立ち上がれ、私!4~回復へのレッスン~





私は、ネット上の友人Sさんにメールをした。
彼女はその頃もう既に私の命綱となっていた。
今思うと、とても負担だっただろうし、
生活がありながら、私という重い荷物をぶら下げて、
大変迷惑を掛けたと思うけれど、
その時は、「蜘蛛の糸」状態で、
もしその糸が切れたら地獄に落ちてしまうような気持ちになっていた。
Sさんに、レッスンの成果、とっても落ち着いて眠れる点と、
母に愛されていないと知った点、
父と話したことなどを書いた。

「母に愛されていなかったことがわかりました!
で、なんだかとっても楽になりました!
ずっと愛してやった愛してやったと言われていたのに、
それは嘘だったと知りました!
今までずっと、母に申し訳ないと思ってきた気持ちが、
思わなくていいと思うと、とっても楽です!」

いつも、とてつもなく長いメールを延々と送った。
私と夫はこれからどうなるのかだとか、
日々感じたことだったりとか、
自分の心の危うい部分だとか、昔起きたことだったりとか、
ともかく、さんざんいろんなことを書いた。
Sさんとはネットで繋がっただけで、
面識も話したこともない相手だけれど、
絶対に「見放されることはない」という安心感を感じていた。
そして絶対に「この人は私を助けてくれる」と思っていた。
だから、私の送る言葉のすべてをこの人は受け止めてくれる、と
信じていた。

彼女から返信が来た。
「E・エリクソンのライフサイクル論(生活周期)」
これ読んでご覧、と書いてあった。

普通の、幸せに日々を送っている人々で、
普通に幼い頃から母親に愛された人には、
「ふーん」というような内容かも知れない。
けれど、自分にとっては、愕然とするような事実だった。

「基本的信頼感」
そんなもの、全然ないと思った。
私は、この世を信頼なんてしていない。
自分が存在するこの世の中は、嘘ばっかりで、
作り事ばかりだと思っていた。
中には信頼できる人も居るけれど、
ほとんどが信頼できない人だろうと思っていたし、
いいことと悪いことをはかりに掛けたら、
きっと悪いことの方が多いに決まっていると、
そう思っていた。

私は、すべてをさらけ出しているように見えて、
「いい子」を演じているようなところがあった。
幼い頃から自分のありのままを否定され続けた結果、
自分のありのままを表現すれば、
嫌われたり攻撃されたりすると思っていたから、
誰と接するときも、自分のありのままの意見ではなく、
「平均点」だったりとか「多数決」で、
なかなかいいラインのあたりの、
ありきたりの意見を言ったりしてしまう部分があった。
営業マンとして、毎日いろんな人と会う中ででも、
「こう話す人間は、このように写るはずだ」
といちいち計算して演技していた部分があり、
自分と演技している人が乖離してしまうときもあった。

ずっと演じている自分を人が評価しても、
「それは私ではない」と思ってしまうので、
けっして幸せではなかったが、
ありのままの自分を出してしまって、
相手をがっかりさせ、落胆させるよりはいいと思ったのだった。

「いい子の演技」それはつまり、
自分なんてたいしたことない、
世の中なんてたいしたことない、
信頼したとしても裏切られるだけといった価値観が、
そうさせていた。
そんな風にこの世の中や自分を信頼しないから、
自衛手段のために、そうしていた。
ありのままの自分を出せば、否定される。
世の中にそのまま出て行けば、裏切られる。
だからいつもびくびくして、不安でいなければならない。
ありのままで肯定される安心感を知らない人間は、
いつもありのままではいられない。

この図によると、自分に置き換えれば、
私が、母親に肯定され、受け止められずに、
否定されて、スキンシップや愛情を一切受けずに育ったから、
「信頼」よりも「不信」が強かったから、
それによって得られる「希望」という、
幼子にとって、とっても大事な大事な、気持ちが育たなかったから、
その上のすべての段階が正常に発達できなかった・・・と
書かれているのだ、と瞬時に知った。
私のことだ。と思った。

このタイミング、この時期に、この資料を、
私に送り届けてくれたSさんを、本当にすごいと思った。
どんな時にこの資料を見るよりも、
今ほど納得して、身にできる時はないと思ったからだった。


抜粋
『「信頼」は人がこの世に対して抱く信頼感の事で、「基本的信頼感」とも言います。
 赤ちゃんが、「この世に受け入れられているんだ、信頼してもいいんだ」と感じて安心できると、自分の生と自分を取り巻く世界を受け入れて、その信頼感を自分の心の土台にしていくといいます。
 もし、この信頼感が持てなかったら、この世は身の危険を感じる恐怖の世界になるのかもしれません。精神病の人は、一説にはこの人生早期に問題があると言われています。』


この世に受け入れられているとも、
信頼していいとも、
思っていない自分だったけれど、
これを読んで、それがなくっちゃ始まらないことぐらいは、わかった。

「これが大事ってことはわかったけれど、どうしたらいいのか。」
「今更、母に愛されるわけじゃなし、どうしたらいいのか。」
「もう40になるのに、どうしたらいいのか。」

ヒントは、前のメールにあった。
自分を抱き締めて、眠る儀式にあった。
そう、自分で自分を愛して、
自分で自分のありのままを受け入れ、信頼すること。
私は、そこからやり直さなければ、
過ちを繰り返し続けるんだ。と知った。

「あなたはそのままで、ありのままで、愛される価値があるんだよ。」

Sさんのくれたおまじないは、そのまま、
母が赤ちゃんのときから私にくれなかったもので、
かつ、私が切望してやまない言葉だった。
その言葉が、
今まさに供給しなければ私という木は枯れてしまうほどの
大切な栄養だということを、Sさんは知っていたし
私も瞬時に理解した。


誰も、母の代わりはできるわけがないし、
私のために、ずっと一生そばに居て、
受け入れて、信頼してあげるという人が
突然空から降って現れるわけもなく、
また現れたとしてもその頃の私には、信頼できるわけがなかった。
自分で自分を愛して、信頼する以外に、
この泥沼から抜け出す方法はないのだと知った。
この、すべての掛け違えたボタンを、元に戻さなければ、
まともな人生なんて訪れないと思ったから、
私は迷わずその日から、
自分を愛すること、自分を信頼することを始めようと決意した。

自分で自分を愛するなどという、
自己愛に満ちた夫と格闘する自分が、
最も自己愛性者が怖い自分が、自己愛を抱くというのは、
とても勇気の要ることで抵抗がなかったわけではない。
けれど、
まったく自己愛のない人間が、
自己愛たっぷりの人間に惹かれるのは当然なことで、
だからこそ、ほどよい自己愛や自分に対する自信は、
誰もが持ち合わせなければうまくいかないものだと、
今は理解している。


普通に生まれて、普通に愛されて、
普通に「基本的信頼感」を持っている人がうらやましいと思ったけれど、
それこそドラえもんが居ても、私が母から生まれた限りは、
過去にさかのぼったところで、
得ることの不可能な感情であったならば、
苦労してでも自分で調達するしかない、と思ったのだった。

そんな基本的で、とっても大切なことを、
私は知らなかったが、Sさんは知っていた。
彼女はいつも、ちょうどいい頃合の温度の、
ちょうどいい熟れ具合の、
ちょうどよく噛み砕いたものを、
私の鼻先に、ほいっと置いてくれた。
「食う?」と。
私は、彼女の差し出すものなら迷わずどんどん食べた。

そして、成長した。
幼子が、あっという間に小学生になり、中学生になった。
私の精神の成長度合いは、
まだまだこれからだから、今はその年代ぐらいだと思う。
でもきっといつかちゃんと、なんでも自分でできる、
成人になれると信じている。


彼女は、
きっと心のどこかで、
いつかまっち~はこの苦難を乗り超える、
そして自由を手に入れる、
そう信じてくれていたのだろう、

「来年、半袖を着る頃には、心から笑っていられるようになる思う。
それを目指して頑張ろうぜ。」

その頃そう言ってくれたことが、本当になった。

まだこの頃は戦いも始まっていなくて、
離婚して半袖になるまで、さらに色々なことが起きたけれど、
私はこの時、精神的泥沼から救ってくれた、
Sさんのことを一生何があっても忘れない。
まだ一度も話したことも、顔を見たこともない相手だけれど、
私が私を抱き締め、そのままでいいんだよとささやくたびに、
あの人を思い、心から深く深く感謝をしている。


そんな風に私が、自分探しと回復の作業に励んでいた頃、
夫が我が家にやってきた。
と言っても、私と会ったわけでも、話したわけでも、
メールを寄越したわけでもない。
息子の誕生日に、息子にプレゼントを持参し、
玄関のノブに掛けて帰ったのだった。

大きな紙袋には、3つのものが入っていた。
息子への、誕生日プレゼントには、カードも何もなかったが、
息子がとびきり喜ぶものだった。
娘への、小さなギフトは、飴の入ったお人形だった。
3つ目のギフトは、私宛と思われる、花束だった。

この頃私は、
夫のことを思うだけでまた動悸が激しくなるようになっていたので、
知らぬうちに夫が来たという形跡だけでも、かなり苦しかった。
また近所をうろうろされたんじゃたまらないと思った私は、
メールや電話だとまた、死ぬ死ぬ言われてしんどいので、
川崎社長に電話をして、

「すみません、もう怖いので、
突然連絡もなしに来ないように、言ってもらえませんか?」

と言ったことを記憶している。
川崎社長は、

「彼、うつ病で入院するらしいで。」

と言った。

「ああ、そうなんですか。」

「心配じゃないの?」

「はい、全然心配じゃないです。
それよりも、突然来られて、私や子供達に危害が与えられないか
どうかの方が心配です。」

「そうなんだ。。。」

はあとため息をついて落胆した川崎社長が、こう言った。

「彼に連絡取って、近づかないように言うけど、ともかく今は
彼落ち込んでるから刺激せんといたってな。」

「もちろん。こちらから一切連絡はしませんから。」

「わかった。そしたらまた彼のこと、連絡するわな。」

「ええ、入院の予定とかも教えて下さい。
一応知っておいた方がいいと思うので。」

私はそう話して電話を切った。
離婚話も進められやしない、と悔しく思った。
入院入院って、病気を楯に、
そう言えば引き伸ばせると思ってと、
本当に病気の方には悪いが、夫に関してはそのように思ってしまった。

その頃私は、ネットで知り合った、Nさんという人と会うことになる。
この出会いもまた、私にとってかけがえのないもので、
今もNさんの言葉が、私の心を照らしてくれている。
Nさんはここからかなり離れたところに住んでいたが、
わざわざ時間をかけ、私のために出てきてくれるとのことだった。
戸惑いながらもアポイントをとった。
運命の糸の導くままに・・・


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コメント
 
 
 
ネット上でも (hanako【ココロ内離婚】)
2006-04-27 13:41:42
まっち~さんを本当に救ってあげたくて、手を差し伸べてくださる方と出会えてよかったですね。

元夫さんからは大変な思いをさせられたと思いますが、今後も、まっち~さんを成長させてくれる人との出会いを大切にしてくださいね。

私もまっち~さんのブログや関連サイトを拝見して、とても勉強になってますし、自分の力になってます。

ありがとうございます。
 
 
 
Unknown (かなちゃん@夫の浮気にサクッと対応)
2006-04-27 14:29:39
必要な時に必要な人に出会う。

人生とは不思議なものですね。



これも日々の行いのおかげですね!
 
 
 
世の中には (にゃりんた)
2006-04-27 17:08:38
ネット上で人を傷つけるような人もいて、そういうのが当たり前の世界だと思っていたのですが、中には本当に親身になってくださるかたもいるのですよね・・・。

その時のまっち~さんにそういう出会いがあって本当に良かったと心からそう思います。

私もまっち~さんのお陰で今こうしていられるので、まっち~さんには本当に感謝しています。

出来ればお会いしたいくらいです(笑)
 
 
 
親からもらえなかったもの (レジリっこ)
2006-04-27 20:19:18
親からもらえなかったものを、探し求める人って結構いるんだと思う。私の8歳の娘はある月刊少女漫画を毎月読んでいますが、内容をみるとひとつのテーマがあります。男の子のセリフが「お前大丈夫か」「心配したんだぞ、ばか(+ハグ)」という、母性を持ったかのような男の子が多い。こんな情報から子どもだちは「親からもらえなかったものが、彼氏からもらえるんだ」という誤解をしますよね。

私も一番辛い時にビデオでタイタニックをみて「私のジャックはどこ?私を幸せにして~」って思っていましたもの。

自分を幸せに出来るのは自分なのですよね。
 
 
 
Unknown ()
2006-04-28 00:00:38
いやいやいや。

救って「あげたくて」、は、無いですよ。

立とうとしたのは、本人。

そして、立とうとする気持ちを支えて、ジャンピングボードを作っていったのは、あの掲示板の人たちの善意。

そして、あの掲示板の人たちの善意を作っていったのは、一生懸命がんばっていた「みな(まっち~)」でしょう。

わたしは、危うい足もとを、ちょっと支えるヒントを見せただけのこと。

そのヒントをどんどん拾って広げていったのは、本人。

本当に、よくがんばりました。

手にした大切なものを、たくさん人に手渡していってください。

善意ってね、渡しても減らないんだよ、渡すとね、増えるんだよ。

涙の向こうの底力のようなもの、それに気づくきっかけも作っていく。

それは本当は、誰でもが持っているものだと思うよ。



当時のあの掲示板の閲覧者もいらしてるようで。

その節は、本当にお世話になりました。

突然のスレッドを信頼してくださってありがとうございます、と、パピィさんからの伝言です。
 
 
 
こんにちは ()
2006-05-10 11:54:46
前回コメントを入れたものです。

自分に照らし合わせて感想を書いています。私が今回の文章で得た感想は、似たもの同士が集まってしまいひきつけあうものなのだなということ。自己愛がないのもあるすぎるのも、全く違うように見えるけれど根本が似ていると思います。

そういう似たタイプが集まって助け合えることもあるし、そうではないこともある。似たもの同士がひきつけあい、力を出し合った後こそとても重要な道のりなのだなと再確認しました。弱くなっているときは、どうしても集団に所属することで自分を見つめなおしてしまう。けれど、その後それぞれの道を見極めていくことの困難さが必ずあります。そのときの出会いから自分が何を得て、そこから再び新しい個にもどっていくかというのは本当に難しい過程なのだなとまっち~さんの文章を読みながら考えているところです。
 
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