今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

762 常滑(愛知県)滑らかな床(土)が焼かれて朱の急須

2017-03-06 15:36:28 | 岐阜・愛知・三重
陶磁器産地に対する私の執心はいよいよ募り、スケジュール変更で空白が生じた今日は、駆り立てられるように東海の常滑を目指すことに。常滑焼は、日本六古窯の内でも最古最大の歴史を有し、すでに平安末期から鎌倉時代には、膨大な壺や甕を全国に出荷する大窯業地だったという。かつての主要製品である巨大な土管や焼酎甕が坂道の土止めに転用され、独特の佇まいを残す街らしい。「滑らかな粘土層(床)の地」がその名の由来だとか。



東京の自宅を朝の6時に出ると、名古屋で乗り継いで午前10時前には窯場(ほとんどは「跡」なのだ)が密集する常滑の丘を歩いている。軽自動車さえ通れない細い路地が、古い時代のまま不規則に延び、放棄された窯は崩れて草が生えている。かつての工房は腰板が剥がれ、瓦屋根が傾いているものの、佇まいはそのままにギャラリーやカフェに生まれ変わり、結構な賑わいの「やきもの散歩道」を形成している。不思議と侘しさはない。



今でこそ常滑といえば朱泥の急須であるが、陶磁器産地としての常滑の印象が独特なのは、生活雑器が主流の他産地とは異なり、タイルやテラコッタなど建築陶器、土管や焼酎甕などの大型窯業を得意とする工業地帯だったことによるのだろう。ショップで売られている小物類を見ても、どこか大雑把な造りを感じるのは、常滑の街の歴史がそうした手技を生んでいるのかもしれない。伝統的な袋物(急須)以外は、いささか物足りない。



郊外の「陶の森陶芸研究所」まで足を延ばすと、研修生の修了制作展が開催されている。来館者は希少生物より少数だからだろう、係員がすぐに寄ってきて「どちらから?」「まあ、東京から! みなさん、東京からですって!」と即、別室に案内され、卒業制作で作った急須でお茶をふるまってくれる。常滑焼の伝統継承を目的に、研修生を2年間受け入れる市の施設だそうで、窯元が次々と廃業していく中で、窯業の街を守る拠点だ。



お茶を煎れてくれた研修生が「武蔵美出身です」と自己紹介、私が「僕は三鷹です」と明かすと、案内してくれた女性が「私も先日まで国立で個展を開いていました」と明かす。同席していたアーティスト君までが「僕は西東京市出身で、最近、常滑に移住しました」と語り出すものだから、研究所は突然の東京西郊談義で盛り上がる。アーティスト君の車で送ってもらうことになり、途中、彼のアトリエやお薦めのギャラリーを案内してもらう。



彼が言うには、常滑焼が自由な作風であるように、街には様々なジャンルの作家が制作に励んでいて、街はそうした遠来の作家たちを違和感なく受け入れる気風があるという。闖入者の私が歓待されたのも、そのお陰か。常滑市は人口が58000人ほど。現在も事業所数や従業員数、製造品出荷額など、どの工業統計を見ても窯業の街である。地方では珍しく人口が増加傾向にあるのは、常滑港沖に開港した中部国際空港の効果かもしれない。



「陶彫のある商店街」の標識に惹かれて丘を降りると、かつては賑わっていたと思われる商店街にポツポツと陶製の像が展示されている。作品は面白いのだが、陶彫は小型で彩色も渋く、街の賑わいを演出するには至っていない。ただ陶製ブロックの塀は美しく、そんな一角にひときわ瀟洒なお屋敷があって、門柱の陶板に「伊奈」とある。伊奈製陶→INAX→LIXILと街を牽引してきた企業グループの、創業家に関わる屋敷らしい。(2017.3.4)


















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