今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

739 塩沢(新潟県)雪国に縮布ありと牧之いふ

2016-11-07 15:01:35 | 新潟・長野
およそ日本国中に於て第一雪の深き國は越後なり。しかれども越後に於も最雪ふかきこと一丈二丈におよぶは我住魚沼郡なり。我鹽澤は江戸を去ること僅に五十五里なり。雪なき時ならば健足の人は四日ならば江戸に至るべし。我里の元日は野も山も田圃も里も平一面の雪に埋り、春を知るべき庭前の梅柳の類も去年雪の降ざる秋の末に雪を厭いて丸太などを立て縄縛に遇たるまま雪の中にありて元日の春を知らず。(『北越雪譜』より)



北陸新幹線が開業するまで、東京から富山・金沢方面へ鉄道で行くには、上越新幹線の越後湯沢駅でほくほく線の特急はくたかに乗り継ぐのだった。そして間もなく、最初の停車駅の六日町に着く手前、右側車窓に広がる風景が待ち遠しかった。やや高みを走る鉄路から、なだらかに下る田園が見晴らせ、遠くの山並みが風景を隈取る。謎めくほどに清々しい、深呼吸がしたくなるパノラマなのだ。いつも見惚れるそのあたりが、塩沢である。



そうやって何度も遠望していながら、塩沢という街を私は知らない。合併して南魚沼市となった昨今、通過してはいても、立ち寄る機会がない。秋山郷を探訪した翌日、私を越後湯沢駅に送ってくれる友人が「かつての塩沢宿を再現した通りが整備されてね」と誘ってくれた。旧の三国街道に沿った商店街に、雪国の雁木(がんぎ)が復元されて「牧之通り」と名付けられている。『北越雪譜』の鈴木牧之(1770-1842)はこの地の人である。



家業の質屋を継ぎ、縮布の仲買にも手を広げる商人であったが、知性に加え、溢れるばかりの好奇心・探究心を持ち合わせていたのだろう、雪国の博物誌ともいえる『北越雪譜』『秋山紀行』を書き綴り、江戸の十返舎一九や山東京伝らと交流した。地方の研究者が埋もれることなく、著作を出版できた江戸期とは、よほど優れた文明社会だったのではなかろうか。おかげで塩沢の末裔たちは、その遺産で通りを整備し町興しを謀っている。



通りに面して木造の切妻2階屋が並び、軒先に雁木が延びている。心地よいのは家並みを黒く古錆びさせていることと、雁木の前まで歩道を拡幅して広々としているからだろう。郵便局や銀行、造り酒屋などが並ぶ現役の商店街である。店の軒先には北越雪譜の1文が掲げられ、NPOが運営する町興しは活き活きしている。ノスタルジックな家並みを整備して観光客を呼び込もうとする町興しは今や流行りだが、塩沢のここは成功例だろう。



「塩沢つむぎ記念館」に行く。牧之も「縮は越後の名産にして普く世の知る處なれど、我住魚沼郡一郡にかぎれる産物なり」と自慢しているように、塩沢越後上布、小千谷縮、十日町紬など、雪に埋もれる冬の日々、女たちが織り上げる名産は私でも挙げられる。しかし上布、縮、紬の違いが分からない。記念館のおじさんに訊ねると、待ってましたとばかりに語り出した。絹糸の縒り方の違いに秘密がありそうだが、疑問はむしろ深まった。



牧之記念館前の広場で、日曜市が開かれている。テントの露天には若い女性らの手作り雑貨が並び、ベビーカーを押す若いママパパと、観光でやって来たジジババが交錯している。近くの遊具ではちびっ子が歓声を上げ、都会のおしゃれなバザー会場のようだ。地方の街を旅していると、こうした賑わいには滅多に出会えないものだから、何だかこちらまでウキウキしてくる。雁木が雪に埋もれる日は近いが、今日は快晴だ。(2016.10.16)
























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