この週末はルーマニア・マスターズ選手権大会。全国から女子30歳以上・男子35歳以上のアスリート達がブカレストに集まってきます。暑さがぶり返している今日の午後、3時半から競技開始、日没まで4時間ほどあります。
全国大会とはいえ陸上競技人口の少ないルーマニア、マスターズも少なく、どの競技も予選なし、出走してゴールすれば3位内入賞、と言う種目も多いです。
けれどもマスターズ選手権の主役はやはり年齢の高いクラスのシルバー・アスリートさんたち。みんな年に一度のこの大会での再会を喜び合い、競技を楽しんでいます。100mにはこんなアスリートも。つばの付いた帽子がチャーミングポイント。レースもこの帽子をかぶったまま出走されていました。
短距離・中距離と競技が進み、5時過ぎから女子と60歳以上の部の10000mスタート。まだまだ日は高く、トラック内は日陰なし、ものの5分もしないうちにみんな汗びっしょり、暑さにばててどんどんペースが落ちていくのが判ります。男子トップ選手、45分台でゴール。女子選手は52分台でした。
6時半を廻ると日の影がトラックの中にも落ちてきました、気温は高いままですが先のレースよりもまだまし。このレースにはマイダーリンとアレクサンドル・ヨニカ氏(大統領警護のお仕事をされている黒服さんのボス)、ビクター、そしてオープン参加で28歳のジョルジュが出走します。
ジョルジュは今年の4月8日から走り始めたばかりでダーリンたちと同じトラックで練習していてみんな友達になり、最近ではずっとビクターと一緒にトレーニングしています。ティーンエイジャーの頃から8年間キックボクシングの選手、世界選手権でドイツと韓国に遠征したこともある豪腕選手でしたが2001年に引退、今は建築士。
走ることが好きで走り始めたばかりですが6月にすでに初フルマラソン3時間21分で完走、これからが楽しみなニューフェイスなのです。写真のブルーユニフォームがジョルジュ、黄色がビクター(44歳)。
レースでは予想通りビクターが力強いペースでラップを刻み、3キロ過ぎにビクターから離れてしまったマイダーリン、ジョルジュは3位につけています。集団ではなくみな単独走、ビクターとダーリンの差はじりじり広がって行きます。
ダーリンとジョルジュの差はいったん縮まりかけて、「もしやジョルジュ、マイダーリンを食うかも?」と若手に期待したのですがここからは経験の差、マイダーリン持ち直していきました。37分07秒。
逆にジョルジュがラスト4周あたりからふらふらと蛇行走、あと3周、あと2周、と心配しながら見ていましたが、9600mで自分のストップウォッチを押してフィニッシュ、どうやら周回数を間違えてしまったようです。審判にあと1周走るように促されていましたが、本人、ラストスパートで1周を走ってきたので、もはや気力なし、そのまま走るのを止めてしまい、DNF(=途中棄権)となってしまいました。
走り終わったジョルジュの顔は真っ白、明らかに脱水症状か熱中症の始まりです。本人ももうろうとしているみたい、水分補給と救護所での酸素補給となりました。初のトラックレース、暑さの中でうまくペース配分できなかったようです。いつもビクターと一緒に練習しているので、ビクターを追うことしか考えていなかったようで、まだまだ自分のペースがつかみきれていないのです。
それにしてもさすが元キックボクサー、ふらふらになって蛇行しながらでも走っていました。パンチを受けてもキックを受けても戦い続けていたんでしょうね、ビクターに言わせるとキックボクシングは「impossible sport for me」、わたしもそう思います。
上の写真は、しばらくして元気を取り戻したジョルジュ。右側はジョルジュの友達で同じ頃から走り始めたアレクサンドル25歳。
トラック競技の最後は男子2000m障害。年齢の高いクラスが走ります。水郷越えのあるレース、軽やかに超えていく選手はいません、みんなドボ~ンと両足で着水、そのたびにギャラリーから拍手喝采。わたしも持参の横断幕で応援。
この横断幕、3日前のトルコ対ルーマニアのサッカーの国際親善試合会場の入り口で5レイで買っておいたもの。国旗を持っているサポーターもたくさんいました。
このマッチ、いつも走りに行くリア・マノリウのメイン・スタジアムでの試合だったのです。わたしはサッカーの応援には行きません、もちろんランナーの応援のために買っておきました。さっそく役に立ったみたいです~。
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全国大会とはいえ陸上競技人口の少ないルーマニア、マスターズも少なく、どの競技も予選なし、出走してゴールすれば3位内入賞、と言う種目も多いです。
けれどもマスターズ選手権の主役はやはり年齢の高いクラスのシルバー・アスリートさんたち。みんな年に一度のこの大会での再会を喜び合い、競技を楽しんでいます。100mにはこんなアスリートも。つばの付いた帽子がチャーミングポイント。レースもこの帽子をかぶったまま出走されていました。
短距離・中距離と競技が進み、5時過ぎから女子と60歳以上の部の10000mスタート。まだまだ日は高く、トラック内は日陰なし、ものの5分もしないうちにみんな汗びっしょり、暑さにばててどんどんペースが落ちていくのが判ります。男子トップ選手、45分台でゴール。女子選手は52分台でした。
6時半を廻ると日の影がトラックの中にも落ちてきました、気温は高いままですが先のレースよりもまだまし。このレースにはマイダーリンとアレクサンドル・ヨニカ氏(大統領警護のお仕事をされている黒服さんのボス)、ビクター、そしてオープン参加で28歳のジョルジュが出走します。
ジョルジュは今年の4月8日から走り始めたばかりでダーリンたちと同じトラックで練習していてみんな友達になり、最近ではずっとビクターと一緒にトレーニングしています。ティーンエイジャーの頃から8年間キックボクシングの選手、世界選手権でドイツと韓国に遠征したこともある豪腕選手でしたが2001年に引退、今は建築士。
走ることが好きで走り始めたばかりですが6月にすでに初フルマラソン3時間21分で完走、これからが楽しみなニューフェイスなのです。写真のブルーユニフォームがジョルジュ、黄色がビクター(44歳)。
レースでは予想通りビクターが力強いペースでラップを刻み、3キロ過ぎにビクターから離れてしまったマイダーリン、ジョルジュは3位につけています。集団ではなくみな単独走、ビクターとダーリンの差はじりじり広がって行きます。
ダーリンとジョルジュの差はいったん縮まりかけて、「もしやジョルジュ、マイダーリンを食うかも?」と若手に期待したのですがここからは経験の差、マイダーリン持ち直していきました。37分07秒。
逆にジョルジュがラスト4周あたりからふらふらと蛇行走、あと3周、あと2周、と心配しながら見ていましたが、9600mで自分のストップウォッチを押してフィニッシュ、どうやら周回数を間違えてしまったようです。審判にあと1周走るように促されていましたが、本人、ラストスパートで1周を走ってきたので、もはや気力なし、そのまま走るのを止めてしまい、DNF(=途中棄権)となってしまいました。
走り終わったジョルジュの顔は真っ白、明らかに脱水症状か熱中症の始まりです。本人ももうろうとしているみたい、水分補給と救護所での酸素補給となりました。初のトラックレース、暑さの中でうまくペース配分できなかったようです。いつもビクターと一緒に練習しているので、ビクターを追うことしか考えていなかったようで、まだまだ自分のペースがつかみきれていないのです。
それにしてもさすが元キックボクサー、ふらふらになって蛇行しながらでも走っていました。パンチを受けてもキックを受けても戦い続けていたんでしょうね、ビクターに言わせるとキックボクシングは「impossible sport for me」、わたしもそう思います。
上の写真は、しばらくして元気を取り戻したジョルジュ。右側はジョルジュの友達で同じ頃から走り始めたアレクサンドル25歳。
トラック競技の最後は男子2000m障害。年齢の高いクラスが走ります。水郷越えのあるレース、軽やかに超えていく選手はいません、みんなドボ~ンと両足で着水、そのたびにギャラリーから拍手喝采。わたしも持参の横断幕で応援。
この横断幕、3日前のトルコ対ルーマニアのサッカーの国際親善試合会場の入り口で5レイで買っておいたもの。国旗を持っているサポーターもたくさんいました。
このマッチ、いつも走りに行くリア・マノリウのメイン・スタジアムでの試合だったのです。わたしはサッカーの応援には行きません、もちろんランナーの応援のために買っておきました。さっそく役に立ったみたいです~。
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