今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

746 宇都宮(栃木県)晴れ晴れと餃子を食べて空を見る

2016-12-11 10:00:09 | 群馬・栃木
師走入りした宇都宮の朝は、眩しく晴れ上がった。市役所最上階に登ると、峰に筋状の雪を輝かせる男体山が奥日光の稜線に屹立している。南側に回ると、二つの頂を並べる筑波山が確認され、さらに南西の方向遥かに、富士山が白いシルエットを浮かべている。関東平野北辺からの眺めは広大である。出勤してくる職員に「ご苦労さん」と声をかけてやりたいけれど、不審者と警戒させてはかわいそうだから、黙ってエレベーターを降りる。



その足で二荒山神社に行く。街の中心地に鎮座する下野国の一宮だ。由緒書きには「ふたあらやま」とルビがふってあり、「宇都宮の街の名は、社号をそのまま頂いたものだ」とある。微笑ましいのは「祭神の豊城入彦が勅命で毛野国に下った」という毛野国を、栃木県・群馬県と説明していることだ。これは通常、群馬県・栃木県と表されるのだが、気持ちはわかる。ただ群馬・上毛野氏の祖は豊城入彦命なのだから、順序に拘ることはない。



宇都宮の街の構造はわかりやすい。北の県庁と南の市役所を南北軸とし、東のJR宇都宮駅と西の東武宇都宮駅を東西軸として、その交わるあたりが繁華街だ。二荒山神社と宇都宮城址を南北軸としてもよい。アーケードが続くオリオン通りが中心商店街だろうか。以前歩いたのは20年ほど以前になるが、すでにシャッター通り化が始まっていた記憶がある。さらに寂れたかなと恐る恐る行ってみると、記憶よりも賑わっていてホッとした。



宇都宮は人口が50万人を超え、北関東では最も大きな街だ。「都市圏」の括りで見ると、エリア人口は100万人を超える。自動車産業の誘致なども成功して、バランスのとれた経済圏を形成しているのだ。その割に街は鄙びた風情で、気安く歩けるがやや侘しい。賑々しく飾り立てる必要はないけれど、軸が交差する街の中心あたりに、ゆったりと心地よい、公園のような文化施設が活動していたら、街の魅力はグンとアップするだろう。



宇都宮城の大手門跡近くで、空襲を生き抜いた大銀杏に出会った。軍都でもあった宇都宮は、終戦の1ヶ月前に空襲に遭い、中心市街地の半分が焼けた。大銀杏はその時、黒焦げになったものの、翌春には新芽を芽吹かせ、街復興のシンボルとして市民を大いに奮い立たせたという。街を歩く時、写真のことは常に意識している。「宇都宮の1枚は」この大銀杏にする。いくら名物とはいえ、駅前の大谷石製餃子像は、どうもいただけない。



それでも夕食は、やはり餃子を食べた。東京・渋谷のミンミンで、嘘か誠か「ここが日本に餃子を持ち込んだ店だ」と教えられて食べたのは、恋文横町が火事になって消える前だから半世紀も昔のことだ。確かに餃子は美味い。でも宇都宮の人たちが、消費量日本一と言われるほどなぜ食べるのか、よくわからなかった。今回現地で食べて、安いからだと思いついた。安くて美味いのだ。広島のお好み焼き同様、Soul Foodなのだろう。



山形・福島・郡山・宇都宮と新幹線を南下してきて、思うのはそれらの街が実によく似ていることだ。かつては街外れにあった駅が、今やどの街でも賑わいの中心になり、しかも新幹線駅舎の無機質な同質性が、街の特色を失わせている。ふと浮かぶ駅前や駅ナカが、どの街であったか思い出すのに時間がかかるほどだ。これは街の発展を物語るのか、あるいは退化の証左か。まさか私の記憶力減退によるものではないだろう。(2016.12.1-2)













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