狂った紅茶

実家暮らしではない障害年金生活者の日々徒然

私が落とした思い出

2016-12-15 15:32:37 | 日記
怖い夢をずっと見ていた。
小さい子が或る先生を慕って大きくなる様をずっと、その先生の脇で眺めていた。
先生は時に家の離れに住み、教壇に立ち、子どもが大きくなる様を支えていた。沢山の父兄が先生を慕うようになった。

或る日、父兄に半紙と小さなカードを縫い付けて欲しいと頼まれる。どうして?と私は訊く。この狭いカードの中に、半紙を通してあの子の無くした物を書いて欲しいのよ、あなたに。縫えば書けるでしょ?そんな事をしなくても先生なら書道の師範だから書けますよ、と私は答える。私はそんなに字は上手くないので。と付け加える。でもあなたがいいの。父兄は引き下がらないので、仕方なく縫う作業を黙々とする。
この狭いカードの中に、体育館シューズ。かぁ。偉いものを無くしてしまったなぁ。早く買って貰いなよ。と思って居たら、先生が現れた。
「何しているの?」
「保護者の方からの頼まれ事でして…」
「どれ、見せて」
先生随分と若くなられたなぁ。初めてお会いした時は連れ合いの方とまだ一緒にいて、お爺さんお婆さんでその方も死別した筈なのに。今じゃまるで同い年かもっとずっと若い女性を見ているように若い女性になられた。感覚的に先生だと解るのだが見た目が全くの別人になられてしまった。
「これはね、面白い事が出来るのよ」
先生は墨の付いてない筆で紙を擦ると、紙から音がしだして、まるでどこかで、そう街中で聞いたことがあるような懐かしいメロディーがした。
「これは貴女が縫ったメロディーよ。何処かに思い出が落ちてるわ」
私の思い出ですか。思い出が何処かに落ちてていいんですか?
そこへ子どもが来た。
「今の音素敵ね」
「心伽さんが作ったメロディーよ。でもまだ作れる筈よ」
「心伽ちゃん、もっと聞かせて」
「今の音なら先生が聞かせてくれますよ、先生にお願いして」
「ケチなのね」
「まぁまぁ。心伽さんは思い出を縫って音楽にして下さるんだから、今の音を聞きながら少し待ちましょうね」先生は言った。
思い出を縫って音楽にしている?先生は難しい事を仰る。私は先程は体育館シューズに名前を書くための小さなカードを半紙に縫い付けただけ。もしそこに思い出があるのだとしたら、体育館はあの体育館で小学生はあの場所。
じゃあ、観覧車のカードを半紙を裏返しにして縫ったらどうなるの?
観覧車なら、あの場所に行けば思い出が落ちている気がする。
縫いつけて先生に渡した。
「どんな音がするかしら」
先生は微笑んで、筆で擦った。
さっきより鈍く歪んだような耳障りの悪い音。
「私は嫌いではありませんよ」
「場所に思い当たりがあるので行ってきます」
「其所についたら電話を下さい」

観覧車を眺めながら先生に電話した。
「着きました」
「音聞こえますか?」
「聞こえます、耳障りが悪いのでもう、結構です」
観覧車乗り場の脇で先生に電話をしながら観覧車をみていたが、具合が悪くなってきた。何かが起きそうな…
誰かの悲鳴が上がる。目を上げる。観覧車の1つがこちらに落下してきた。咄嗟によける。中の人が振られて血塗れになりながら子どもを庇ってる姿を見て悲鳴さえ出ず、腰を抜かし、後退りする。血塗れになった人が必死に壊れた観覧車から出ようとしているのに誰一人として助けようとしない。
親子3人だろうか…
「先生!先生!助けて!観覧車が落ちたの!人が血塗れになってるの、怖い!」
「それがあなたの思い出よ」
「嘘!こんなの知らない!早く救急車呼んで、助けて!」
「認めるのよ、あなたの思い出が落としたのだって」
「嫌だ!そんなの嫌だ!認めたくない!!!」
私は泣きわめいた
「その弱さが結婚出来ないんじゃない?」
「それならそれで構わないから早く目の前の人を助けてよ」
「それは出来ないわ。これは貴方の心の弱さが作ったものだから」
足元に貯まっていく血液から逃げるようにして、携帯も捨てて逃げた


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