こういう感じの建物、ヨーロッパに行けばうんざりするほど見られるのでしょうが、日本では滅多にお目にかかれません。
近世ロマネスク調というらしい・・・・。何を以ってロマネスクなのかと言うと、この柱と連続するアーチらしいのですが、わたしはこのライオンのたてがみがクルクルとこってり並んでいるところがローマっぽい(あくまでイメージですよ)感じがします。
顔はこんなカオです。
結構凛々しい。
あの身体にこの顔。ちょっと意外な取り合わせなところがいいです。
柔らかい石で彫ってあるのか、角が丸くなっていて味が出ています。
ビザンチン様式からいきなり飛びました。
クールな表情、今はまだかっこいいと感じる私ですが、年のせいもあって「頑張ってついて行ってる」感が否めません。クールばっかりじゃ疲れるお年頃です。
一時、右を向いても左を向いてもコンクリの打ちっぱなしばっかりでした。
これの始まった当初の建物(安藤忠雄のが神戸の北野のあたりにたくさんある)は、もう痛々しくて見るのがつらい。
いつも思うのですが竣工したときが一番美しいというのはいろんな意味で「もったいない」気がします。
耐久性を高めるというだけではなく、美しさを足すという意味で手のかけ甲斐のある建物が後の世代に残るのでしょう。
これはこれで、美しいうちに撮っておきたいわけで。
フランスを離れ、一路ロシアへ。
御茶ノ水の聖橋側へはなかなか出ないのですが、たまにニコライ堂の美しい姿を見たくて足を運びます。
雨に濡れ、冬の寒さに凍える姿こそが尤も「らしい」と思っていますが、この日は抜けるような青空でした。
たまたま聖堂が開いており、献金をすれば誰でも見学出来ました。
構内の建物のガラスに貼ってあったシールですが、独特な十字架の形が見慣れぬ私に遠い異国を感じさせます。
八端十字架といい、十字の頭の部分にある短い横棒はイイスス(イエス)が十字架に架けられた時に頭上に打ち付けられた罪状書きを表し、下の斜めに描かれた棒は足台の象りをあらわしているそうです。
私は仏教徒であるので、このシールの十字架も聖書も美しいデザインとしか感じないのですが、合掌は全ての宗教に共通な祈りのポーズで、祈りという人間の動作の象徴なのだと改めて感じます。
この動作ひとつで心が静まり、敬虔な気持ちになるのは、初詣などでどなたもが経験されることでしょう。
親たちから教わった「かたち」なのですが、単に「パブロフの犬」的な現象ではないように思います。不思議です。
うちに一番近いおフランスから歩いて二番目に近いおフランスへ・・・。
アテネ・フランセです。
ここは本当に写真を撮るのが難しいです。どうやったらこのインパクトあるファサードの魅力を引き出せるのか、いつも悩む。
悩むんですが、左側からか正面か右側からかのショットしか撮れないので結局いつも同じ。(苦笑)
ところで、何故フランスだけ「お」がつくんでしょう。
おドイツともおアメリカとも言いません。
私の世代ではおそ松くんのイヤミが「おフランスでは・・・」といっていたのが染み込んでいるのですが、あれを抜かしてもちょっと揶揄が入ってしまうのでしょうか。
うーん、フランス、ちょっとスカしているからねえ。
日仏学院は飯田橋にあります。私の家に一番近いおフランスです。
建物を設計したのは坂倉準三氏。
ここは二重螺旋構造の塔の中です。
こんなに美しい階段室を見たことがありません。
この日までは、私の中では松濤美術館の階段室が一番でしたが、ここを見てしまったからには・・・・・・。スマン、松濤美術館。
階段室というのは単に階段を内側に抱えているだけと言ってしまえばそれまでですが、それゆえシンプルで、ひとつの空間として完成しています。
特にここは白い壁に真鍮の手摺が伸びるさまが植物の蔓のようで、明かり取りの天窓に向かって発芽を待っているような感じ、ちょうど種(柿の種の中の白いところを思い出して下さい。)の中にいるような、暖かく安らいだ心地がします。
種の中の小宇宙、あるいは胎内にいるような、無垢なイメージを抱かせる空間です。
本当は全体がもっと明るいのですが、暗めに仕上げてみました。
天から光が降りてくるイメージです。
こちらは、さらに深い眠りの底へ向かう感じ。