今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

802新潟②(新潟県)遠く想う語ることなき故郷を

2017-12-14 16:43:16 | 新潟・長野
故郷とは何か。生まれ育った新潟に帰るたびに、そのことを繰り返し考える。親はすでに黄泉路にあり、幼い私を慈しんでくれた親戚の方々も、ほとんどが鬼籍に入っている。それでも故郷の大地が私を温かく迎えてくれる感覚に揺らぎはない。大げさに言えば、その一木一草が愛おしいのである。懐かしさが、離れている時間が長くなるほど強まって行くようでもある。何故なのだろう。茫漠とした平野が、雪に覆われているだけなのに。



単に私が、感傷的な性格だということなのだろうか。あるいはこれも、加齢によって顕著になる現象の一つなのか。自分でも何故なのか説明が難しいのだが、新潟に向かう新幹線が長岡を過ぎ、蒲原の平野の向こうに弥彦山が遠望されるあたりになると、決まって私の胸は高鳴り始める。そして終着駅に到着し、あまり変貌していない街を抜けて信濃川を渡るころには、川面と空の広さに気持ちが安らいできて、肩の力が抜けて行くのである。



おそらくそれは、この地で過ごした私の時間が、幸せなものだったからなのだろう。幼かった私は、農地改革によって田畑のほとんどを強制的に買い上げられ、家の存続そのものが危うくなっていることや、夫婦間の不協和で家庭が崩壊しつつあることも知らず、ひたすら周囲に温かく守られ、伸び伸びと成長できたのだと今になって思う。小学校入学を前に街に出てからも、多くの友人ができ、屈託のない少年時代を過ごすことができた。



故郷への想いは、幼児期から思春期にかけての、誰もが瑞々しい心根にある時期に、体内に染み込む「何か」によって育まれるのだろう。その「何か」は大地や大気、それに人々や街の体温が醸し出す「何か」で、若芽が水を吸い上げ成長して行くように、人の心に根を張り、枯れることはない。誰もが親を選べないように、故郷を選ぶこともできないけれど、それでも誰もが故郷を愛しむのは、「何か」を伴って大人になっていくからだろう。



叔母の墓参に私の生家に行き、8代目の当主である叔父に話を聞いた。5代目に才覚があったらしく、田畑を随分と広げ、そこそこの地主になったのだという。しかし6代目(私の祖父)は農地改革で、小作地をすべて取り上げられた。農家と言えるほどの自作はほとんどしていなかったから、残った土地は1町歩にも満たない程度だったらしい。まだ米が経済の中心にあり、一家の財を保証していた土地を、一気に失ってしまったのである。



そして8代目は、残った土地の始末に苦労している。すでに米は有利な作物ではなくなり、農地を継ぐ者はいない。代々一族をこの地に縛りつける代償として富をもたらしてきた土地は、今やお荷物なのである。私が駆け回っていた母屋は取り壊され、私を覚えているのは庭の石山だけになった。そうやって故郷は移ろって行く。幸い私は、土地に縛り付けられることはなかった。親の離婚によって「先祖伝来」という束縛を免れたのである。



新潟の街も田舎も大好きではあったが、「大きくなったらこの土地を出て行く」のは、私には余りに自明のことだった。故郷の外に広大な世界があるのだから、そこへ分け入って行くのは当然のことであり、楽しみでもあった。だから高校を卒業すると躊躇なく新潟を出て、そのまま他国で生きてきた。その選択が私の人生をどのように左右したかは知らないけれど、故郷をより鮮明に、懐かしい存在にしたのは確かである。(2017.12.9-10)






















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