学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

子供のよさを過大評価してはいけない

2012-02-04 | 教育
 現在の教育の混迷は,ひとつには,「子供のよさを認めよう」という動きが強まりすぎ,学校の研究課題などに「よさ」という言葉が氾濫しだしたことに起因している。なぜなら,子供には「よさ」もあれば,「わるさ」もある。そのいずれをも冷徹に観察するのがプロフェッショナルとしての教育者である。ところが,この「子供のよさを認めよう」という動きは,「わるさ」に目を向けることを避けさせるように作用しすぎた。確かに減点主義のはびこっていた教育現場にあっては,子供の「よさ」を認めようとする姿勢は一定の教育効果を生んだであろう。しかし,これは,バランスの問題であって,「よさ」を認めることがすなわち教育の改善につながったわけではないのである。そこのところをはき違えてしまったのではないかと思われる子供中心主義者の跋扈には辟易している。
 私は,目の前の子供を信頼しない。ただ目の前の子供がよりよく成長する素地をもっているということは信じている。しかし,実際に目の前の子供がよりよく成長すると保証することはできない。それが私の教育観の原点である。だから子供の現在の「よさ」は,成長可能性の一面でしかないと思っている。「よさ」をほめたから伸びるというような単純なものではあるまい。「わるさ」については,成長を阻む要素であるから,これに対しては,厳しい態度をとる。よりよい成長を信じつつ祈りつつ,厳しく対処するのである。
 昨今,子供の作文を直さない教師がいると聞く。とんでもないことである。子供の作文に対して,表現の不備,漢字の間違い,文法の過ちなど,修正してやらなければ作文が書けるようになどなるはずがない。きちんと朱を入れ,書き直させる。これが教師の仕事である。子供の作文の「よさ」を認めてほめて終わり,などというのは,教育の放棄でしかない。
 ややこしい教育理論などにまどわされず自然体で真剣に子供にあたれば,おのずと教育の在り方はわかってくるはずなのだが。
ジャンル:
学校
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2 Comments

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自然体であることの難しさ (ほり)
2012-02-09 00:58:00
こんにちは。お久しぶりです。

>ややこしい教育理論などにまどわされず自然体で真剣に子供にあたれば,

今は、「自然体」でいることが難しい時代だと思います。
教育理論は言語で表現できているもの(というか言語そのもの)ですが、「自然体」はなかなか言語化できるものでありません。
イマドキは、「言語による、聞く人を納得させる説明」を時に強く要求されます。ですから、言語による説明が不能なもの、困難なものを否定しがちになります。
「自然体」もその一つではないかと思います。その結果、教員は、自自然体でいることが難しくなってしまったのではないか、と思います。
Unknown (madographos)
2012-02-09 21:29:30
>ほり様。コメントありがとうございます。言語に頼りすぎているのかもしれませんね。教育は人間関係ですから,非言語の部分が大きいということを,教育の理論を云々する人たちは考えるべきなのでしょう。一方,その教育理論にしても,最近は理論というより信念とでもいうほうがよさそうなひとりよがりなものが多すぎて困ったものです。

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