たにしのアブク 風綴り

85歳・たにしの爺。独り徘徊と喪失の日々は永い。

一本の木に、セミの抜け殻の連なるを見て撮りし

2017-08-11 14:58:06 | 散策の詩
空蝉のなほ苦しみを負ふかたち <鷹羽狩行>


数十年に一度咲くというアオノリュウゼツラン。
市川植物園には5年ぶりに咲いている(5年前とは異株)。
その温室の庭にインド、スリランカ原産のデイゴの花が咲いています
マメ科の落葉高木で「沖縄県の花」に選定されているという。



デイゴの木の葉陰に、いくつものアブラゼミの抜け殻が残っていました。
セミは土中で数年間の幼虫生活をしながら、地上に出る時期を待っています。
生育過程は生来備わっている体内時計が支配しています。
地上生活は一週間。
子孫を残すために鳴き暮らし営みを終えていく。



晩夏の道野辺を徘徊すると幾匹もの亡骸を見る。
クルマにつぶされ、アリが集っていいる。
その上を、さらにクルマが通ったり、人の踏まれたり、
生き物の中でも悲情な姿が、日常になっている。 

 

たにしの爺が見て撮った、これらの抜け殻から飛び立ったセミは、
うまく子孫を残すことができたでしょうか。
すでに、いずこに、亡骸をさらしているのだろうか。



セミの抜け殻を空蝉(うつせみ)とも言いますね。
「現し身」から「空せ身」――空しいこの身と転じ、
「空蝉」蝉のぬけ殻のイメージと重ねて無情さを詠う。

源氏物語、第3帖「空蝉」から
空蝉の 身を変へてける 木の元に なほ人柄の 懐かしきかな
空蝉の 羽に置く露の 木がくれて 忍び忍びに 濡るる袖かな

昨日の投稿文を少し手直ししました。