学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

目標・評価より大切なこと

2011-06-21 | 教育
授業を構成する上で,まず目標(めあて)をはっきりさせ,
その目標が達成できたかどうかを評価するということが,
重要な位置を占めている。
そこのところがはっきりしているかどうかが,
授業の良否を決めるとまで言われる。

確かにそれはそうであろう。
しかし,もっと大切なことがあるのではないか。

授業をしたことのある者ならおそらく理解できるであろうが,
目標は達成できなかった,
あるいは当初の目標からは全くずれてしまったが,
それでも,「よい授業」というのがあるのである。

授業中のふとした雑談から,
子どもがその雑談にひきこまれていって,
時間を忘れて,教師も子供も楽しんだということが
あるのではないか。
授業はちっとも進まなかった,でもおもしろかった,
という授業である。

こういう授業の中で,教師と子供の間に
純粋な知的な空間が生まれているということもあるのである。

むしろ,これは「よい授業」という枠を超えているのかもしれない。
教科書もカリキュラムもなく,
ただ大人が子供に教えるという,
人間が長い歴史の中で自然に行なってきた教育の本質的な形が,
授業という場に現れたのかもしれない。

近代学校は合理的であることを期待されている機関である,
がしかし,そのなかに,
合理的である以前の人間の営みがなければ,
学校の存在価値はない。

最近は,学校経営そのものにおいても,
PDCAサイクルの重要性が言われるようになって久しいが,
学校というところは,目標を設定し,
目標を達成できたかという合理的な考え方では
割り切れないところに価値があり,
それがもっとも大切なところであるということを,
教育に携わる者はもう一度考え直すべきであろう。
ジャンル:
学校
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2 Comments

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目標の落とし穴 (ほり)
2011-06-22 00:42:25
こんにちは。
目標、特に手近な目標の設定は、本質的に、重要なことと思いません。むしろ、手近な目標の設定と達成ばかりを目的に教育を進めると、間違えます。

なぜなら、目標を設定すると、あらゆる活動が、その目標の達成しか目的にしなくなるからです。
何であれ、活動をすると、必ず、当初の予想に反する「付随的に生じてくるさまざま事柄」が出てきます。それで、奇妙なことに、そっちの方が重要になることだってしばしばあります。
言語化された明解な目標達成を目的に活動をすると、付随する、こうした有意義なことが捨て去られます。なぜなら、目標とは関係がないから。

子どもが学ぶのは、さまざまな、こちらが予想しなかったことからであることも多いでしょう。
この意味で、目標の設定、達成は、本来の教育的な目的から外れることが出てきて当然です。
Unknown (madographos)
2011-06-22 00:44:54
いつもTB,コメントありがとうございます。
最近,目標だの評価だのを重要視し過ぎる傾向にあるような気がして,それだけじゃないだろうという思いでエントリーしてみました。

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