある。その少し後、意外に元気そうにしている彼と出会ったとき、彼はこんなことを言っていた。教会とそこに属する社会が、彼とその兄弟を、精神的にも実質的にも救ってくれたのだと。
 自由で、いろんな価値観が共存するといったアメリカのイメージもあるが、それは、一部の都市部における話にすぎない。ひとことでアメリカといっても、海岸沿いと内陸部、都市部と田舎、あるいは西と東など、地域によって人々の生活スタイルや信条はずいぶんと違う。
 もちろん個人差はあるが、一般的に、海岸沿いの都市部には異文化に寛容な人々が多い。特に西海岸では、東洋文化もかなり浸透していて、禅などの精神世界など、多くの人々の価値観に影響を与えている。一方、内陸部に行くと、キリスト教文化が根強く、他の宗教や文化を受け入れられないという人々が多い。また、同じキリスト教であっても数え切れないほどの宗派があり、お互いに対立していたりする。そして、アメリカの大部分を占める内陸部、特に中西部では、未だ開拓時代の剛健で頑固な精神を忘れない人々が、その価値観を大切に守り続けている。
 この夏、サンフランシスコからグランド・ジャンクションに越してきて3年が経つ。二つの対照的な街に暮らし、そこに住むさまざまな人々との出会いは、多くのことを教えてくれたと思う。そしてこの夏、この街を去り、再びサンフランシスコに戻ることになった。日本が近くなったようでほっとするものの、この国を支える多くのアメリカ人の潜在的信条を垣間見ることができたのは、この街グランド・ジャンクションだったかと思う。

(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第9話 YIFA MATE 2009年7月号 )
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

さくやこのはな

長い冬がやっと終わり、やっと春、いやもう初夏?みたいな、暑いくらいの晴天が続き始めた。

庭のある家に憧れて一昨年から住み始めたこの家、前の持ち主が造園家で、上手に設計して行ってくれたもので、さくらにつづいて黄色いアイリスが咲き始めたかと思ったら、チューリップ、それからまた違った種類のアイリスにライラックと次々に咲いていく。一昨日あたりから藤も咲き始めた。
もうすぐ、バラ、それから名前が思い出せないけれど、甘い蜜のせいかハチドリが集まってくる花も咲き始めるのだろうか。(ほんとの蜂もやってくるのが玉に瑕だが。)

冬の間、どの木も枯れて殺伐としており、こんな枯れた枝にどうやって花が咲くんだろうか?温かくなってもこのまま枯れたままだったらどうしようかと結構心配していたけれど、枯れた枝にも、ちゃんと芽が出て緑の茎が伸び、そこからやがてつぼみが出て、大きく花開いていく。そんな再生を目の当たりにすると心が弾む。

メサカレッジの教え子たちの卒業式も明日になる。新しい息吹を世に送り出す仕事に関われたこと、幸せなことだなと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

バイリンガル教育

海外で子育てをすれば、子供は自然にバイリンガルになると思う人はきっと多いのではないかと思う。私も昔はそう思い込んでいた。けれど、サンフランシスコで子供を産み、多くの人々から子育てのアドバイスをいただくうちに「ただ親が外国にいながら母国語を使っているというだけでは、子供をバイリンガルに育てることはできない。」という意外な事実を知った。

例えば、アメリカに住んでいる日本人の子供の場合、小さいうちは親に習って日本語を話すけれど、学校に行き始めると、だんだん英語が主流になり、やがて日本語を忘れてしまうそうだ。「日本語以外では受け答えをしない」といったような一貫した日本語教育をしない限り、子供が大きくなった頃には、他人が話す日本語の内容はある程度把握することはできても、自分から日本語で話したり、読み書きすることはできなくなるという。

ずっとアメリカに住みつづけるのであれば、それでもいいのかもしれないが、自分の娘が日本の言葉や文化を知らないまま、アメリカ人になってしまうとすれば、それは寂しいことだと思う。そう思って、我が家では、(外にいても周りに英語を話す人がいないときは)いつでも日本語を話すことにしている。その結果、今年4歳になる娘は、日本語はかなり話せるようになってきている。

けれど、英語のほうは同じ年のアメリカ人の子供と比べるとかなり遅れていて、通っている保育園でも先生の指示などがあまり分からないでいるようだ。娘は生まれつき、ものおじせずに誰にでも近づいていって愛嬌を振りまくような子供だったが、2歳を超えた頃、自分の使っている言葉、日本語が他の人たちには通じないことが分かり始め、だんだん人見知りがはげしくなっていった。
そんな娘を見ているのはやはり辛い。「英語は学校に行き始めればじき追いつくから大丈夫」と、サンフランシスコにいたときは周りの人たちが温かく見守ってくれたけれど、コロラドではバイリンガル教育があまり普及していないせいか、幼児期の英語の遅れをやたら危険視する傾向もある。だんだん、自分の教育方針に自信を失いかけそうになった。

そんなある日、娘と二人で食事していたとき、娘が保育園であったことを話し始めた。「今日ね、皆で「いただきます」したの。こうやってね。」といいながら手を合わせるしぐさをした。「他の子供たちに教えてあげたの?」と聞くと、照れくさそうにうなずいた。英語が皆に遅れていたり周りと違うことで、居心地の悪い思いをしていないかと心配になることもあったけれど、子供はなんとかやってくものだなぁと嬉しく思った。

他者と違うことを恥じたり隠したりするよりも、自分の文化、あるいは自分自身を大切に思い、いろんな人や文化もあってもいいじゃないかと、お互いの知恵なり、良いところを分かち合うことができれば一番いい。子供は、そんなことを楽々とこなしてしまえる順応力があり、その強さに私も勇気づけられた。

(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第8話 YIFA MATE 2009年5月号 )
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アートセンターの仕掛け人たち

 私の住むコロラドのグランド・ジャンクションは、美術館もないような田舎町であるが、小さなアートセンターがあり、美術振興のために奮闘している。地域のアーティストによる展覧会を開催したり、子供から大人までの幅広い層を対象としたアートクラスやサマー・アート・キャンプなどの美術教育を提供したりしている。
 二、三年前までは、風景、静物、人物などの具象画や、実用的な陶器などが展示のほとんどだったアートセンターであるが、去年あたりから、抽象的な絵画や立体造形を含む現代美術など、バリエーションに富んだ作品を取り上げたりして、だんだんおもしろくなってきたように思う。こんなアートセンターの変化に大きく関わっているのは、一昨年からほぼ同じ時期にアートセンターに就任したシェリルとカミーユではないだろうか。二人とも、なかなかおもしろい経歴の持ち主だ。
 シェリルは、代表取締役として、アートセンターの運営管理、資金調達などを主な仕事としているが、この仕事に就くまで、アートに関する仕事は一切したことがなかったという。首都ワシントンで社会学の学士を取得後、イギリスに留学し、アフリカで英語を教える活動に加わったりしている。ワシントンに戻って復学、教育学の修士を取得している。後、マリーランド州の地域開発機構で低所得者のための住宅開発に取り組んだり、アリゾナ州の大学や鳥類学会に就職して環境保全に関わる仕事に携るなど、社会奉仕を目的とする仕事に深くかかわってきた。
 カミーユはというと、自らがアーティストであるとともに、美術に関する豊富な知識を生かして企画展やアートクラスのプログラムの一切を取り仕切っている。子供の頃、父親の転勤に伴いコロラドに移り住んだカミーユは、同州の大学を卒業し、仕事を転々と変えながら、アーティストとしての活動を長らく続けた後、シカゴの美術大学に復学。さらに、美術大学としては屈指の名門、デトロイトのクランブロック・アート・アカデミーに転入し、在学中に美術館でアートツアー、展示などの仕事に関わったりしながら、美術修士を取得している。
 この二人に共通していることは、オープンな心、誰に対しても偏見のない公平な態度であり、二人の幅広い見識は、一筋縄ではいかない豊富な経歴に裏付けられている。地域への貢献という大儀を大切にしながらも、保守的で閉鎖的だった今までのアートセンターの傾向を刷新して、次々と新しい企画やアートクラスを提案している。
 シェリルは、今後の目標として、センターの改装、資金拡大、演劇やダンスなどのパフォーミングアートや音楽なども新たに加え、その活動内容の充実を図ることなどを朗らかに語る。カミーユは、コンテンポラリーアートへの嗜好が高いが、自分の好みにこだわらず、アーティストの作品と意図を十分に吟味したうえで、厳選した作品を展示していきたいと真剣な眼差しで語る。今後の目標は、さまざまな人種による美術をさらに幅広く取り入れたいという。経営と企画といった、きれいな分業によってお互いを理解し支え合う、この黄金コンビの今後のさらなる活躍が楽しみだ。
(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第7話 YIFA MATE 2009年3月号掲載 )

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

Planet Earth &The 4 Directions Gallery_地球&四方向ギャラリー

 その一風変わったギャラリーは、ダウンタウンの目抜き通りからそれた寂れた通りにひっそりとある。とはいえ、外観はかなり強烈で、画廊というよりは、サンフランシスコのヒッピー風な無国籍雑貨店のようだ。中に入るとアート作品のほか、世界中から集めてきた骨董や衣服、雑貨なども売っていて、内装もまた異様なオーラを発している。画廊の活動としては、作品展のみならず、ときどき音楽やダンス、詩の朗読会など幅広い分野をサポートしている。コロラド州の田舎町グランド・ジャンクションにあっては、この画廊はかなり異色といえるだろう。
 この画廊を経営するケオルは不思議な魅力を持つ女性だ。彼女は、首都ワシントンからも程近いバージニア州に生まれ、美術や音楽、そして文学に親しむ子供時代を過ごした。メリーランド大学で美術一般と美術史を習いつつ、在学中に結婚をして子供を儲ける。砂漠の絵を描き続けたアメリカの代表的女流画家、ジョージア・オキーフに深く傾倒し、ジョージアのようなスピリチュアルな経験を求めて、ウエスト・バージニア州の僻地に移り住み、大自然の中で電気や水道のないきわめて素朴な生活を一年間経験する。その間自然破壊に対する反対運動にも参加した。
 ワシントンにもどったケオルは、ジョージ・ワシントン大学でビジュアル・コミュニケーションを専攻して大学院を修了。後、ニューヨーク・オメガ学院で「地球平和のためのアートの利用」という講座を受講したことも、彼女のその後の方向を決定的づける大きな要因となった。また、WCAといわれる社会派女性アーティストのためのコミュニティーに参加して、さまざまな展覧会の企画運営に携わった。その後、自然の美しさに弾かれて、十数年前にグランド・ジャンクションに移り住んで以来、ずっとこの画廊を経営している。
 画廊の名前にある「四方向」とは、東西南北を4つの色で象徴するもので、ネイティブ・アメリカンの予見者ブラック・エルクの言葉から来ている。東は赤(ネイティブ・アメリカン、火、日の出)、南は黄色(アジア人、癒しと喜び、青春と無垢)、西は黒(黒人あるいは深い神秘)、北は白(白人、風と気候、先祖、智恵と引力)をそれぞれ象徴する。ブラック・エルクは、四方向がすべてバランスよく和合するとき、平和が訪れると予見した。彼は最後こういった。「世界の木が見える。その枯れかけた根に水をやりなさい。そうすれば、また葉が茂り、花が咲き、喜びを歌う鳥たちでいっぱになるだろう。」
 ケオルは「その根に水を与えて世界の木を育てるのが私たちアーティストの仕事よ。」と少女のような笑顔を見せていった。思いの向くままに奔放に繰り広げられる彼女の世界は、一見無造作で混沌としているように見えるが、その中に一貫してあるものは、アートを通して地球上のすべての人々を幸せにしたいという人類愛だ。そんな彼女に弾きつけられ、アーティストや詩人、文学者や知識人など、さまざまな人がどこからともなくこのギャラリーに集まってくるのだ。(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第6話 YIFA MATE 2009年1月号掲載 )
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

オバマ新大統領からのメール

オバマが新大統領に決まった。
「この国では、いまだ、不可能ということはなにもない」といった彼の言葉を信じたい。
これからが彼にとって本番。
経済の建て直し、軍事問題など、ブッシュ時代の負の遺産が山ほどあるが、どうか乗り切ってもらいたい。

以下、彼から、すべての支持者に送られたメールです。


I'm about to head to Grant Park to talk to everyone gathered there, but I wanted to write to you first.

We just made history.

And I don't want you to forget how we did it.

You made history every single day during this campaign -- every day you knocked on doors, made a donation, or talked to your family, friends, and neighbors about why you believe it's time for change.

I want to thank all of you who gave your time, talent, and passion to this campaign.

We have a lot of work to do to get our country back on track, and I'll be in touch soon about what comes next.

But I want to be very clear about one thing...

All of this happened because of you.

Thank you,

Barack

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

感謝祭とアメリカ料理

11月といえば、アメリカでは第4木曜日が感謝祭にあたる。起源については諸説があるが、一般的には、イギリスから移住してきたピルグリムが新しい土地で農業もなかなか軌道に乗らず飢餓に苦しんでいたとき、原住民が食物を分け与えたり作物の栽培法を授けたりしてこれを助けたのを感謝して、初めての収穫があったとき原住民を招待して共に収穫を祝ったのが始まりとされる。感謝祭の代表的な料理は七面鳥だが、これはそのとき招待された原住民が手土産に持ってきたのが始まりなのだとか。今では、家族や親族、親しい友人が集まり食事を共にする祭日となっている。
 サンフランシスコに住み始めた頃、そこに住む人たちに、お気に入りのレストランを尋ねると、だいたいは中華料理か中南米料理、地中海料理、はたまた日本食のレストランを紹介された。もっとローカルな料理ってのはないものかと尋ねると、人々は、いろんな国々の料理をその日の気分で楽しむことがここの食生活なのだという。カリフォルニア・キュイジーンといわれる料理もあるにはあるが、それは、オーガニックな食材を使ったフュージョンで、たいていフレンチかイタリアン風におしゃれに仕上げてある。しかし、なんだか釈然としない。アメリカのお袋の味っていうのはないのだろうか?
 そんな私の疑問に答えてくれたのは感謝祭だった。なんといっても感謝祭の日には、伝統的な料理のオンパレードだ。グレービーソースやクランベリーソースを添えた七面鳥の丸焼きに、マッシュポテトやインゲンのキャセロール、ヤム芋料理やカボチャやりんごのパイなどなど。
 そういえばアメリカの料理にはオーブンを使った料理が多い。たいがいの家庭には、コンロと一体になった大きなオープンが備え付けられているし、オーブンを使った料理というと、ローストチキンだとかミートローフだとか、ヨーロッパをルーツとしたアメリカ料理と言えそうなものがたくさんあることに気づく。材料を味付けして入れておけば出来上がってしまうオーブン料理は、農作業や子育てに忙しい開拓時代のお母さんにとっても重宝な調理器具だったかもしれない。
 とはいえ最近の感謝祭料理は、七面鳥の代わりに北京ダックだったり、メキシコ風にエンチラーダだったり、あるいはフライドチキンだったりとか、家庭によりさまざまであるようだ。多民族国家であるアメリカにステレオタイプな伝統料理を求めることはあまり意味がないのかもしれない。
 仕事のため、あるいは自分の気に入った場所に住むために、広い国土を縦横に移り住んだりするアメリカ人にとって、感謝祭は、普段あまり会えない家族や親戚が集まる大切な機会だ。この日の再会を祝して皆がゆっくりく楽しむことができるように、ホストになる家庭が何日も前から準備する心の篭った手作り料理は、なんであっても素晴らしいものであるに違いない。(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第5話 YIFA MATE 2008年11月号掲載 )
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

図書館いろいろ

図書館いろいろ

 小さな子供の頃、私は本が大好きだったが、やがて学校に行き始めたころからあまり本を読まなくなった。読書が勉強の一環として強要されるようになったからかもしれない。そんな私をまた本好きにしてくれたのは図書館だった。大学を卒業後、偶然図書館での仕事を見つけて働くようになった私は、忘れていた本の楽しさを思い出した。以来、図書館は、私にとっていろんな意味でなじみの深い場所だ。
 この夏、サンフランシスコを訪れたとき、久しぶりにミッション地区の図書館に行ってみた。この街に住んでいた頃、一番よく利用したのがこの図書館だった。当時住んでいた家から近かったことや、すぐ近くに地下鉄の駅があって便利だったこともあるが、この図書館の雰囲気が何となく好きだったためでもある。
 ミッション地区は中南米系の移民、ラティーノが多く住む地域で、図書館の利用者も彼らが主流となり、蔵書やビデオもスペイン語のものが豊富に用意されている。今回訪れたときには、ちょうど子供のための人形劇や合唱の会があった。それは、夏休みを通して実施されるプログラムで、英語とスペイン語の両方で進められていた。白人の子供もラティーノの子供も両方の言葉を学びながら楽しそうに歌ったり踊ったりしていたのが印象的だった。それぞれの民族が、その文化や言語を大切に継承し、自分と違った文化も尊重し学び合おうとする姿勢がうかがえた。
 現在住んでいるコロラド、グランド・ジャンクションの図書館でも、子供のためのプログラムには力を入れており、アメリカの代表的な年間行事にちなんだ読み聞かせや人形劇があったり、夏休みにはクラフトづくりや勉強会も実施されている。それから、移民のための無料英語講座(ESL_English as Second Language)なども実施されている。これはサンフランシスコでは見当たらなかったサービスだと思う。この講座は私もときどき受講するので、お礼に日本語を教えるボランティアを申し出たことがあるが、英語以外の講座は実施されないということだった。
 ちなみに、コロラドには、”SUPPORTING IMMIGRANT INTEGRATION” という移民支援団体があり、移民どうしが知り合う機会を作る会合を開催したり、ビザ取得に関する手続きの補助など、さまざまな形で移民をサポートしている。図書館のESL講座もその一環として運営されている。その名にある”INTEGRATION”という言葉が象徴するように、白人が圧倒的多数のこの地域では、移民は、英語と英文化を一刻も早く学び、白人社会に同化、あるいは融合されていくべきだという考え方が強い。そのためか、移民も2世以降の世代では、親の祖国の言語や文化を全く知らないという人々がカリフォルニアに比べるとかなり多い。
 インターネットなどの普及で、読書離れが続いている昨今、図書館は、本やビデオなどを提供するだけにとどまらず、教育の場としても密接に地域と関わっている。地域のニーズに応え、主流にある考え方を反映する鏡となって独特の運営がなされているのが興味深い。(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第4話 YIFA MATE 2008年9月号掲載 )

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

弱者を助ける人 弁護士 シェリーゲンドルマン

サンフランシスコは、エキセントリックな人々が住んでいる街だ。1960年代、この地を中心とする北カリフォルニアで、ヒッピーあるいはビートニクといった自由、アナーキズム、反戦などを謳歌した文化が花開いき、それに魅了された人々が世界中から集まった。そのムーブメントが過ぎ去った今でも、その精神はそこに住む人々の間に浸透している。
 サンフランシスコで出会った友人であり、弁護士である、シェリー・ゲンドルマンもまた、この街の気風に惚れて東海岸から移り住んだ一人である。
 シェリーは、ロシア人とポーランド人の移民夫婦の間に生まれ、決して裕福とはいえない少女時代をニュージャージーの片田舎で過ごし、常に生活苦、民族差別に対面するなかで、社会的に弱い立場にいる人々へのシンパシーを育む。高校生時代、公民権運動に強い関心を示し、弁護士となることを決意。ニュージャージー州立大学でソーシャル・ポリティカル・サイエンスを専攻。法学校を経て弁護士資格を取得し、1969年、ワシントンのシビル・ライツ・エージェンシーに就職し、黒人の人権を守るため、弁護士として法廷に立つ。1968年、シェリーは初めてサンフランシスコを訪れているが、就職後も、かの地に引き寄せられるように何度か訪れている。
 75年、多忙を極めた正義の旗手も、自分自身について考える時期が訪れる。法ですべての差別を廃絶することができないという限界を感じ始めていた彼女は、やがて極度の神経衰弱に陥り、それまで勤めたワシントンのエージェンシーを退社し、自分探しの旅に出る。中近東、インド、ヨーロッパなどを放浪の後、78年帰国。
 その後シェリーは、サンフランシスコに移り住む。アルバイトしては旅行に出かけ、その先々で政治的なコミュニティーを運営してみたり、サンフランシスコに戻っては酒や音楽に浸ったりといった具合に、地に足のつかない生活を過ごした。精神を病んだ彼女にとって、この街の、どんな奔放さも許してしまう不思議な包容力が優しかった。彼女はこの街に住むうちに、いろんな経歴や考え方をもった興味深い友人たち出会う。そして彼らの支えにより、彼女は次第に癒されていった。
 91年、弁護士として復活し、第三国からの移民が多く働くタクシードライバーの事故やトラブルに関する民事裁判を扱う法律事務所に籍を置き、遠回りこそしたが、やはり弱い立場にある人々を助け続けている。最近のシェリーは、市民の献金により運営されているパブリック・ラジオ KQEDに頻繁に出演し、さまざなな社会問題について、また、常に経営難に悩むこのブログラムの支援のためにも、その弁舌を大いに振るっているということだ。
 サンフランシスコには、シェリーのように決まったレールの上を走り続けるだけでは飽き足らず、脱線したりしながらも、自分の道を探し続ける人々がたくさん住んでいる。人々に夢をみせつづける街サンフランシスコは、それゆえに今でも多くの人々を惹きつけて止まないのである。(Copyright(C)FUMIYO.Y.SUGITA サラダボウルの国アメリカ第3話 YIFA MATE 2008年7月号掲載 )

追記
シェリーの記事を書くためにインタビューをしたのは昨年2007年の夏のことだが、あれから彼女のラジオでの活動はより大きく展開し、2008年夏現在では、全米ネットの公共ラジオの顧問として活躍しているとのこと。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ガソリン価格とエコロジー

ガソリン価格の高騰が顕著になって久しいが、日ごと、見るたび、ガソリンスタンドの値段表が10セント/ガロンくらいの割合でつり上がっていく。(日本ではどうでしょうか?)

こうなると、複数の用事をできるだけ組み合わせるようにして、車での外出をできるだけコンパクトにまとめてガソリン代節約に努めてみたりするわけだが、同じようなことを考えている人も多いのではないだろうか。

少し前の新聞記事によるとデンバーなどの都市部では通勤を車からバスや電車などの公共交通機関に代えた人がかなりいるらしい。
公共交通機関がほとんど発達してないグランド・ジャンクションでは、自転車に乗るという手もあるかもしれないが、車のドライバーが歩行者や二輪車をほとんど意識せずにかなり荒い運転をしているので、結構危険。子供連れでだとなおのこと実行する気になれない。

車の出す廃棄ガスによる環境汚染がいくら切々と訴えられても、多くの人間が自分の日常の利便を損なってまでも、環境問題に取り組もうと思わなかったというのに、こと個人の利害に関ってくると利便性よりも経済性を選び、図らずも地球温暖化防止の一助となったようだ。きるだけ多くの人を動かして環境問題に取り組むなら、個々のモラルよりも利害に訴えるほうが早道ということなのかもしれない。

また最近では、食用油の古くなったものを精製したり、またはとうもろこしを原料に、ガソリンに代わる燃料が、いろんな人たちの間に試され始めているのも興味深い。

そう考えると、無駄に生活が圧迫されるだけではないと多少救われるだろうか...
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

フォー・コーナーズ 探訪

3月13日から16日にかけて、フォーコーナーズ(コロラド、ニューメキシコ、アリゾナ、ユタ州をまたがるエリア)近辺のインディアン史跡を取材した。
訪れたのは、コロラド州のメサベルデ国立公園、アリゾナのインディアン保留地にあるモニュメントバレイ、ユタ州は、ホーベンウィープ国立公園など。

旅の先々で多くのスケッチをしたが、一番絵にしてみたいのは、メサベルデの遺跡群だ。どの場所も興味深かったが、ここが、私にとって特に強いインスピレーションを得た場所だからだ。

メサ・ベルデは、アナサジ・インディアンによって、巨大な渓谷の壁面に構築された緻密な集合住居が多くあることで知らており、ユネスコにより世界遺産にも指定されている。

この区域にはこういった断崖住居跡が、600ほどあるらしいが、このうち5つの大規模な遺跡が、一般訪問者がその近くまで行けるように道のりが整備されている。3月は、まだシーズンオフだったため、そのうち4つまでは道が閉鎖されていて、対岸のドライブウェイのビューポイントからしか見るこができなかったが、ひとつだけ公開されていたSpruce Tree Houseは間近に見ることができた。

Spruce Tree Houseは、メサベルデの中で、3番目に大きな遺跡で、幅66メートル、奥行き27メートル、114の居住空間と8つのKiva(セレモニーなどに使われた空間)があり、1906年に国立公園に指定されて以来、発見当初の状態を保つため、一部補強がされてきてはいるが、そのほとんどは、アナサジ人が築いたままを保っており、彼らの高度な建築技術を推し量ることができる。

これらの断崖住居群は、1200年から1276年ごろまでにかけて構築されたとされるが、1300年代、アナサジ人は、この地を後にして忽然といなくなる。多くの居住地はその主人を失い、打ち捨てられることになる。
何のためにアナサジ人は、切り立つ断崖の壁面という極めて建築が難しいと思われる場所をわざわざ選んで、このような大規模な集団住居を築いたのだろうか?そして、苦労して作ったこれらの居住地をさして長くも使わずに後にしたのか不思議である。

崖に居住地を築いたのは、外敵を逃れるため、水源の関係などが考えられているが、立証されていない。彼らがこの地を後にしたのは、1200年代後期から続いた旱魃のためといわれるが、何か釈然としない感じがする。実際に何が彼らの身におこったのかは、今残されている痕跡だけでは、すべて解明することはできない。

私がこの場所に強く惹き付けられたのは、彼らの緻密な仕事の美と、その謎めいた歴史に想像力が掻き立てられるからだ。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

苦闘は続く

先日、アメリカ原住民の迫害の歴史と現状、彼らの新しい試みについて書いたところだが、その後、インディアンの活動家WINONA LADUKE の著書"ALL OUR RELATIONS" を読んで、彼らの苦悩は、生活水準の低さにとどまっていないことが分かった。

まずは、インディアンの住む保留地は僻地に追いやられているのが普通だが、そういった一般アメリカ人がすまない場所とうものは、大きな工場などが勝手放題する場所になっていたりする。

つまり、天然資源の採掘や化学薬品などの製造過程で排出される汚染された物質、PCBやHCB、DDTなどが、彼らの保留地のすぐ近くに不当に廃棄され、保留地に流れる川、土地、地下水などを汚染しており、彼らの食生活や、健康そのものが危険に冒されている。PCBなどは、次世代に渡って障害を残していくため、こういった地域での障害児の出生率もどんどん高くなっている。たとえば、現在アクエサネ保留地に住むモホーク族の65%は、こういった深刻な病状に悩まされている。

それに対して、環境庁の査察は大手企業の肩をもつ傾向にある。
たとえば、1983年GM(ジェネラルモーターズ)は、それまでの25年にわたる毒物の不当廃棄に対して、やっと罰金を支払わされるが、その額はたったの$507,000だというからあきれる。
汚染物の清掃に関しても、実際に汚染されていると考えられる土壌のわずか1/3に対してしか勧告されていないばかりか、その1/3の土地に対しても、ただ上から土をかぶせて草を植えただけといったおざなりなものである。

インディアンが、クリーンなエネルギーの可能性について取り組んでいるのは、環境問題が、自分たちの生命を脅かしているという切実な緊迫感からくるものなのだろう。

昨夜、メサ・ステイト・カレッジで ”Who Killed the Electric Car” という映画が上映された。
http://www.youtube.com/watch?v=nsJAlrYjGz8
http://www.yorozubp.com/0611/061128. 

あれだけその価値が評価されながら、なぜハイブリッド・カー(電気自動車)があまり普及されていないかが示唆されている。
ここでもGMが登場するわけだが、この会社は一次、ハイブリッド・カーEV1の生産を試みるが、その普及は、石油の売り上げの下落を招き、それはこの会社にとって大きな損失を意味する。そこで、GMは、ハイブリッドカーを撤収、廃棄処分してしまうという筋書き。
利潤追求のためなら環境破壊など意に介さないといった大企業の姿勢が浮き彫りにされる。

こういったことは、なにもGMに限ったことではなく、多くの大企業が政治家と結託して、似たようなことをしているのだろう。これが資本主義の宿命なのかもしれない。

インディアンの現在の取り組みが、今までのレジスタンス同様、そういった大きな力によってひねり潰されないとは限らない。彼らの苦闘はまだまだ続きそうだ。
そして、その苦闘は、決して他岸の火事ではないことを知らなければならないだろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アメリカ・インディアンに学ぶ

私の住むグランド・ジャンクションは、ユタ州とコロラド州のとの境にあり、ユーニタワレイと呼ばれるインディアン保留地区や、コロラド、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコの四つの州をまたがるホピ、ナバホ、ユート族の保存地区などからもほど近い。
そういった地区出身のアーティストと接する機会などがあるうちに、アメリカ・インディアンの歴史についてもっと知りたくなった。
先日、ナバホ族の言語や文化について、実際に彼らの居住地に身を置いて勉強していた友人から、お勧めのサイトや以下にあげる本を紹介していただいたので、ここのところそれらの本を読んでいた。

「ネイティブ・マインド」北山耕平著
「レッドマンのこころ」アーネスト・シートン著(シートン動物記の著者)
「アメリカ・インディアン 奪われた大地」フィリップ・ジャカン著 富田寅男訳
「アメリカ・インディアン悲史」 藤永茂著


アメリカ原住民がどれほど自然を慈しみ、その摂理を理解し、己を厳しく律することで、その聖なる自然に同化しながら、平和で平等な理想的社会を形成していたかが良く分かった。私たち日本人の古来からの自然観、宗教感にも通じるものがあり共感を覚える。

この素朴で平和的な民が、後に近代的武器を携えてやってきた白人移民の圧倒的狡猾さと残忍さをもって、先祖代々大切に守り続けてきた土地を奪され、保留地という名の小さく分断された土地に押し込められていったその迫害の歴史はあまりにも悲しい。

彼らの激しい抵抗にもかかわらず、彼らに残された280足らずの保留地は、全部あわせても、この広大なアメリカのうち、わずか日本の本州ほどの面積ほどに過ぎない。その生活水準は、アメリカの中でも最も低いと言われ、高い失業率と自殺率は、彼らの希望のなさを物語っているようだ。

読み進めるほどに、今、自分が住んでいるこのアメリカという国の存在は、そういった数知れない原住民の血と涙と呪いの上に成り立っているのだという思いがして、居た堪れない気分になっていった。


しかし、インディアンは決して諦めてはいない。
昨夜、アメリカ原住民の活動家、ウィノナ・ラデュークの公演会を聴講に行き、そのことを知った。
温暖化、資源問題が世界中の解決すべき課題になっている昨今、彼らはエコロジーに基づく新しいエネルギーづくりに向かって躍進している。
彼らの伝統的社会は、言い換えればエコロジーそのものだった。自然を慈しみ、すべての人が、空気や水と同じように、土地も共有し、狩猟や農耕で多くを得たものは、持たざるものへと配分し、すべての人が潤えば、それ以上の蓄えを持とうとしなかった。もちろん乱獲もなければ、環境汚染もない。
そのことを考えると、彼らのこの新しい取り組みは、ほんとうに意義深い。

「インディアンの迫害の歴史は、インディアンだけの問題だけではない。」と藤永茂がその著書の中で書いている。「インディアンの皆殺しがはじまったとき、すでに我々はエコサイド(ecocide)を開始していたのだ。」と。
インディアンがエコロジーを象徴するならば、アメリカ人は近代文明=自然破壊の象徴、アメリカ人によるインディアンの撲滅は、世界で起こっている人類の自滅行為の序章ともいえる。

それに挑戦するかのように再び立ち上がったインディアンの今後の活動を、これからも注意深く見守りたい。












コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

NY美術館めぐり

2月15日から20日までNYにいた。夫の用事に便乗して、NYのアートを見て回ろうと、家族旅行を決め込んだものだった。

分かっていたことだけれど、2月のNYはかなり寒かった。もともとひいていた風邪のせいで体調不調、しかも子供連れだったこともあり、見たかったものを網羅することは到底無理だったけれど、美術館を一日ひとつといったゆっくりとしたペースで訪れた。

タイトルや作者の名前が分からないものもあるが、気に入った作品をここに書き留めておこうと思う。

MOMA(ニューヨーク近代美術館)より

ビデオアート(ピピロッティ・リスト) 一室の壁2面を使ったこのビデオアートでは、正面に、花の花芯に似たトーチを持った、妖精のような白いドレスを身につけたうら若い女性が、歌うように舞うように街の歩道を歩いている姿が、スローモーション映し出されている。向かって右側の壁には、野原に咲く草花の映像がクローズアップされながらゆっくりと展開していき、目くるめくような鮮やかな色の洪水を感じさせる。フレンチポップスっぽいBGMが不思議に2面の壁の雰囲気をまとめている。
満ち足りた笑みを浮かべつつ闊歩するこの女性は、手にしたトーチを、野球のバットでも振るかのように、けれど、しなやかなスウイングで振り下ろし、次々に路肩に寄せられた車の窓ガラスを粉々に叩き割っていく。後ろから歩きながら徐々に近づいてきた女性の警官は、この天然ビーナスに敬礼をしながら過ぎ去っていく。
その暴力的な行動と裏腹な、美しい女性と自然の映像、スローな動きと甘い音楽があいまって、なんともいえないエキセントリックな世界を作りだしていた。

PS1(MOMA分館 コンテンポラリー美術館より

インスタレーション
大きな窓が明るい日差しを投げかける一室。二つの階段が天井に向かって伸びている。
天井と階段の接点のあたりにポカリと穴が開いていて、階段を昇ると天井のそのまた上が見えるようになっているらしい。

昔、小野洋子の作品に似たようなものがあり、階段を昇ったその上には、「LOVE」と書かれてあったという。これを見て、ジョンレノンはノックアウトされたとか、しないとか…
とにかく、試しに昇って見ることにする。

ぽっかり空いた穴から頭を出してみると、水面に見立てた水色の天井の上部には器用に作れた、いくつかの氷山が浮かんでいた。
なんだか天国を見せられたような気がしないでもない。ちょっと微笑みたくなる。
「氷山の一角」という言葉があるが、私たちがうろついていた階段の下の部分が水の底であり、氷山の大部分のあるところということになるのだろうか。
例えば、アート界のトップにいるのは氷山の一角、水面下には、その何千倍ものアーティストが頂上を目指して蠢いているようなメッセージでもあるように感じられる。
こんなアンビバレントなイメージを髣髴させるあたり、なんだか面白い作品。

インスタレーション
おそらくアーティストの自室にある、こまごまとした雑貨やガラクタ、スナック食品などを使って形成された作品。
クラッカーやボトルの王冠、スニーカーなどは床にびっしりと敷き詰められ、チェリオ、爪楊枝などをボンドか何かで器用に高く積み上げて、タワーのようなものを作ったりして、全体的には、一室の片隅に立体的空間を作り出しているといった感じ。
一見単純に見えるが、よく見ると仕事はかなり緻密で、作家のこの作品に対する、ただならぬ執着を感じる。自閉症の子供作品を彷彿しなくもない。
娘はこの作品が気に入ったらしく、はしゃいで作品の周りをぐるぐる歩き回っていた。

********************

厳しい寒さのNYから戻り、グランド・ジャンクションの空港を降り立つと、もう春がそこまできているような暖かさで、和やかな日差しに目を細めた。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ